神様が眠る時

日出詩歌

神様が眠る時

 リポーターは予言者の言葉をじっと待っていた。一般家庭のリビングにある絨毯の上にぺたんと座った彼は、ゆっくりと口を開く。

「あのね」

予言はそんな一言から始まった。

「まっくらだったの」

 二歳の黒冬真広こくとうまひろ少年は、ふにふにとした頬をゆっくりと動かして舌足らずな口調で話す。

「そっかぁ、まっくらだったんだ。他には何かあった? 思い出せるかな?」

 画面には映らないが、リポーターの厚化粧じみた笑みが目に見える。口調の奥底でははやる気持ちを抑えていた。

「とねるがあってね、あかいでんしゃがあったの」

「トンネルと、赤い電車? 他には?」

「あとね、ほーすからおみずがでてた」

 画面が切り替わった。テロップが表示される。

 ――お子さんの予知夢に気づいたのはいつ頃から?

「半年くらい前です。テレビのニュースを観ていたら真広が『ここ知ってる』ってテレビの前に立って。話を聞いてみると夢の中で見たんだと言ってました」

 やや緊張気味の母親の口元がアップになる。顔は映されていない。

「最初は偶然だと思ったんですが、後々ニュース番組を見ると真広が話してくれた夢と『あれっ、似てるな』ってなってきて」

 母親のインタビューはそこで途切れる。再び画面が変わり、分厚い本が無造作にしまわれた本棚をバックに、猫背の学者が現れる。白髪交じりの顔の横にはテロップで聞いた事の無い大学名と、「睡眠学会」といういかにもな感じの肩書があった。

「そもそも夢とはですね、レム睡眠という、体が眠っている時でも脳が起きている状態のときに見やすいとされています。脳が休んでいる深い睡眠ではなく、活動している浅い睡眠ですね。その間に記憶の整理として夢を見るとされていて……」


「昨日のテレビ見ました?予言の子がニュースに出てたの」

 渡瀬わたせが勤務する茅川商事かやがわしょうじでは丁度、昼休憩の時間だった。渡瀬がコンビニ弁当の白飯を口に運ぼうとしたところで、背後から若い男の声がする。振り返ると部下の川崎かわさきが、コーヒーの入った紙カップを片手にやってくる。昼時の眠気を覚ます為だろうな、と渡瀬は思った。

「ああ、見たよ」

「渡瀬さんはああいうオカルト系は信じない方ですか?」

 渡瀬は眉間に皺を寄せ、白髪が多くなってきた頭を傾ける。

「半々だな。そういうものはあるとは思うが、ヤラセも同じくらいあるからな」テレビでは本当に未来を予知していると言われているが、母親による金目当てのヤラセという声も少なくない。いずれにせよ、テレビの外側からでは分からない事だ。

「殺された瞬間の予知夢、しかも的中率は100%。内容が内容だからさすがにテレビには出さないと思ったんですけどねぇ。やっぱ話題性があるから出しちゃうんですかねぇ」川崎は渋い顔をしてコーヒーを啜る。

 予知夢の少年。ニュースによれば、その発端はネット上の掲示板になされたある書き込みだったという。

『息子が予知夢を見たかも。ベランダに赤い柵がある建物で、川向かいに白い高層ビルが2本がある場所を教えて欲しい。事件が起こるかもしれない』

 そんな場所なんて日本中に幾らでもある。当時は皆そこまで関心を持たなかったらしい。

 しかし一週間後、ある一報が入った事で状況は大きく変わる。

 殺人事件のニュースである。

 報道の映像を見ると映っているのは確かに赤い柵のアパートだった。現場の特徴が件の書き込みと一致していたのだ。

 するとたちまちネット上で火種が付く。時には熱く、時には冷ややかにゆらゆらと燻り始める。偶然だという人がいて、こじつけだという人もいた。

 そんな中、こんな書き込みが予言少年の噂をさらに助長させる。

『一回だけじゃ分からない。今後の事件は分かるかどうか知りたい』

 その書き込みに釣られるように、ネット上の予言は段々と増していく。

 書き込みに髭のおじさんが出てきたとあれば犯人は無精髭の男であり、雷が鳴っていたと言えば雷雨の翌日に遺体が発見された。

 それを見たネットの住民達は、薪をくべられた篝火が一気に炎柱になるように爆発的に熱く燃え上がる。

 ここから先はネットの掲示板に疎い渡瀬にも知るところとなった。若者や動画配信者らの一部は、僅かな手がかりを基に現場を特定しようとし始めた。また別の者達はどうして真広少年が予知夢を見るのかについて持論を語った。

