第3話 霊発事故の犠牲者はアイフォンに憧れているようです。

 さて、時間は再び現在……といっても、さっきよりは少し進んだところへと舞い戻る。


 私達は既に霊素村を離れており、道中にあったコンビニでアイスを買って休憩をしているところだった。四車線の国道沿いのコンビニで、目の前の道路にはひっきりなしに自動車や大型トラックが行き交っている。辺りはすっかり焼けるような暮色に沈んでいて、頭上の空は藍色に、西の空は燃え盛るような茜色に染まっていた。どこか遠いところでミンミンゼミが一匹だけ鳴いていて、なんとなく寂しげな気分にさせられた。


 私とカナは駐車場の端っこに停車した大型のバイクのシートに並んで腰掛けながら、クーリッシュをちゅうちゅうと吸う。目線は、カナの膝上に置いた古びた手鏡に向いている。


「あ、いいなー、私もアイス食べたいなー。今って二千二十年なんでしょ? ってことは私、十年近くアイス食べられてないことになるじゃん。メチャクチャ悲劇的じゃない?」


 鏡というものは、向かい側にある景色をそっくりそのまま映してみせる道具だ。本来なら、たとえ鏡面が傷ついたり曇ったりしていようとも、そこにない景色を反射してみせることはない。だというのに、この鏡の中では黒髪ロングにセーラー服姿の女子高生が、物欲しげな瞳で私たちの手元をじっと見つめていた。


 霊素村での霊魂の手鏡への憑依自体は、つつがなく終了した。人工魔眼では手鏡に霊魂を憑依させることなど不可能だけど、高出力な私の魔眼ならそう難しいことではない。鴉場研の魔眼研究に協力させられていたときに経験もあったから、手間取ることもなかった。


 憑依させた霊魂の少女は、岸田恵美と名乗った。見た感じ、年齢は今の私達と大差ない。だけどそれは享年の話だ。もし彼女が生きていたなら、私達よりもずっと年上だったのだろう。


「そのアイス、どうにかしてこっちに出現させられないわけ? 私が憑依させられてるのって、鏡なんでしょ? なら、そっち側にあるものがこっちにも現れたりしないの?」


「無理ですね。というか、できたとしても食べないほうがいいと思いますよ。鏡の世界ならキラルな分子が鏡像異性体になるはずですから。味、変わってると思うので」


「ふぅん? よくわからないけど、不便だなぁ。なんかこう、近未来テクノロジーで上手いことどうにかできないわけ? 未来人も思ってたより使えないなぁ」


「たかだか十年先の人間に高望みしすぎですよ。我儘言うなって話です」


 カナが恵美さんの相手をしてくれているのをいいことに、私は左手でアイスを食べつつ右手でスマホを操作して、霊素村事故のことを検索することにした。


 霊素村――大気中に漂う微量な霊素を収集し、それを材料にした霊素発電で村中の電力を賄う次世代のクリーンタウン。村の設立者は鴉場利明。現在は、かの有名な鴉場グループを牛耳って、霊魂回収事業を実施している男だ。鴉場利明は有能な物理学者で、霊素発電技術の開発にも多大な貢献した。霊素村は、そんな霊素発電の安全性や利便性を世間にアピールする目的で作られたものらしい。


 だが、九年前の大震災で変換炉から活性霊素が漏れ出す事故が起き、村は閉鎖。以後、エネルギー問題の恒久的な解決をもたらすとされていた霊素発電の評価は地に落ちる。活性霊素被爆による死者が出たことで、霊素に対する人々の信頼も大きく損なわれた。事故直後、多くの日本国民が霊素に対する病的なまでの恐怖感を抱いていたのは、私もよく覚えている。


 そしてこの事故における唯一の死者が、当時まだ十六歳だった岸田恵美。今、私の目の前で「アイス食べてー」とか駄々をこねている、快活な印象を受ける高校一年生の少女だった。


 岸田恵美という名前で検索をかけてみると、「霊発事故の犠牲になった悲劇の女子高生」「霊素発電の危険性~恵美ちゃんの犠牲を無駄にはしない~」だの何の、大仰なタイトルを付けたウェブページが何件もヒットした。それらのタイトルをざっと流し見ていたところ。


「あ! もしかして、それってスマホ⁉ アイフォン⁉ 二千二十年のアイフォン⁉」


 今までカナと会話していて恵美さんが、凄い剣幕で私の手元のスマホをガン見してきた。


 私はその勢いに気圧されつつも、こくり、と首を縦に振る。


「あ、はい。スマホです。私のはアイフォンじゃなくてアンドロイドですけど」


「うっわ、いいなー! 私のころは、まだスマホ持ってる子なんて少なくてさぁ。羨望の的だったんだよね。今の子って、どのくらいがスマホ買ってもらってるわけ? 半分くらい?」


