第31話
もう一体のムカデが、アドニスに狙いを変え、その鋭利な牙で襲いかかる。
しかし、その程度で今の彼は仕留められない。
「リゼには指一本触れさせない」
アドニスは振り向きざまに、ムカデの頭部目掛けて爪を突き出した。
その頭部は、彼の爪に触れた先から、岩にぶつかる水流の如く二つに裂ける。ムカデは彼を攻撃したはずが、その実、彼に核を捧げているだけだった。分厚い肉の中で、球状の核が潰される。
「他愛もない」
ムカデが死んだのを確認して、アドニスは振り返る。ちょうどそこへ、リゼが飛び付いてきた。
「ママ……」
今にも泣き出しそうな声。
「リゼ、怪我はないか?」
「うん……」
確かに、目立った外傷はない。
「そうか」
「もうリゼを一人にしちゃだめ…… どこにも行っちゃだめ……」
「わかった」
感情がない故、不器用なアドニス。ここぞという所で、上手い言葉が浮かんでこない。声も相変わらずぶっきらぼうだ。
しかし、二人にとって、そんな小難しいやり取りは不要であった。変に飾らなくて良い。
「お前の残した書き置きのおかげで、この場所がわかった」
「本当?」と、リゼが上目でこちらを見る。瞳は涙で潤んでいるが、ギリギリ零れてはいない。
なんだか、久しぶりに彼女の顔を見た気がする。少し大人びただろうか。肩に乗ってる丸い冥獣はなんだろう。
「リゼ、役に立った?」
「ああ、よくやった」
アドニスの手は無意識の内に、リゼの頭へと向かう。彼女はそわそわした様子でそれを待つ。
しかし、彼の手が彼女の頭に触れることはなかった。
「アドニス! 塔の方から、そっちに誰か近づいてきてる!」
上空で索敵をしていたペイルが叫んだ。
塔の方からゆっくりとした歩調で向かってくる、フード姿の人。身長はリゼより少し高いくらいか。
「フヒヒっ…… やっと、やっと会えました」
「誰だお前は?」
「嫌ですね。アパテーちゃんですよ」
まるで知り合いであるかのような口振りだ。
「知らない名だ」
アパテーは二、三メートル前で立ち止まる。
すると、おもむろにフードをめくった。明らかになる彼女の顔。
「これでどうです?」
「いや、知らない」
きっぱりと言う。本当に知らないのだ。
アパテーは小さく息を吐くと、またフードを被る。
「まあ、そういう反応になるのはわかってたんですけどね。それに、あなたにはもう、み〜んな失望してますから」
一方的に何なのだろう。掴みどころのない奴だ。
「お前は…… 冥獣なのか? あれらと似たような雰囲気があるが」
「やめてくださいよ。あんな紛い物の子と一緒にするのは」
少し苛立ったような語調。
だが、他の冥獣と同様に、核がある気配がするのだ。異なる点は、核の正確な位置がわからないこと。
アパテーはぷいと後ろを向くと、塔に向かって歩き始める。
「おい、どこへ行く。お前は何者なんだ?」
「答えてあげてもいいですよ。でも、やっと主人公が来たんですから、早く物語を始めないと。話はその後に、ゆっくりしましょ」
さっきから話について行けない。アパテーが敵かどうかも不明だから、無闇に攻撃することもできない。
敵意はなさそうだし、放って置くべきか。
「リゼ、他の二人はどこだ?」
「花のおっさんはそっち。矢のおばちゃんはーー」
家の方を指した後、リゼは塔の方を向いた。
矢のおばちゃんーー サラのことか。
「あっち」
「塔? 中にいるのか?」
「うん。でも、扉が閉まっちゃってーー」
「はいはい、皆さんご注目」
アパテーの陽気な声。
「この塔の最上階に、あなたたちが灯晶塊と呼ぶ物があります」
「なに? 本当か?」
「はい。で、それに光を灯すことができれば、あなたたちの勝ちです。できなかったら、負け。わかりました?」
それだけ告げると、アパテーはすぐ横に生える大樹に口を近づける。
「待て、さっきから一体どういうーー」