 そうして真広少年の予知能力をそれなりの人数が信じる様になった頃、少年の全く知らない世界で、彼は知らないうちに神様のように祀りあげられたのである。

「早くブームが過ぎ去ってくれればいいがね。俺も動画で見た事あるよ。警察を無能呼ばわりしてる奴とか、興味本位で場所を特定したがる奴とか。そういう連中ってのはいつか犯罪に足を突っ込むんじゃないかね」

 渡瀬は眉を顰める。ややあって、川崎は口を開く。

「正直、自分はちょっと嫌な感じがするんですよ。天使みたいに可愛いけど、死神みたいで。なんせ予知夢を見れば殺人が絶対起こるって事ですから」

 川崎の言う通りだ。今まで予言の内容は全て殺人であった。どんな事件が起ころうとも、傷害や強盗は一度も予知されなかったのである。

「二歳の少年に釣り合うとは言えない話題だな」

 神様、天使、死神。未知の力を持つらしき少年は、世間では良かれ悪かれこうも神聖視されるようだ。もっとも、例え何を言われていようとあの無垢な少年には何一つわからないのだろうが。

 渡瀬は弁当を空にすると、徐に席を立った。


 時刻は午後十時を回っていた。やや遅めの帰りだった。

 帰路の途中、渡瀬は公園を通りがかる。そこそこ広い公園で、枯れた秋色の落ち葉で埋め尽くされた地面を中心として、隅に多種多様な遊具が散らばる。休日の午前に通ると、数人の親が遊び盛りの子供たちに苦戦しているのが見える。夜となった今では一変して園内に人は誰もおらず、辺りは夜に沈んで水底のように静まりかえっている。子供たちの夢の跡の、物言わぬ遊具の影が冷たく立っていた。

 警笛が聴こえ、公園のそばを電車が駆けていく。赤く車体が塗られた永田線だった。

 あの少年は今日、こんな公園で遊んだだろうか。滑り台で滑って、ブランコに乗って。やんちゃに親を困らせただろうか。渡瀬は夜の中に真昼の少年を幻視する。土を蹴って走り回り、母親と乗ったシーソーが高く上がる度にきゃいきゃいとはしゃぎ、無謀にも滑り台を頭から滑って怪我をする。それにつられて渡瀬の視線は公園の端から端へ移動していく。

 その時、公園の一角で目が留まった。

「そうか」ふと考えが浮かんで、渡瀬は思わず口にした。

 予言が示した場所はこの公園かもしれない。

 確証はないし、永田線沿いの公園なんて幾つあるか知らない。そもそも永田線じゃない可能性だってある。

 それでも渡瀬は、もし推測が合っていたなら事件を未然に防げる可能性がある、と淡い希望を抱かずにはいられなかった。

 しかし、住んでのところで渡瀬の理性が彼のシャツの裾を引っ張る。

 その推測は決定的な証拠がない。そもそも予言自体半信半疑の眉唾物だ。何より警察は起こっていない犯罪を防ぐ事は出来ないのだ。

 冷たい夜風が吹いて、彼はふっと我に返る。そして渡瀬は馬鹿馬鹿しい妄想だ、と漠然とした直感を拭い去ってがらんどうの公園に投げ捨てる。

 こうやって妙な期待を持った奴が騒ぐのだな。

 渡瀬は公園を横目に立ち去る。後にはいつもと変わらぬ静寂だけが残っていた。

 

 二日後、渡瀬は先日と同じように遅い時間に帰路に着いていた。住宅街を進んでいくと、やがて沿線の公園が見えてくる。

 恐らく今日も深海のように静まりかえっているのだろう、彼はゆうゆうと歩を進める。しかし公園の端の柵に手が掛かった時、今夜は様子が違う事に気がついた。

 男二人分の喚き声が公園に響いている。妙なのは喚き声が聞こえる場所だった。

 半円の形をしていて、子供が登ったり、穴から顔を出したり、時に中に入って遊ぶもの。二歳の小さな体には、まさしくトンネルと呼べる遊具。

 碌でもない連中の喧騒だ。関わらない方がいいだろう。渡瀬が厄介事は避けて通り過ぎようとしたとき、言葉とも言えない喚き声はテレビの電源を落としたかのように、ぶつりと急に静かになった。ややあってさっと人影がトンネルの陰から這い出ると、足早に暗闇に溶けて消えていった。

