第34話

 真っ白に塗り替えられた視界に、段々と色がついていく。

 やがて映し出されたのは、どこかの大通り。周りでは、たくさんの人が行き交い混雑している。そして、真上に広がっているのは、雲一つない青い空。しかし、その全ての輪郭がぼやけていて、細部まではよく見えない。だが、何となく先程通過した町の造形と似ているような。

 自分はその通りを歩いていた。やけに視点が低い気がする。そして何より、体が言うことを聞かない。


「ねえ」


 不意に聞こえてきたのは、少女の声。それも、自分の口から発せられた声だ。


「ア…… シアはどう思う? 屋敷の話」


 声の所々が不鮮明で聞き取りにくい。声の後、顔が勝手に横を向く。


「所詮、あの親共の勘違いだろう。子どもが殺されてるかもしれないなど、バカバカしい。さっさと確認して終わらせる」


 素っ気ない中性的な声で答えたのは、自分の隣を歩く人。顔はよく見えないが、その風貌から察するに男だろう。

 

「ア…… シア、また彼のこと心配してるでしょ?」

「当然だ。兄様は俺の全て。兄様がいないのなら、俺はこの世に生きている意味などない。俺は兄様と共に死にたい」

「すごい意気込みだね。でも、大丈夫だよ。ただの定期検診だし。感情の方にも異常はなさそうだったでしょ?」


 一体何の話をしているのか。


「それにしても、なんだか二人は本当の兄弟みたいだよね。顔もどことなく似てきた気がする」

「本当か?」

「うん。目元とか特に、ア…… シアのお父様とそっくり」


 女が頷くと、男は自分の胸に下げられた何かを大事そうに掴んだ。よく見ると、それは赤い鉱石に紐を通しただけの、首飾りであった。

 と、急に場面が変わる。


「見えてきた」


 女が言う。

 彼女の視線の先には、蝶がひらひらと舞う、美しい花々。真ん中には真っ直ぐに道が続いていて、その向こうには白い壁の大きな屋敷が建っている。

 ここは一体どこだろう。


「今更だけど、書状も出さずにいきなり押し掛けるって、結構礼儀知らずだよね。入れてもらえるかな?」

「家名を伝えれば、嫌でも入れてくれるだろう。家の評判が落ちるかもしれないが」

「それは良くない気がするけど……」


 女はちょっとだけ悩むような仕草をする。


「でも、女の子の命が危ないかもしれないんだし。行くしかないよね」


 二人が歩き始める。

 そして、もう少しで門の前という所。そこで、強い耳鳴りと共に、視界がまた真っ白になった。


「やった……」

「すごい、光が……」


 どこか遠くで、誰かの声が聞こえてくる。


「ママ?」


 今のは、リゼの声だ。

 そう認知した途端、宙を彷徨っていた意識が、自分の体に乱暴に戻された。あまりに急なことで、その変化を実感するのに少し時間を要した。


「ん…… ?」


 思わず発した声は、紛れもなく自分のものだ。


「大丈夫?」

「ああ…… 何か変な幻覚を見たような……」


 結局あれは何だったのだろう。リゼのキョトンとした顔を見るに、今の現象は自分にだけ起こったようだが。

 そういえばと、アドニスは室内が目を覆いたくなる程眩しいのに気づいた。あまりの光に、壁や床が白く染まっている。それで、正面に向き直ってみると、その光源が目に入った。

 

「光…… 成功したのか」


 煌々と輝く白い結晶。その光は天井の穴を突き抜け、天高くへと眩い柱を作っていた。

 

「何してるのアドニス! こっち! 早く!」

「アドニスさん! すごいですよ!」


 壁の穴の側で跳ねる、酷く興奮した様子のペイルとサラ。まるで子どものようだ。

 とにかく、アドニスはそちらに近寄ってみた。


「どうした?」

「いいから、早く覗いてみてよ!」


 ペイルに背中を押されて、アドニスは穴から顔を覗かせる。


「わあ……」

「これは……」


 周囲を色濃く覆っていた冥霧。それが塔を中心に晴れ渡ってきていたのだ。くすんで見えていた家屋や地面に、穏やかな光が差し込み、その鮮やかな色が戻っていく。上の方に視線を転じると、一滴の雫から波紋が広がるように、暗雲を押しのけ青空が姿を現していた。こんな明るい色合いを見たのは久方ぶりだ。