「さあ、今からあなたは、この塔の守り神です。塔に侵入しようとする悪者たちから、灯晶塊を死ぬ気で守ってください」
アパテーは大樹に話しかける。気でも狂ったのか。
地面が大きく揺れ動いたのは、その直後だった。
「地震か?」
揺れはどんどん強くなる。その地鳴りに混じって、別のおどろおどろしい音が聞こえてくる。
「何だこれ!? 大変だ、町が!」
ペイルが叫ぶ。
アドニスも気づいた。町全体に蜘蛛の巣の如く広がる根っこが、一斉に鳴動し始めたのだ。それはうねりながら、周囲の家を次々に破壊していく。
この場に留まり続けるのはまずい。
「リゼ、俺の背中に」
「うん」
アドニスは急いでリゼを背負うと、路地裏へと急いだ。そこにはオレスが倒れていた。
「オレス・ティアーズ。生きてるか?」
「どうだろうね…… 死んでるかもしれない…… 随分前から、そんな気が……」
あまり呂律の回っていないオレスを抱え、高い建物の屋根へと上がった。町並みが眼下に一望できる。
根は広場を残して、町のほぼ全域を埋め尽くしていた。家屋は流動する根に流され、荒波に揉まれる船のように浮き沈みを繰り返す。浮かんで来た頃には、それらは石と木の破片へと分解されていた。
「ママ、なんか動いてる」
リゼに言われて、アドニスも気づいた。
今度は目の前の大樹が動き出したのだ。それに合わせて、塔の半分以上が樹皮で覆われていく。
「あれは…… 冥獣?」
枝同士が絡み合って四つの腕となり、上部の方には頭が作られる。それは木の巨人であった。
アパテーはそれの手のひらに乗ると、こちらと同じ高さの所で止まった。
「この子の名前はそうですね…… プロロゴスちゃんにしましょうか」
そう名付けられた巨人は、低くおぞましい産声を町に轟かせた。
「ようやく、物語が動き始めましたね」
すぐ近くにラードーンが着地する。
「や、やばいよ! どうするの、あれ!」
慌てふためくペイル。
「って、オレス・ティアーズ! あれ、でも、サラは!?」
「どうやら、あの塔に閉じ込められているらしい」
オレスの体をラードーンに乗せながら、アドニスは言う。
「何であれ、あいつを倒せば、灯晶塊に光を灯せられる」
アドニスは真っ直ぐ前を見据える。
「俺たちの目的の一つは、もう目の前だ。あいつを倒す。今ここで」
アドニスの頭に後退の選択肢はなかった。
「リゼ、お前もラードーンにーー」
「リゼも一緒に戦う」
初めて聞くような、リゼの凛々しい声。
「リゼ、一人でおっさんたちを助けれたから。絵も描けたから。絶対役に立つ」
「いいだろう。お前の力があれば、負ける要素はない。絶対に振り落とされるなよ」
「うん…… !」
リゼはしっかりとアドニスにしがみついた。さらに、黒い冥獣がロープ状になり、二人を縛る。
「あの、僕はどうすればいい…… ?」
「ペイルは、ラードーンに乗ってあの巨人の動きを牽制しつつ、周囲の状況を調べてくれ。他にも冥獣がいるかもしれない」
「でも僕、遠距離の攻撃はできないんだけど……」
「…… 頑張れ」
「急に適当! もっと指示ちょうだい!」
別にアドニスは策士でも何でもない。むしろ、戦略とかを考えるのは苦手な方だ。他にかける言葉はない。
そう思ったが、ふと一つの言葉が浮かんだ。こんなことを言って、何かが変わる訳でもない。それでも。
「ペイル、死ぬなよ」
ペイルの青ざめた顔が、一変してぎこちない笑みへと変わる。
「君もね…… !」
ラードーンが飛び立つ。
と、アドニスのいる建物に向かって、巨人の拳が飛んできた。何という大きさ。彼の身長を優に超えている。
それが目前に迫った時。彼は大きく上に飛ぶ。そして、巨人の拳に乗ると、足元に爪を突き刺し、そのまま前進を始めた。簡単に抉れていく、硬い樹皮の装甲。
しかし、爪が通り過ぎた側から、樹皮は瞬く間に修復されていく。
「異常な再生能力。やはり、こいつも冥獣の類か」
とすれば、弱点となる核があるはずだ。