 嫌な予感が彼の周囲で渦巻いて、立ち去れと警鐘を鳴らしている。一方で、放置しておけない気持ちが不安を携えてトンネルの中へ手招いていた。

 その場に十秒ほど立っていただろうか。結局、不安が彼を公園内に引きずり込んだ。目撃者なら、様子を確認したほうがいいんじゃないか。不安は強がった振りをしながら渡瀬を唆した。善人の鑑みたいな理由だった。

ザッザッと砂と落ち葉の音が静寂にノイズをかける。

 彼は腰を屈ませてトンネルに半身を入れた。

 途端、渡瀬の肺にドロリとした空気が垂れ込む。思わず彼は口を押さえる。

 トンネルの隙間に差し込む公園の灯りに照らされ、中の様子が僅かに見える。

 小さな空間の中には瘦せ細った人間が1人、投げ出された人形のように転がっていた。背格好からするに、中年男性だろう。暗くて顔は見えない。ただそんな事はどうでも良かった。遊具の穴から入り込む月の光が、ある一点を煌々と照らし、嫌が応にも渡瀬にそれをまざまざと見せつけた。

 深々と裂かれた腹。そのまわりからだらだらと流れ出る血と、だらりと垂れさがった、脂に塗れた腸。

 目の前が突然夢にすり替わったような気がした。しかし脳の隅で彼の理性は叫んでいる。これは紛れもない現実だと。

「ホースと……お水……」唇が震える。背筋をさっと冷気が伝う。胸から喉がぐっと詰まり、吐き出したくなる。

 こんなものを、毎日見ているというのか。見ているものの善悪も知らずに、知りもしない大人の都合で見させられているというのか。

 例え少年がその意味を理解していなくとも。

 そんなの、地獄以外の何物でもないではないか。

 汚らわしく重たい空気を吸い込みたくなくて口を抑えながらトンネルの外に這い出る。

 肩を抱えると、自分の体が震えているのがわかった。

 それは決して寒さや恐怖などではない。内から沸々と湧きあがる熱を、叫んでどこかへぶつけたい衝動によるものだった。 

 

 後日、渡瀬は警察署での事情聴取を終え、署内の廊下で硬い椅子にずしりと腰掛けていた。刑事に促されて先日の事を言葉に出そうとすると、思っていたよりも深く精神は参っていたのだと気づく。どろどろした空気がまだ心臓の底に沈んでいて、時折脳裏にぴりっと血と臓物が垂れる光景がフラッシュバックされる。その度彼はぎゅっと目をつぶって無意識に顔をそむけた。

 今は丁度昼時で、仕事に一区切りつけた職員が食堂の方へ次々に足を運んでいる。死体の話をした後ではいくら腹が減っていても口に食べ物を詰め込む気になれない。仕方なしに自動販売機で紙コップのホットコーヒーを買い、温かな生気を取り戻すように少しずつ口に含んだ。

 その時、二人分の足音が近づいてきて渡瀬はそちらに目を向ける。

 三十代くらいの女性と、彼女の足元をちょこまかと走る小さな影が1つ。渡瀬はその内子供の方に見覚えがあった。

 黒冬真広少年だった。

 渡瀬は反射的に立ち上がって女性に声をかける。

「黒冬さん……ですね。その、予言の」

「ええ、はい」いきなり声をかけられやや驚いていたが、慣れきった風の返答だった。きっと今まで何度も同じ事を聞かれたのだろう。少年の母親はあまり華美ではなく、そこらの主婦と変わりはなかった。

