第2話 空には上がある

「…………」


 魚の跳ねる音も海鳥の鳴き声も無く、凪いだ海上はただただ静かであった。

 余りにも奇妙な風貌の生物の出現に戸惑い、漁師達は眺める事しか出来ない。言葉もなく、困った顔で仲間と何かの間で視線を往復させている。

 クラーケンも恐れない屈強な海の男達だが、未知の事態にはまるで役立たずだった。


 そんな時。突然ハイトの顔が青ざめ、体も細かく震え出した。決して濡れて体が冷えたからではなく、隠せない恐れの表出であった。

 謎の何かが出てきた、鋼の鳥めいた物の方に思い当たりがある事に気づいたのだ。


「なっ、なあ、親父。もしかしてアレ、銀の魔王の手下とかなんじゃ……?」

「あぁん!? んな馬鹿な事ある訳……っ」


 ハイトの疑問を即座に否定しかけたイーサンだったが、途中で固まってしまう。彼もその可能性を疑ったらしい。口を開けたまま、顔色が陰る。

 そして不安は仲間内へ伝播していき、一度は収まったどよめきが戻ってくるのだった。


 銀の魔王。

 それは伝説における敵役であった。

 遥か千年以上の昔、天上の神々の領域から現れた、金属の体を持つ巨大な円盤状の邪神。それが小型の分身を無数に生み出し、あらゆる国の民を襲った。

 その世界規模の災厄には、あらゆる国の人間に加え、火龍ドラゴン、巨人、妖精といったあらゆる種族が協力して抗い、多くの犠牲の果てに退けた、とそう伝わっている。


 ちなみに火龍はその魔王との戦いで極限まで数を減らし、血を残す為に人と交わった。そうして生まれた混血の子供がハイト達の祖先に当たる。

 金の瞳や飛竜が懐く性質、更には熱を操る力

(今まさに被った海水を乾かす為に使っている)などが火龍譲りの特徴であり、伝説が事実である事を示す証であった。

 そして彼らには、祖先である最後の火龍が息を引き取る寸前に言ったとされる言葉もまた伝わっていた。


 ──再び現れるやもしれぬ銀の魔王に備えよ。


 奇しくも明日が彼の火龍の命日であり、毎年行われる儀式と祭りの日。その為の特別な捧げ物としてクラーケン漁を行っていた漁師達である。

 もしやという疑念を抱くのも無理からぬ話であった。


「よしハイト、行ってこい」


 漁師頭の鶴の一声。神話の災厄かもしれない謎の存在の調査は、最年少の見習いに投げられた。

 嫌な仕事の押しつけである。


「はあ!? なんで俺が!?」

「言い出しっぺで一番下っ端だからだろうが!」

「いやここはむしろ一番上が行くとこだろ!」

「これは一人前になる為の試練だ! 男を見せろ!」

「親父はこんな試練受けてねえよな! だったら半人前じゃねか!」

「ああん、父親を半人前扱いとは何事だ!?」


 理屈も何もない。状況にそぐわぬ下らない親子喧嘩になっていく。愚かで無駄な時間だけが流れるばかりだ。


「仕方ねえな! 俺が親父より度胸があるってとこ見せてやるよ!」


 ハイトがいくら抵抗したところで勝てる訳もない。結局は単純な挑発に乗る形で覚悟を決めた。

 最後に馬鹿にした目付きで父親を睨んでから向き直り、愛竜の首筋を撫でる。


「ローズ、ゆっくりだぞ」


 まずは滑空で近付き、ある程度の距離になったら羽ばたきで速度を調節しながら降りていく。

 警戒し、慎重に、じわりじわりと。緊張で息苦しい時間が過ぎていった。


 そして動かなくなったクラーケンの真上、鋼の物体から約翼竜一頭分の距離で姿勢を維持。そして警戒を怠らずに、改めて人型の存在を間近で観察してみる。


 まずは目が合った。

 黒い大きな瞳は光が反射し、星空めいた神秘的な印象を受ける。それに反して小さく薄い唇は固く閉じられており、意識して見なければ見つけられなかった。

 どちらからにせよ感情は読めない。獣や翼竜の顔の方がまだ読み取れる程。だから下手に刺激せず観察を続けた。

 ただ、そうしてじっと見続けていても、情報は増えず、新たな動きもない。それは向こうも観察しているせいなのか。

 とりあえずの危険はないようだ。しばしの睨み合いの末に、ようやく一息つく。


「うん、大丈夫だよな……」


 しかし、そう呟いた直後の事だった。


「Ansnstkr」

「うわう!?」


 眼前の存在が喋ったのだ。

 鞍上で情けない悲鳴を発して飛び上がる。余りの驚きで姿勢を乱し、ローズから落ちかけた。

 

