第2話 金髪美少女に買収されました。

 さて。そもそもの話、どうして一介の女子高生に過ぎないこの私が、金髪美少女との霊魂回収なんて厄介な事態に巻き込まれることになったのかというと、だ。始まりは今日の朝に遡る。


 いつものように始業時間ギリギリに登校し、いつものように窓際の自分の席に腰掛けて、いつものようにホームルームを適当に聞き流しながら漫然と外の景色を眺めていたときのこと。唐突に教室全体がざわめいたので、私は何事かと耳をそばだてて事態の把握に努めた。先生や近くの生徒の話から得られた断片的な情報を総合すると、どうやら転校生が来るらしい。


 あ、そう。転校生。珍しいこともあるものだな、と思った。けど、それがわかった時点で私の興味は消え失せた。だって別に、どうでもいいし。転校生だろうがなんだろうが、私の人生に関係のない人間のことなんか、はっきり言ってどうでもいい。

じゃあ私の人生に関係のある人間は誰がいるのかというと、そんな者はいなかった。というか、そういう人間を作らないように生きてきた。つまるところ、他人のことなんかどうでもいいし、関わりたくない。……もう、誰かの都合に振り回されるのなんて、懲り懲りだから。


 だが私は、引き戸が開く音が聞こえてきた直後、教室中の空気がガラリと変容したのを肌で感じた。今まで喧しく騒ぎ立てていたクラスメイトたちは口を閉ざし、誰もが皆一様に尋常じゃない雰囲気を醸し出す。そんなに変な人が来たのかな、と流石の私も好奇心を掻き立てられて窓の外に向けていた顔を正面へと動かした。で、度肝を抜かれた。


 壇上には、金髪碧眼の美少女がいた。彫刻のような麗しさを存分に湛えた、金髪美少女が。


 ……わわわ! ちょ、ちょっと待って⁉ ヤバ、可愛い可愛い⁉ あの子、超絶可愛い……!


 憂鬱気味だったテンションが一瞬にして爆上がりした私は、はぁはぁ、と呼吸を荒げながら机の上に突っ伏した。落ち着け。一旦落ち着け。すーはー、すーはー。息が整ったところでゆっくりと顔を持ち上げて、垂れた前髪の隙間から窺うようにしてその子のことを観察する。


「カナン・クロスフィールドです。よろしくお願いします」


 感情の籠もっていない淡々とした声でそれだけ言うと、その子は不承不承、と言わんばかりに軽く頭を下げた。だが次の瞬間、私のテンションは再びブチ上がった。


 ……っ⁉ い、今! 今、私のこと、見た⁉ 目、合った⁉


 後になって考えると、一人だけ改造したゴスロリ風の制服に身を包んでいる生徒がいれば注目されて当然なのだけど、そのときの私にそんな冷静な推察ができようはずもなかった。心臓はバクンバクンと早鐘を打っていて、何の前触れもなく現れた超ド級美少女の醸すオーラに完全に呑まれていた。こうして私は、カナン・クロスフィールドという謎の転校生の虜となった。


 でも、私はこの後すぐに、残酷な現実を思い知ることとなる。


 転校生、金髪、美少女。三拍子揃った彼女の前には常に人だかりができていて、私のようなクラスの除け者なんかが近寄れる余地はいつ、いかなる時もなかった。


 まあそうだよね、と。私は一人、悄然と肩を落とした。別に私は、あの子と話がしたかったとか、友達になりたかったとか、そういうわけじゃない。私はあの子のことを遠目から、客席から推しのアイドルを見守るファンのように見つめていたかっただけなのだ。でも、何重もの厚い肉の壁に囲まれた彼女の姿は、壁の外からでは垣間見ることすら叶わなかった。


 授業が一つ終わる度、大勢の同級生に囲われるカナン・クロスフィールド。私は彼女の、そうですねー、とか、そうですかー、とかいう、明らかに問いかけと噛み合っていないクールな返答を小耳に挟みながら、なんとなく切ない気分を味わっていた。のだけれど。


 事件は、昼休みに突入した直後に起こった。


 私が昼食のメロンパンを鞄から取り出そうとしていたところ、カナン・クロスフィールドが唐突に席を立つ音が聞こえてきた。彼女を取り囲んでいた肉壁に亀裂が入る。金髪美少女は軽やかな身のこなしで隙間を縫うように肉壁を抜けると、私の方へと近寄り、そして止まった。