 光は瞬く間に、国の端の方まで広がっていった。今では、ここから数百メートル先の城壁まで、はっきり見通すことができる。

 その現象が落ち着いてからも、皆は無言のまま外の景色に見入っていた。単なる瓦礫の山だというのに。


「み、見た!? 今の!? アドニス! 見た!?」


 ペイルは目を輝かせ、取り乱したような声で尋ねる。


「ああ、見た」

「僕たちが! これ、やったんだよ! ぼ、僕たちだけの力で! 見た!?」

「何回同じことを言うんだ」


 文がめちゃくちゃだ。

 

「そういえば、好きなことを前にすると、人間は騒がしくなると言っていたが。今もそれなのか?」

「そんなものじゃないよ! なんかもう、胸がムズムズして…… とにかく大声を上げてないと気が済まないんだよ! ねえ、サラもそうだよね!?」


 ハイテンションのままペイルがサラに話を振る。しかし、当の彼女は口をぽかんと開け、その目から涙を流していた。


「あ、あれ…… ?」

「なんだ、お前は悲しいのか?」


 アドニスが問うと、サラはハッとしたように涙を拭う。


「い、いえ! その、これは目に埃が入っただけで…… ! 決して泣いている訳では……」


 言葉に詰まったかと思うと、次の瞬間、サラは声を上げて泣き始めた。


「さらに泣いてしまった。お前が何かしたのか?」

「え、嘘、僕のせいだった!? ど、どうすれば!? 僕どうすればいい!?」


 片やしゃがみ込んで泣き喚くサラと、片や混乱して喚き散らすペイル。どうすればいいか聞きたいのは、こっちの方だ。


「リゼに任せて」

「なに? どうにかできるのか、リゼ?」

「うん」


 なんだが自信満々に言うので、アドニスはリゼを地面に下ろしてやった。

 彼女は堂々とした足取りで、サラの方へと近づく。そして、心なしかキリッとした顔でこちらを見た後、その手をサラの頭へと乗せた。


「いい子いいこーー」

「リゼさぁぁぁぁん!」


 何かしようとしていたリゼを、サラは飛びつくような勢いで抱きしめた。そして、その小さな体をがっしりと固定すると、自分の泣きっ面を胸に押しつける。

 なるほど、たしかに彼女の泣き声は小さくなったようだ。

 リゼが顔だけこちらに向ける。とても迷惑そうな顔だ。


「ママ…… リゼ、これいやーー」

「よくやった、リゼ。お前がそんな対処法を知っていたとは」

「え、違くてーー」

「こんな時までっ、私を助けてくれるなんてっ! リゼさんは本当にっ、本当に素晴らしいお人ですっ! ありがとうございますぅぅ!」


 リゼはすっかり閉口してしまい、それからずっと、されるがままであった。

 しばらくして、ようやくサラは泣くのをやめる。リゼの服には大きな染みができていた。リゼは逃げるようにして、アドニスの背中に戻った。


「すみません、お騒がせしました……」


 サラはバツの悪い顔をして、深々と頭を下げる。


「もう、びっくりしたよ。サラがあんな風に泣くなんて。もっと淡白な人だと思ってたのに」

「だ、だから、あれは目に埃が…… !」

「いやいや…… 今更そんな子どもみたいな言い分、どこの誰が信じるのーー」

「なるほど。埃が入ると、人間はあんな風に泣き叫ぶのか」


 既にアドニスは手帳に今の内容を書き留めていた。「いた…… !」と、雷にでも打たれたような物凄い顔をするペイル。

 

