第16話

 赤い竜は素早く旋回すると、二、三メートル先で停止する。


「お前、竜になれるのか」

「どこ見てんだよ! 俺はこっちだ!」


 声の方に目を凝らすと、竜の頭部で何かが跳ねていた。そこにいたのは、いつも通りの姿のアルネブだ。


「みんな! 早く飛び乗って!」


 ローザの掛け声を合図に、後ろからドタドタと足音が迫ってくる。


「さっさと乗れ、坊主! やばい状況なんだろ!?」

「ああ」


 アドニスはリゼの背中を押さえる。


「行くぞ、リゼ」

「うん」


 アドニスは勢いよく空中に飛び出した。そして、ゴツゴツとした竜の背に着地する。


「なあ、俺を見捨てたんじゃなかったのか?」

「そんなことするわけねえだろ。あの時は、色々可能性が考えられたからな。相手の要求を呑むフリをしてただけだ」


 どういうことだろう。

 振り向くと、既にサラが飛び移る最中だった。


「副隊長も急いでください!」


 サラが呼びかけるが、中々ローザは姿を現さない。壁の穴は斜め上にあるため、ここから見えるのは穴の付近だけ。

 と、突如穴の向こうで轟音が鳴り響き、大量の砂埃が溢れ出してきた。


「爆発!? おいおい、中はどうなってんだ!?」

「まさか、奴の灯晶術が…… !」


 サラが目を剥いて立ち上がる。


「いやぁぁぁ! 助けてぇぇぇぇ!」


 砂埃に紛れて降ってきたのは、ペイルの悲鳴。

 どこだ。

 視線を動かすと、砂埃の中に彼の姿がチラリと映る。だが、どう見てもここまで飛距離が足りていない。

 

「サラ・フラム、リゼを頼む」

「えっ、はい!」


 アドニスはリゼをやや強引に引き離すと、竜の背中を走る。そして、迷うことなく前に飛んだ。


「掴まれ」


 ペイルが懸命に手を伸ばしてくる。そして、どうにかアドニスの手を掴んだ。

 彼はそれを確認すると、すぐさまもう片方の手で竜の尻尾を掴む。尻尾はある程度まで下がると、そこで大きくうねり、落下が収まった。流石に重かったらしく、竜は苦鳴のような高い声を漏らす。