「夜見塚澪さんですよね。悪いけど、少し付き合ってください」


「え? ちょ、ちょっと、急になに――」


 私の右手をガシッと掴むと、踵を返して歩き始めた。見た目の割に力が強く、私はあれよあれよと廊下まで引きずり出される。え、何この展開は。目の前には、ロリータファッションを着させたら、似合うどころか全人類がひれ伏しそうなほどの見目麗しい少女。そんな彼女に手を引かれ、どこかに連れ出されようとしている私。漫画みたいなシチュエーションの真っ只中にいることに混乱すると同時に、全身が奇妙な昂りを帯びていくのがわかった。


「話があるので人気のないところに案内してくれませんか? ぼさっと後ろ歩いてないで」


「え? あ、うん。それはいいけど……」


 目的地もないくせに私の前歩いてたの? とか、なんか口悪くない? とか、色々と思うところはあったけど、私は大人しくカナン・クロスフィールドを校舎裏に案内した。


 常緑樹に囲われた校舎裏は昼間にもかかわらず薄暗く、他の生徒の姿はない。なんだか告白でも始まりそうな場所だな、とかそんなことを思ってしまって、私は軽く身構えた。


「そ、それで……何の用? えっと、クロスフィールドさん」


「カナンでいいです。というか、カナでいいです。長くて言いにくいだろうから」


「え? わ、わかった、……カナ」


 いきなり名前呼びですか、と人馴れしてない私は少々ビビる。だが、それも束の間のことだった。カナは矢庭に私の眼帯に手を伸ばすと躊躇うことなく、ぺら、と眼帯をめくってきた。


 生暖かい外気が氷点下まで落ち込んだかのような悪寒に襲われた。気づけば、私はカナのことを押しのけようとしていた。でもカナは小さいくせに体幹がしっかりしていて、突き飛ばされたりはしなかった。逆に反作用で後ろによろめいた私は、眼帯を右目で強く押さえつけながらカナのことをきつく睨みつける。……最っ低。信じられない。何考えてるの。色々な言葉と感情が脳内で渦巻いて、渾然一体となっていた。だけど一番強い情動は、考えるまでもなく恐怖だった。見られた、という言葉が何度も何度も反響し、その度に私は慄然とした。


「ちょ、ちょっと……。急に、何するの……?」


 喉からこぼれ落ちた声は、細く、震えていて、怖い大人に言い訳をするときの子供のようで。


「ち、違う。違うの。今のは、そういうんじゃ、なくて、ただのカラコンっていうか……」


 私は半ば倒れ込むみたいな形になりながら、一歩、二歩、と後ずさる。この子、一体どういうつもり? 私の右目が魔眼だって勘付いてたの? ……いや、そんなことより私、何を言われるんだろう。眼球改造を施されて目の色が変わった回収者たちが色付きとして蔑視されていることくらい、私でも知っていた。いや、そのくらい、回収者が現れる前から理解していた。


 唐突に脳裏に蘇ったのは、家族や村の人たちから嫌というほど向けられた、私のことを蔑むような刺すように冷たい眼差しだった。記憶の中の彼らは、およそ通常の人間ではあり得ない虹色の光を両目の虹彩から放つ私のことを、汚らわしいものを見るような瞳で見下していた。


 頭の奥底に封印していた記憶が、沼の底から湧き上がってくる腐敗したガスのように、次から次へと意識の上に浮上する。たとえ生得的な魔眼であっても、人工魔眼のように厭悪されるのは疑うまでもないだろう。いや、むしろもっと酷いかも知れない。私はカナから吐き捨てられるであろう蔑みの言葉に身構えるかのように、目を固く瞑った。


「――綺麗な魔眼ですね。気に入りました」


「……え?」


 でも私の耳に飛び込んできたのは、予想していたものとはかけ離れた柔らかな響きの言葉で、その声は、カナが初めて発した温かみを感じさせる声だった。


「確かめたかったんです。夜見塚さんの魔眼が、私の目的に使えるのかどうか。でも、その美麗さなら問題はなさそうですね。魔眼は複雑な色合いをしていればしているほど、性能がいいって聞きますから。単色の人工魔眼と比べると、その魔眼のスペックは段違いでしょうね」