「あ、アドニスさん…… それは取り消してください……」

「なぜだ?」

「えっと、その…… 事実と異なるといいますか……」

「なら、何と書けばいい?」


 アドニスの鋭い視線を受けても、サラはしばらく口を固く結んでいた。が、やがて観念したように口を小さく開けた。


「か、感極まって泣いた、と……」


 その消え入りそうな声を、アドニスは復唱しつつ、しっかりとした筆圧で記していった。


「リゼさんも、すみませんでした。私のような大人が、子どもに泣きつくなんて」


 後ろから、リゼがヒソヒソとアドニスに伝言する。彼は頷くと、サラの方を見た。


「もう近づくな、だそうだ」

「えぇ!? そ、そんな…… ! お許しください! どんな罰であろうと、喜んで受ける覚悟です! ですから、どうか…… !」


 リゼは目を合わせようとすらしない。完全にご立腹のていだ。


「あれ、サラがめちゃくちゃポンコツキャラに…… なんか僕たちのいない間に、少し変わった?」

「えっ、いや、そんなことは……」

「それが姫君の本当の姿なのかもしれないよ?」


 空耳だろうか。今どこかからオレスの声が聞こえた。彼は塔の一階で寝かされていたはずだが。


「いやぁぁぁぁぁ!」


 と、突然ペイルが絶叫しながら、千鳥足になって後退りする。

 彼の見開かれた目の先には、壁に空いた穴。そこには、逆さまになった色白の男の顔ーー オレスの顔が映り込んでいた。


「あ、花のおっさん」

「貴様は普通に入ってこれないのか…… ?」

「おかしいな。みんな揃って、彼みたいな反応をしてくれると思ったのに」


 そう言って、オレスは粘性の液体のように、体をニュルニュルくねらせて中へと入ってくる。そして、地面に倒れ込んだと思うと、機敏な動きでアドニスの目の前に直立した。


「やあ、アドニス。やっぱり、君が駆けつけてくれたんだね。夢の中でも君に助けられたんだ。あの時は本当に興奮したよ」

「オレス・ティアーズ。もう動けるのか?」

「もちろん。それに、せっかくの感動のシーンに、僕だけ参加できないなんて寂しいからね」


 オレスはニコリと笑うと、こちらに手を伸ばしてきた。


「また君に会えて嬉しいよ」

「嬉しい…… ? それはなぜだ?」

「決まってるじゃないか。君のことが好きだからだよ。僕だけじゃない、ここにいるみんながね」


 アドニスは皆の顔を順々に見て回った。


「お前たちは俺が好きなのか? 俺と会えて嬉しいのか?」


 ペイルが、サラが、そしてリゼが静かに頷く。

 信じられなかった。今まで、村では除け者にされてきた自分が、誰かに好かれるなんて。アネモネこそが唯一の理解者であったと思っていたのに。皆、単なる友好関係だと思っていたのに。

 

「俺は…… 自分がお前たちにどういう感情を抱いているのかわからない。好きなのかどうかさえも」


 それでも。アドニスはオレスの方に手を伸ばす。


「だが、一人でこの景色を見ることはできなかった。お前たちがいたから、ここまで来れた。だからーー」


 二人の手が握られる。


「ありがとう。一緒にいてくれて」

「それはこっちのセリフだよ」

 

