第2話 子猫

スナックのママである幸恵は、60代のわりに張りのあるぽっちゃりした手でリモコンを握ると、カウンターテーブルの壁際に置かれた液晶テレビのスイッチを入れた。テレビの両サイドには赤い薔薇のドライフラワーが飾られており、枯れた薔薇に挟まれるようにして、画面に若い男女が映し出された。

画面を凝視しながら、ヘアゴムをほどく。白髪染めのせいで黒すぎるぐらい黒くなった巻き毛が肩のあたりで広がり、黒いワンピースの肩と一体化した。


「あら、ママ、テレビなんかつけてどうしたの?」

カウンター席で頬杖をついていた孝子は、テレビのほうを向こうとして、すぐに顔をしかめた。最近、腰痛がひどいのだ。あまりに痛いので病院で見てもらったら加齢のせいだと医者から言われて、孝子はほっとした。病気と言われるよりマシだった。入院だけはしたくない。

腰が痛くないよう、ハイビスカス柄のワンピースに包まれた細身の体をゆっくりひねって、ようやく画面を確認した。

「あらあ、これって俳優の桂﨑竜太の息子が出てるドラマよねえ。面白い? 恋愛ものなんでしょう? あら、違ったかしら? サスペンスだったかしらね? 私ったら若い子が出てるドラマって全部恋愛物に見えちゃうのよね。だって美男美女しか出てこないじゃない? サスペンスなんて刑事も犯人も、被害者までぜーんぶ美男美女で笑っちゃうわあ」と笑顔でしゃべり始めた孝子に、幸恵ママは唇に人差し指を当てて、

「しっ! 静かにして!」

と語気鋭く言い放ち、険しい顔で画面を真剣な面持ちで見つめた。


孝子の隣に座っていた若い女性――琉宇那るうなが、明るいブラウンに染めた前髪をかき上げて苦笑した。耳元の青い石のついたピアスが照明を反射してきらりと光った。

「ママったら、相当このドラマにハマってるみたいですね……」

「ほーんと。お目当てのイケメンでも出るのかしらね?」

孝子と琉宇那は親子ほど年が離れているが、気の置けない友達のように顔を見合わせて笑い合った。



そのとき、ドアベルがカランカランと音を立てた。3人はいっせいにドアのほうを、その先に立ち尽くす女子高生を、見た。

青白い顔をした痩せた女の子は口元をかたく結んで、3人の視線を集めても怯むことなく、まるで何かに挑むように見つめ返した。しかし、それはきっと強がりで、本当は不安な気持ちなのだろうと幸恵ママは察した。子猫がドラコンの巣へと迷い込んできたかのようだと思った。怯えて、だけど、それを悟られまいと虚勢を張っている。


「あらあら、子猫ちゃん、もしかしてお客さんなのかしら?」

幸恵ママがおどけたようにそう声を掛けたら、女の子は何かごにょごにょ呟いて、

「ここ、お金、幾らですか」と固い声で尋ねた。


「そうねえ、私はいまドラマを見てるところだから、お店はこのドラマを見ながらになるのよね。だから、今夜は無料でいいわよ」

こんな思い詰めた顔をした子供からお金を取るわけにはいかない、少なくとも初回は、そう幸恵ママは考えたのだった。

無料と言われて戸惑う女の子を、孝子が「ほらほら、ここに座って」とカウンター席へと招き入れた。

琉宇那はカウンター内に入って、オレンジジュースを出してやった。

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