「いや、半分も何も、皆スマホですけど。そもそも、今はもうガラケー売ってないですし……」


「え、嘘⁉ ガラケー絶滅したわけ⁉ ってことは、スマホ普及率百パーセントなの⁉ す、すげー! 未来だ! 私は今、未来を覗いてる……っ!」


 両手をばっと挙げながら、叫び声を上げる恵美さん。死んでるとは思えないほどのテンションの高さだった。災害の犠牲となって悲劇的な死を遂げた女子高生が現代社会を目にすると、まずはスマホ普及率の高さに衝撃を受ける。呑気というか、逞しいというか。


「とにかく」空になったクーリッシュに蓋をしながら、カナが改まった声色で切り出した。


「私達は霊魂となってこの世に残り続けていた恵美さんの、未練を晴らす手伝いをさせてもらいます。心残りがなくなった霊魂は自然と霊素へと崩壊するので、そうなり次第、私達が回収させてもらうという流れです。何か質問は?」


「ん、なんとなく理解したよ。なんとなくだけど」


「ねえカナ。私が訊きたいんだけど、未練を晴らすとかのくだり黙ってたの、詐欺じゃない?」


「はい、質問はなしと。これで契約成立ですね」ガン無視された。驚嘆すべき図太さだった。


「それで、岸田恵美さん。単刀直入にお訊きしますが、あなたにとっての心残りは何ですか?」


「――妹」突如として真剣一色の雰囲気になる恵美さん。その急な変化に私は一瞬、面食らう。


「私、妹がいるの。当時で十歳だったから、今はもう十九歳か。真澄っていうんだけどね。協力してくれるっていうんなら、私をもう一度その子に会わせてほしい。……できる?」


 先程までのスマホで大騒ぎしていたときの無邪気さは、今の恵美さんからは完全に鳴りを潜めていた。真っ直ぐに向けられた眼光からは、できない、と答えるのを躊躇わせるほどの無言の圧力が滲み出していて、軽く怯んでしまうほどだった。


「一応訊いておきますけど、今現在の自宅の場所に心当たりはあるんですか?」


「ない。全くない。でも、どうにかして探して欲しいの」


 そんな無茶な。私はついつい、眉間に皺を寄せてしまった。私達はどこにでもいる……とまでは、金髪美少女転校生とゴスロリファッション魔眼持ちのコンビなわけだし言えないかもだけど、一介の女子高生に過ぎないことは確かなのだ。できることは限られている。住所さえわからない人間の足取りを調べるだなんて、どう考えても荷が勝ちすぎている。恵美さんには悪いけど、断るしかないだろう。そう思って、私はちらりとカナの顔色を窺ったのだけれど。


「わかりました。そういうことなら、なんとかします」


 カナは表情を曇らせるどころか、逡巡すること一切なしに、二つ返事でその依頼を引き受けてしまった。「え? ちょっと……」気づけば私は控えめな声音で二人に待ったをかけていた。


「はい? どうしました、夜見塚さん?」


「その。……カナさ、どういう、つもりなわけ? だって、常識的に考えて無理じゃない? ほぼ手がかりのない状態から人探しをするなんて。勢いで安請け合いしてないで、ちゃんと断っておいたほうがいいんじゃ――」


「それは無理な注文ですね」


 強い語調で言葉を遮ってくるカナ。視線を逸らしがちな私とは対照的に、芯の通った直線的な目線を叩きつけるように向けてくる。その眼差しの鋭さに、私は口を噤んでしまう。


「できる、できないの問題じゃないんです。やるんです。私は自らの意志で、既に命を落とした存在である岸田恵美さんを対話可能な状態にしました。つまり、あのまま朽ちていくはずだった霊魂に、無念を晴らす希望を与えたんです。それをした時点で、私には責任があります。この人からの頼みなら、多少は無茶を通してでもやらないと」


 ……なんだ、それ。カナの発した台詞のあまりの安っぽさに、私は内心で呆れ返ってしまった。いや、呆れを通り越して、笑ってしまいそうになった。


 だって、なんなの。その綺麗事。別にいいじゃん、ごめん無理って断れば。だってこの人、はっきり言っちゃうとさ、死んでるんだよ? そもそも、こんなふうに私達と会話できてるのだって、私達のおかげなわけでしょ? そりゃ、ちょっとくらい情けをかけてあげるのが人情ってものなのかも知れないけれど、そこまでしてあげる必要があるとは思えない。