「は、はあ。それは、まあ。私のは天然ものというか、遺伝的に受け継がれた霊視の魔眼だから、性能は比べるまでもないけど……それが、どうかしたの?」


 悪い予感が外れたのはいいものの、だとしてもカナが何を考えているのかは未だに判然としないままだった。私は目の前の謎の転校生のことを、ついつい胡乱げな目つきで見やる。


 そんな私とは反対に、カナの方は爽やかな風を思わせる涼し気な顔つきのまま、両腕を組む。


「実は私、夜見塚さんに協力してほしいんです。私の霊魂回収に」


「え? 霊魂、回収? ……でもカナ、回収者じゃないよね? その目、碧眼ではあるけど、人工魔眼特有の色合いはしてないし」


「はい。私は鴉場グループの提供する拡張網膜移植手術、俗に言う眼球改造は受けてません」


 拡張網膜は、天然の魔眼を元に開発された人工の網膜のことだ。回収者はこれを移植することで霊魂を視認することが可能となり、また、副次的な影響で瞳の色が独特なものへ変化する。


「ですよね。でも、それならどうして霊魂回収なんか――」


「理由は訊かないでください」


 有無を言わさぬ口調だった。ぱっちりと見開かれたライトブルーの勝ち気な瞳が、私のことを貫くようにじっと見つめてくる。無言の圧力、というやつがひしひしと伝わってきた。


「とにかく、夜見塚さんが認識しておかなければならないのは、一つ、私は霊魂回収を行おうとしていること、二つ、私は諸事情があって眼球改造を受けていないこと、三つ、それ故、霊魂の見えない私の代わりに目となってくれる人物が必要だということ。この三点です。どうですか? 受けてくれますか?」


 疑問形で訊いてきてはいるものの、剣呑な鋭い眼光から察するに、断ったらどうなるかわかったもんじゃない。……なんかこの人、可愛い見た目して強引っていうか、ちょっと怖い。


「で、でも。そんなこと、いきなり言われても困るんだけど。私、経験とかないし……。よくわからないけど、他を当たってもらったほうが、いいんじゃないかな」


「あ。勿論、ただでとは言いませんよ。協力してくれるのなら、このくらいは出します」


 言って、カナはパーにした右手を見せつけてくる。


「五百円? お昼ごはん一食分くらいかぁ」


「なわけないでしょう。小学生のお使いじゃないんですから」


「あ、五千円。洋服が一着くらい。へぇ、まあまあ貰えるんですね」


「いや、だからそんなに安くないですって。飛んで五十万円です」


「五、ごじゅうま……っ⁉」


 あまりにも平然と口に出されたその金額に、私は目をひん剥いた。いや、五十万。……五十万⁉ これで一気に怪しさ倍増したんですけど⁉ それって絶対、バレたらお縄にかかっちゃう系のお仕事ですよね⁉ だめだめだめ! こんなの絶対受けちゃだめ! そもそも私、お金にはそんなに困ってないし、協力するメリットとかないし。危ない橋を渡る必要なんかない!


「え、えーっと……誘ってくれたのは、嬉しいんだけど、実は私、色々と忙しくって……」


 すると、私の様子を見て断られそうだというのを察したのだろうか。カナはポケットから何かを素早く引っ張り出すと、これどうぞ、と言って私のポケットに滑り込ませてきた。


「ちょ、ちょっと、勝手に変なもの入れないでよ……って、札束⁉ いくらあるのこれ⁉」


「渋ってるようだったので、五十万に色つけて百万です。前払いということで」


「いやいやいや⁉ 金額倍増って、色どころのはなしじゃないよ! そもそも百万って、高校生がポケットに忍ばせてていいものじゃないでしょ⁉ ……あ、わかった! 実はこれ全部偽札で、私のことからかおうとしてるんでしょ、そうに決まってるよね!」


 私は半ば祈るような気持ちで、お札を光に透かしてみる。がっつり本物だった。


「それじゃ、これで契約成立ということで。放課後に駐車場で待ってます」


「え、ちょっと⁉ 私、まだ受けたなんて言ってな……い、行っちゃったし。……はぁ。嘘でしょ。何考えてるの、あの人。わけがわからない……」


 と、まあ。経緯はこういうわけで。カナに無理やり百万円を貰わさせられた私は、否が応でもカナの霊魂回収にお付き合いする羽目になったのだった。

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