 喋ったとはいえ、意味は全く通じない。だが一方で、獣の鳴き声ではなく、知性を持つ存在の言語だと感じていた。いや、単なる直感ではあるが、ハイトは確信してしまった。

 そもそも服装からも、高い文明を持つのは明らかなのだ。

 だからローズに距離を縮ませ、念の為に銛を手にし、意を決して話しかけてみた。


「あー……アンタ言葉分かるのか?」


 恐る恐る問いかけてみる。

 すると。


「wts ntkiw ni」

「やっぱり無理だ親父ぃ!」


 案の定通じなかった。嘆き、天を仰ぐハイト。

 とはいっても、そこには過去に会った異国人の言動にも近い、通じないなりに伝えようとする懸命さがあった。それだけに余計判断に困る。


 よって考えたのが次の手段。言語以外の意志疎通である。

 大きくにっこりと笑顔を作って、手を振ってみた。

 すると。


「Yukutkn knkiwkdkti」


 相手は指をうねうねと動かしながら右手を素早く上下させたのだった。


「なんなんだよこの手ぇ!」


 訳が分からず頭を抱える。

 異国人が相手と言えど、笑顔と手を振る行為のはある程度通じていたのだが、こんな動作は見た事がない。

 友好的な挨拶なのか、敵対的な挑発なのか。

 出来れば友好的だと思いたいが、軽率で楽観的な判断は他の仲間を危険に晒す。慎重になる必要があった。

 いや、それは言い訳で、単純に恐れているだけなのだろうか。


 助けを求めて上空を見上げた。

 父親を含む漁師達の態度は様々。高度を下げている者や助言してくれる者がいれば、初めより離れている者や情けないと罵る者もいる。父親は後者だ。

 もう無理矢理連れて来てやろうか。

 そう考え、本気で実行しようかと手綱を握り直しーー


「んおっ?」


 顔にかかった波の飛沫に思考を断ち切られた。さっきまで凪いでいたのに、気付けば波が立っている。

 次いで甲高い、耳に痛い音が響く。思わず耳を強く押さえた。発生源は例の鋼の鳥。心中に不信感がよぎり、それが如実に表れた目付きで謎の人型を見る。

 しかしそこには、小さな口を裂けんばかりに開く、初めて表情を変えた顔があった。


「Hnrr!」

「なん……? って、うおわっ!」


 様子の違う叫び声を訝しんだが、たちまちそれどころではなくなってしまった。

 真下ーーずっとピクリとも動かなかったクラーケンがいきなり揺れ動き、海面から浮上してきたのだ。

 慌ててローズに移動をさせようとするも、間に合わずに接触。衝撃を殺せずに人竜もろとも海に落ちてしまった。

 冷たく、深く、慈悲なく命を呑み込む海。

 とはいえハイトは翼竜乗りであると同時に漁師でもある。泳ぎもまた慣れたものだった。


「ぷはっ! …………は?」


 落ち着いて姿勢を整え、体を冷やさないように龍の力で体温を上げ、海面から顔を出す。そしてその瞬間、ハイトは呆気にとられた。


 見上げた空に、クラーケンが浮いていたから。

 

 冗談めいたあり得ない事態だ。しかし、確かにそれは理に逆らって空中に全身を晒している。まるでこれこそが正しい姿であるかのように。

 更に言えば、異変はそれだけではなかった。

 頭の付近が奇妙に変化していた。金属の棒が内部から突き破って生えており、周囲の肌はドス黒く変色。

 これはおぞましいものだ。ハイトは本能的な薄気味悪さで鳥肌が立ち、凍ったように固まった。


 しかし容赦なく変貌は続く。

 クラーケンの体表に無数の膨らみが生まれた。そう認識したのも束の間。

 膨らみから水流が怒涛の勢いで吹き出し、上空で成り行きを見守っていた漁師達を貫いていった。


「親父ぃっ!」


 飛び散った血が青空を通り、海水に混ざる。

 負傷した十人近くが海に落ち、残る者達もふらふらと危ない飛び方をしている。まともに飛行出来ていない、危険な状態。

 そしてクラーケンの体表が先程と同じように膨らむ。もう一度水流を放つ気だ。


「クソッ! ローズッ!」


 愛竜に呼びかけ、急いで飛ぼうとする。

 海に落ちても銛は離していない。それを突き刺してやろうとしたのだ。

 しかし海面に浮いた状態からでは到底間に合わないだろう。必死に背中へよじ登り、手綱を握って羽ばたかせても空へは舞うには時間がかかる。

 仲間を失う事を覚悟した。


 その時。

 一筋の眩い光線がクラーケンの頭に命中した。

 身悶えするように足が暴れる。肉の焼ける臭いが鼻をつく。膨らみがあった箇所からは小川の流れのように水が溢れていた。

 光線は間違いなく深い傷を与えている。


 ハイトは驚愕と畏怖を抱いて発射地点を見やる。

 そこはすぐ近く、海に浮く鋼の鳥の上。通じない言葉を話す何者かが、見慣れぬ滑らかな質感の物体を持って堂々と立っていた。


「Smni krw wtsntkd」


 何もかもハイトには分からない。

 そのはずなのに、不思議と熱く感じるものがあった。


 この何者かは、武器を手に啖呵を切っているのだ。恐らくは自分達を守る為に。

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