 オレスは握った手を引き寄せると、アドニスを軽く抱きしめた。視界の端で、オレスがリゼにウィンクするのが見える。二人の間に何かあったのだろうか。


「よし、これから急いで灯晶を探しに行こう。期限の三週間を過ぎたら、元も子もないからな」

「そうだった! そもそも、この国に灯晶があるかもわかってないだよね!? 急がないと!」


 ペイルが慌てて下へ向かおうとする。アドニスとオレスが後に続いた。


「あの、待ってください!」


 不意に、サラが大きな声で皆を呼び止める。そして、彼女はおずおずとした様子でこう切り出した。


「も、もう少しだけ、ここから外の景色を眺めていたいのですが…… 皆で…… ダメでしょうか…… ?」


 辺りがしんとする。サラの不安そうな目が徐々に下がっていく。


「別にいいんじゃない?」


 あっさりとそう答えたのは、オレスだ。


「僕ももう少し休憩したいと思ってたし。数分だけなら、誤差の範囲でしょ」

「そうだね。確かに、僕もクタクタ。まだ身体中痛むし」

「リゼも疲れた」


 ペイルとリゼも賛同する。


「わかった。なら、俺は一人で探してこよう。俺はオートマタだから、休む必要もないーー」

「ママも一緒に見よ?」


 下に降りようとするアドニスを、リゼが引き留める。


「そうそう。こういうのは、みんなで見ることに意味があるんだから」


 ペイルがそう付け加える。

 オートマタであるアドニスには、そういう機微を汲み取ることはできていなかった。


「そうなのか。ごめんなさい、察しが悪かった」

「謝ることじゃないよ」


 アドニスは改めて皆の下へ戻る。皆が揃うと、サラはパッと明るい顔になって頭を下げた。


「皆さん、ありがとうございます…… !」

「まったく。毎度のことながら、姫君は世話が焼けるね」

「き、貴様、その変な呼び方はやめろと言っているだろう!」


 オレスは悪びれた様子もなく、肩をすくめた。

 皆が同時に穴から顔を覗かせる。さすがに五人だと窮屈で、隣同士肩がぶつかってしまう。それでも、誰一人嫌な顔はしている者はいない。ただ、全員がうっとりした心地良さそうな表情をしていた。

 アドニスを除いて。


「そんなにこの景色には見る価値があるのか?」

「まあ、これを何も知らない第三者が見ても、何の感慨も湧かないだろうね。だって、ただの瓦礫の山だし」


「でも、僕たちにとっては違う」と、オレスは外を見ながらさらに続ける。


「あの気色の悪い根っこも、倒壊した屋敷も。僕たちの苦難と努力の記憶が重なって、深い色味を添えてる。それと天からの柔らかな光。あれはそうだな…… 僕たちの勝利を象徴してるとか」

「よくわからん」

「そうだね。僕も適当なこと言った。本当はそんなこと一々考えてないよ。それに、一番重要なことは……」


 外を見据えるオレスの横顔に、温かいオレンジ色の光が差した。

 もうとっくに日の出の時間帯は過ぎている。が、冥霧の暑い壁から太陽が顔を出したのは、今まさにこの瞬間だ。


「君と一緒に、この景色を見れていることさ。ね? お嬢さん」

「うん……」


 なんだか曖昧な答えが後ろからした。

 確認してみると、リゼは目蓋を閉じ、頭をこくりこくりと揺らしていた。安心し切った表情だ。

 アドニスは彼女が落下しないよう、その体にそっと手を添えてやる。


「おっと、子どもの睡眠を邪魔しちゃいけないね」


 これ以上話すことはないと、オレスは外の景色に集中しだした。


「…… やはり、俺にはよくわからん」

「アドニスだったら、すぐにわかる日が来ると思うよ。だって、その子のママにだってなれたんだから。僕なんかじゃ、絶対親は務まらないもん」

「そうです。それに、私たちで良ければ、全力でサポートします。だから、何か困ったことがあれば、いつでも頼ってください」


 ペイルに続いてサラが、微笑みながらそう言った。

 自分に感情があったなら、今この瞬間、どういう気持ちが湧き上がるのだろう。嬉しいのだろうか。わからないし、わかりたいとも思わない。なんせ、そういう欲求もないのだ。だが、なんとなく、今自分が取るべき行動が何かはわかった。

 アドニスはぎこちなく口角を上げる。できあがったのは、例の下手くそな笑み。


「そうか…… お前たちは良い人間だ」


 皆は小さく笑い声を漏らす。嘲りのない、純粋な笑みだ。皆が外に視線を戻すので、アドニスもそれに倣った。

 相変わらずの瓦礫の山。他に感想は浮かんでこない。やはり、自分が感情を得るには、まだまだ道のりが長そうだ。

 アドニスは自分の胸を軽く手で叩いた。硬い音が鳴る。


「変わらないか」

「いい音じゃないか。まだまだ色んな物が詰め込める音だよ」


 オレスが独り言のように言う。そういえば、他者からこの音の感想をもらうのは初めてだ。中々に新しい解釈だ。


「…… そうだな」

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