「だが、なぜだ。核の場所がわからないーー」
「ママ、前!」
リゼの警告。
巨人の腕から幾多の枝が飛び出し、それらがアドニスを串刺しにしようとしていた。
「リゼ、しっかり掴まってろ」
「うん」
アドニスは一気に加速し、枝の密集陣形へと飛び込んだ。右手の一振りで正面を突破。身を
「右手以外も攻撃手段にはなるが、かなり力が劣る」
基本的には右手を主軸に戦闘をした方が良さそうだ。
それにしても、体が軽い。今までの自分なら被弾していたであろう攻撃にも、簡単に対応できる。身体能力が格段に上がっているようだ。
長い巨人の腕を駆け抜けていくアドニスは、まさに疾風であった。迫り来る枝の大群は木っ端微塵に、降り注ぐ巨大な手のひらは彼の後方に。彼を遮る物はない。
「図体がでかい分、動きは遅い。枝の攻撃も脅威ではない」
「あれ弱い?」
「いや、まだわからん。だが、俺たちは強い。それは確かだ」
上空では、ラードーンが巨人の二本の腕と追いかけっこを繰り広げている。ラードーンは見事な旋回で、追跡を躱している。時々、ペイルの絶叫が聞こえてくるが、大丈夫だろうか。
「矢のおばちゃん、助けられるかな?」
「ああ。全員守る」
巨人の肘辺りに達した時だった。
不意に足場が消える。巨人が自分の腕をめちゃくちゃに振り回したのだ。
「わっ」
急速に下降が始まる。地面までそこまで距離はないから、着地に問題はない。
が、一度離れた腕が、真上から凄い勢いで戻ってくる。
「揺れるぞ」
「うん」
アドニスは巨人の腕の底面を蹴り飛ばすと、その勢いで斜め下へと飛ぶ。その際、体を捻って横回転を加えた。その勢いに任せ、爪で巨人の腕の表面を削りながら進む。これにより、叩き落としを間一髪で免れているのだ。
攻撃範囲を脱し、そのまま彼は広場へと着地する。
「リゼ、大丈夫か?」
「うっ…… うん……」
喉に何か詰まったかのような、変な声が聞こえたが。気にかけている暇はない。
「このまま奴の懐に入る。ああいうのは、接近戦に弱いはずだ」
ただ、問題はアパテーがいるということ。彼女は巨人の肩で傍観を決め込んでいるが、いつ何をしてくるかわからない。あの
それでも、アドニスは前進を選んだ。巨人の足元まではもう少し。頭上から降って来た拳を避けると、彼は一気に間合いを詰めた。
両手両足を使い、幹を駆け上がっていく。
「やはり、核の位置がわからない。それなら……」
巨人はアドニスの進路を塞ごうと躍起になる。しかし、当初の思惑通り、巨人の攻撃は先程よりも単純になり、避けやすい。
そのまま膝、腹、胸を通り越し。
「お前から情報を聞き出すまでだ」
アパテーまでは、もう手の届く距離。彼女は未だに身動き一つしない。
「フヒヒっ……」
ただ、あの人を小馬鹿にするような笑いを上げるだけ。
「そんなに笑って、一体何が嬉しい?」
アドニスが手を伸ばす。アパテーの首根を狙って。
しかし、突如として巨人の首の辺りから、極太の枝が飛び出して来た。
「さっきの細い枝はフェイクか……」
枝は一瞬の内に五つの指を作り出し、アドニスを鷲掴みにする。枝の伸びるスピードは衰えることを知らず、彼を巻き込み、勢いよく真下へと向かっていく。そして、地面へと激突した。
その破壊力は、周囲の石畳に大きな亀裂が入る程。しかし、アドニスは手とは別の位置にいた。
「何かあると予想しておいて良かった」
少し遅れて、バラバラと木製の指が落下してくる。巨人の手に掴まれる前に、その指を全て切断し、アドニスは早々に手の中から脱していたのだ。
その手は一度きりの攻撃だったらしく、巨人の首元から切り離され、下へと落ちて来た。
「体の一部を使い捨てにするとは。あれだけの体積、いくらなんでも再生が追いつかなくなるはずだが」
冥獣もそう簡単に体を再生できる訳ではない。損失した部位の複雑さ具合や、損失範囲の広さに反比例し、再生速度は落ちるはずなのだ。普通の冥獣はそうであった。