「どうして今日はここに?」

「元夫が、真広の父が亡くなりまして」

「それを息子さんが?じゃあもしかして公園の……」

 彼女は頷く。

「何故公園で死んだとご存じなんですか?」

「自分はあの時偶然通りがかって、警察を呼んだんです」

 すると彼女の訝しむ顔が氷解し、「そうでしたか。それはどうも……」と綺麗に頭を下げた。

「彼は長年借金を抱えていて、離婚したきっかけもそれでした。公園にいたのはきっと借金取りに追われていたからでしょう」と、母親は僅かに物憂げな表情を浮かべる。

 渡瀬はやや膝を屈めて真広少年の方を見た。

「こんにちは」

「こんにちわ」彼は僅かにぺこりとお辞儀する。その目はどこか眠たげに見えて、あんまりよく眠れていないんだなと思った。

「はは、偉いね。君は……良く夢を見るそうだね」

「うん」

「怖いかい?」

 彼は首を捻る。「うーん、わかんない」

「そっか」

 渡瀬はほっと安堵の表情を浮かべ、呟く。

「ごめんな」

 真広少年はきょとんとしていた。

 それから渡瀬は立ち上がり、母親に向かってぽつりと口を開いた。

「あなたは真広君が予知夢を見ると信じているんですか」

 母親は力強く頷く。

「もちろんです。今までだって当たっていましたから」

「ええ。私も同感です。恐らく真広君は本当に予知夢を見ている。今回の件でそう思いました」

 母親の顔がぱっと明るくなって何かを口にしようとする。しかし、渡瀬は眉間に皺を寄せたままそれを遮った。

「真広君が毎晩見ている景色を、見た事がありますか」

 母親の顔が一瞬にしてしぼみ、無言のままでいる。それが答えになっていた。

「先程申し上げた通り、自分は目の前で、真広君のお父さんが刺されているのを見ました。信じられなかったし、悲しくもありました。でもそれ以上に」感情に流されて、言葉が力を帯びる。

「真広君が抱えているものが恐ろしくもありました。毎朝、一日の始まりに人が死ぬ夢を見て、それを我々は娯楽として楽しんでいたんです」

 今日何度目だろうか。また、あの日見た無惨な死体の様が脳裏を斬りつける。渡瀬は一瞬ぎゅっと目を瞑ってそれを振り解く。

「今は何も分からなくても、この先地獄のような景色を毎日見続けるなんて彼には到底堪えられるものじゃありません」

 渡瀬は言い切る。

 民衆は真広少年を持て囃しておきながら、その内に予知夢かそうでないかはどうでもよくなっていた。タイクツな世の中は、面白ければそれでよかったのだ。

 彼らにとって、黒冬真広は機械仕掛けの神様だった。螺子巻と歯車で絶えず面白い事を生み出し続ける神様。いつか飽きられて捨てられる事を知らない無垢な神様。

 殺められ死にゆく人間が最期に見た景色。或いは少年が一日の始まる前に見た景色。それを目にした時、渡瀬はどうしようもなく腹が立った。二歳の少年に地獄を押し付ける彼らに。この子が何を見ているのかも知らずに、ただ少しだけタイクツが紛れるからという理由で悪い夢を見させ続ける事に。

 そして自分もその一員である事を悔いた。

「この子はまだ二歳の子供なんですよ」

 彼は、神様なんかじゃない。人間なんだ。黒冬真広なんだ。

 だから神様はもう、眠る時間だ。

「あなたが彼の親であるのなら……楽しい夢を見させてやってくださいよ」

「ええ、分かってます」と母親は弱々しく答え、僅かに頷いた。

「でも、それは出来ません。私達が生きる為に…幸せな未来の為に必要なんです」渡部はその言葉に、母親としての覚悟が表れて見えた。

 彼女は一礼する。その様は古い像に縋る敬虔な信者のようであった。

 最初はきっと、本当に純粋な疑問だったのだろう。どうしてか息子が予知夢を見るらしいと。それがいつしか何十、何百万の人達に担ぎ上げられてしまった。その先には、幸せの可能性があると信じて手を伸ばそうとしたに違いない。そして家族の幸せを願うあまり、息子を見る事を辞めてしまったのだ。

 眠そうな少年の顔がよぎる。

 どうか、せめていい夢が見られますように。

 彼は母親に引かれて去っていく少年の背を、祈るように見送った。


 翌朝、息子の真広は少し遅い時間に起きてきた。

 目を擦り、タオルケットを名残惜しそうに引き摺ってくる。彼女は息子の口の端が緩み、にやけている気がした。

「ママ、今日見た夢はね」

 そして紡がれた言葉に、彼女は顔を真っ青にして背筋を凍らせた。

「ママとパパが出てきたんだよ」

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