 というか、私はそもそも死者の未練を晴らしてあげるっていう考え方が受け入れられない。だって、そんなことしたって私達には何のメリットもないでしょ? 普通の回収者たちみたいにサクッと回収しちゃえばよかったじゃん。それに、なんで恵美さんだけ特別扱いされるわけ? 他にも未練を晴らしてほしかった霊魂は、大勢いたと思うんだけど。


 カナに対する反感が、胸中からドロドロとせり上がってくるのを感じる。吐瀉物がこみ上げてくるかのような気分だった。ムカムカするから、さっさとこの溜飲をぶちまけてしまいたい。


「……あ、そっか。うん、そうだよね。だって恵美さん、妹さんのことが心配なんだもんね。そりゃ、探してあげなきゃだよね。うん、わかった。私も協力する。頑張ろう」


 でも私の口先からこぼれ出たのは本心とは正反対の、前向きで明るい、正解であろう言葉の数々だった。私は気が小さいから、そんな本音を口に出すことは不可能なのだ。


 ……あーあ。この人って、きっと恵まれた人間なんだろうなぁ。周囲には優しくて素直で善良な人しかいなくって、田舎お得意の陰険で閉塞的な仕打ちなんて、目の当たりにしたことがないんだろうなぁ。ちょっと常識外れな力を持っているってだけで吐瀉物を見るみたいな目線を投げかけられたり、これみよがしに嫌煙されたりすることがあるんだって、実感したことなんかないんだろうなぁ。ま、そりゃそうだよね。百万円、ぽんと渡せるくらいなんだし。どうせ綺麗な上澄みだけ眺めて育った、箱入り娘なんでしょ? 


 冷笑じみた侮蔑の言葉の数々が、次々と胸の奥から浮き上がっては消えていく。私はなんだかばつの悪い思いがして、顔を軽く俯けた。


「そうですか。なら、報酬金分だけの働きは期待しておきます」


 カナは相変わらず淡白な、感情の籠もっていないビジネスライクな声音で返す。殊更に冷然としているように感ぜられたのは、私の引け目がもたらした自意識過剰だろうか。


「二人共、ありがとう! 本っ当に感謝します! ごめんね、無茶言っちゃって。私、ずっとずっと真澄のことが心配だったからさ。成仏する前に、どうしてもまた会いたくて。自分でも無茶振りだって思うけど、なんとかしてくれたら嬉しい」


「いえ、別にいいですよ。こっちが好きでやってることですから。ああでも、一つ言っておくと探すあてがまったくないってわけではないので、そんなに憂慮しなくていいです」


「え? 待ってカナ、それって本当?」


 思ってもみなかった発言に、私はついつい会話に割り込んでしまった。それならそうと先に言ってくれればよかったのに。


 カナは特段出し惜しむこともなく、端的にその案の概要を説明した。それを元に私達は計画を立てたけど、今日はもう夕方だし決行は明日の土曜日に回すこととなった。


 私達はコンビニを後にして帰路に着く。先程よりも藍色の濃くなった空の下、大型のバイクが国道を駆け抜けていく。カナの背中に控えめに抱きつきながら、生ぬるい空気を全身で感じる。体温に近く湿度の高い夏の大気に包まれていると、身体の輪郭と世界の輪郭が曖昧になり、肉体が溶解していくような錯覚をする。揺らめく橙に染め上げられた風景も、どこかぼやけたものに見える。ついつい郷愁めいたものを抱いてしまうのは、そのためだろうか。夕方というのは、何もかもが曖昧だから。過去と現在の境目も、ぼやけてしまって。


 脳裏に、懐かしい人の姿が蘇る。「澪」と穏やかな声で呼びかけてくるその人は、私の姉だ。五年も前に亡くなってしまった、私の大好きだったお姉ちゃん。だけどお姉ちゃんは、もうこの世にはいなくって。


 真澄さんという女性の姉である恵美さんは、真澄さんのことを思うあまり成仏できず、九年も閉鎖された廃村に留まり続けていた。だけど私のお姉ちゃんは、息を引き取った直後に霊素へと霧消してしまったのだろう。だってもしお姉ちゃんが成仏できずにいるのなら、とっくに私の前に姿を現してくれているはずだから。


 心臓をキュッと締め付けられるような切なさに見舞われた私は、気づけば少し強めにカナの背中に抱きついてしまっていた。細いけど、意外としっかりとした芯のある背中だった。

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