「あれが冥獣だとすれば、何か秘密があるはず」
巨人を注意深く観察している時だった。
「ママ、見て」
リゼが言う。
周りを見てみると、いつの間にか、あの丸い冥獣の群れが広場を取り囲んでいた。
「丸い冥獣…… さっき橋を渡っていた奴らか」
「ミロの友達」
「ミロ?」
「この子」と言って、リゼは二人の腰に巻き付いている冥獣を指差した。確かに、紐状に変形する前は、同じような姿であった。
「こいつらは一体なんだ?」
「わかんない。でも、花のおっさんが、人間かもしれないって」
「人間…… ? 随分丸くなっているが」
と、いきなり巨人がけたたましい奇声を発する。先程とは違う、悲鳴のような声だ。
その四つの腕はすっかり攻撃を止め、頭痛でも堪えるように頭を押さえる。さらに、頭をブンブンと振り回す。まるで何かを嫌がっているようだ。
「何が起こっている?」
巨人の声を発端に、今度は周りの冥獣たちが動き出した。それらは互いに重なり合うと、人間のような姿になる。そして、ゆっくりと巨人の方へと向かっていく。
状況がまるで飲み込めない。
「よくわからんが、攻撃をしてこない今がチャンスだ」
そう思い、巨人の方へ走り出そうとした。
だが、直前でアドニスはなぜか飛びのいた。そんな彼の足元で、何かが地面を突き破り、彼の鼻の先を掠めていく。
根だ。太い木の根が飛び出して来たのだ。さらに、真横でも根が生えてきて、彼は反射的に左手でそれを破壊しようとする。
しかし、彼はすぐに手を引っ込めた。
「これは……」
根に触れた箇所が、ドロドロと溶けていたのだ。思考を巡らせると、再び結晶は生えてきたが。
「灯晶術の力を吸収された?」
根は至る所で伸び上がっている。あれに触れてはいけない。
「アドニス! 今行くよ!」
頭上からペイルの呼ぶ声。見上げると、ラードーンがこちらへ降下してきていた。
アドニスは増え続ける根の間を掻い潜り、丸い冥獣を飛び越え、家屋の二階へとよじ登る。すぐ下から追ってくる根。彼は屋根に着くと同時に、振り向きながらジャンプし、手を高く挙げた。すると、ちょうど手のひらに、ラードーンの足首が収まる。
「大丈夫!? 間に合った!? 生きてるよね!?」
「ああ、助かった」
根は家屋の屋根を越えると、それ以上伸びなくなる。あまり長くはないようだ。だが、真下はあっという間に、うねうねだらけに。
アドニスはすぐにラードーンの背の方へ登った。
「よかった…… にしても、一体どうなってるの? 巨人は急に頭を抱え始めるし、下は黒い冥獣がうじゃうじゃだし」
「わからん。リゼは何か知ってるか?」
尋ねるが、返事はない。
「ミロの友達……」
リゼの沈んだ声。
下にいる冥獣たちのことか。人間のような姿で、まるで巨人に戦いを挑むかのように、向かって行っている。だが、その尽くが根に絡み取られ、呆気なく溶かされていく。
両者は敵対関係にあったようだが。なぜ丸い冥獣はあんな無謀な真似をしたのか。なぜ巨人はそれを嫌がるような素振りを見せたのか。
「あの女は物語がどうとか言っていたが。何かそれと関係があるのか?」
「単なるヤバい人の狂言だと思うけど。それに、あれに何か意味があったとして、僕たちには関係ないんじゃない?」
「たしかに、そうだな」
ペイルの言う通りだ。今は巨人を倒すことに専念しないと。
だが、なぜだろう。下で起きている光景から目が離せない。一度同じような光景を見たことがあるような。丸い冥獣ののっぺらぼうな顔に、ないはずの口がぱかりと開いて、何かを巨人に向かい訴え始める。表情もないのに、全員が非難をしているのだと理解できた。
「なんだ…… 俺は何か……」
「あっ、ミロ! だめ!」
リゼの切迫した声で、思考が中断される。
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