「二人とも、大丈夫ですか!?」


 サラが顔を覗かせる。


「もう無理……」

「こっちは大丈夫だ。それより、他の奴は?」

「まだ穴の向こうに…… あ、誰かこちらに!」


 声の後、真上を何かが通り過ぎる。辛うじて、緑色の長い髪だけが確認できた。


「貴様、なぜ…… 副隊長はどうした!」


 サラが問いただすが、オレスから返答はない。


「答えろ! ローザ副隊長はーー」

「モフモフ隊長! 出発してください!」


 ローザの声だ。振り向くと、彼女は穴の縁に佇んでいた。


「お前さんはどうするんだ!」

「私は大丈夫です! 早く!」


 なぜだ。その位置からなら、簡単に飛び移れるはず。なぜそうしない。


「副隊長、早くこちらに!」


 サラが催促しても、ローザはその場から一向に動こうとしない。


「ちっ、わかったよ…… ! お前さんたち、掴まってろ! 振り落とされるなよ!」


 竜が一気に前進を始める。強風が全身に吹きつけ、尻尾が大きく上下に激しく揺れる。

「副隊長!」と叫ぶサラ。離れ行く、ローザの姿。


「なぜだ? なぜこっちに来ない? エルピスの外側を見るんじゃなかったのか? それなのに……」


 竜が少し上昇した時、牢屋の全体が見えた。そして、気づく。

 ローザの下半身には、黄緑色の結晶がまとわりついていた。それは徐々に上へと上ってきている。彼女の真後ろから近づく、あの男。

 彼女はその顔に満面の笑みを浮かべると、大きく手を振った。


「いってらっしゃい!」


 アドニスはただ、ローザの姿を眺めることしかできない。

 竜のスピードはかなり速い。あれだけ大きかった穴が、もう黒い点のように見える。ローザの顔も見えない。

 しばらく同じ場所を見つめていたアドニスは、ふと気づく。第一層の壁の隙間から、何かキラキラとしたものがこちらに飛来してくる。


「ん、何か……」


 結晶だ。いくつもの結晶が、高速で放たれているのだ。この状況で被弾するのはまずい。


「いやだぁぁぁ! 死にたくないぃぃぃ!」


 暴れまくるペイルのために、右手は塞がってしまっている。結晶を防ぐのは無理だ。それに、蝶の紋様が反応している。結晶は吸い込まれるように、アドニスに向かってきた。

 が、それらは彼に当たる前に四散して、下に落ちていった。


「アドニスさんたちには当てさせない」


 上を見る。竜の背の方からは、複数の結晶が飛び出していた。それらは、こちらを狙う結晶群を尽く撃ち落としていく。


「お前さんたち、そのまま頼むぞ!」

「お任せください!」


 次々と撃墜される結晶。だが、流石に向こうの方が数が多い。雨あられの如く迫る結晶のいくつかは、サラたちの迎撃をすり抜けていく。


「撃ち漏らしたやつは任せろ!」


 竜は縦横無尽に飛び回り、それらを巧みに躱していく。だが、尻尾の方は尋常でない揺れだ。遥か下の町並みから、雲一つない大空へと、視界が目まぐるしく変わる。

 やけに静かだと思ったら、ペイルは気を失っていた。


「ハッ! 俺の天才的な騎竜術きりゅうじゅつが火を吹くぜ! って、うおっ、危ねえっ!」


 急に竜が九〇度横に傾く。

 すると、アドニスの頭上が灰色に覆われた。同様の現象が反対側でも起こる。


「なんだ」


 その疑問は、体の芯が揺さぶられるような、異様に低く引き伸ばされた音によってかき消される。

 竜が少し下降すると、今度は人の顔が目に入った。上でも下でも、何人もの顔が、目を皿にしてこちらを見ている。その不思議な光景は十秒程続いた。

 竜がその域を突き抜ける。そして、ようやく全貌が明らかになった。


「生き物?」


 それはとてつもなく大きな二頭の生物であった。

 ヒレがあるが魚のようには見えない。おそらく、第三層の外壁で見た、あの楕円形の生物だ。そのすぐ下には同じ大きさの木船があり、ロープでその生物と繋がっている。


「隊長! もっと安全なルートをお願いします!」

「すまねえ、前見てなかった……」


 一歩間違っていたら大惨事だ。

 時間が経つにつれ、相手の攻撃はさらに激化していった。壁からの攻撃に加えて、何頭もの竜が追いかけてくる。なんとか凌いではいるものの、限界は近い。


「二層を抜けた! 三層の壁までもうすぐだ!」


 アルネブの言葉通り、真下の壁を越えると、そのさらに下に新たな大地が現れる。

 あれが第三層。半分以上が二層の影になっていて、光が届いていない。光の当たる外縁部は、森に覆われている。なんだか全体的に廃墟のような町並みだ。


「このまま突っ切るぞ! それまで持ち堪えろ!」

「はっ!」


 竜がさらに速度を上げる。

 もう少しだ。外へ出られる。ローザを置き去りにしたまま。

 なぜだろう。前進しているのに、後ろから見えない力で引っ張れるような。妙な感覚に襲われる。彼女の最後の姿が頭から離れない。これでよかったのか。

 アドニスが何となく後ろを向くと、はもう目前に迫っていた。


「なっ」


 腹に何かが突き刺さる。それでも勢いは止まらず、それは竜の胴体をも貫いた。

 竜の短い声の後、緩やかに下降が始まる。


「赤い槍、被弾しました!」

「くっ、ネレウスのじじい、やりやがったな…… !」


 二人の言葉で思い出した。今も深々と刺さるこの赤い槍は、あの老騎士のものだ。


「操縦が利かねえ! お前さんたち! 急いで降りる準備だ!」

「ですが! アドニスさんが!」

「なに!? 坊主! 生きてるか!?」

「ああ。だが、腹に槍が刺さって抜けない」


 右手が使えないから、どうしようもないのだ。


「待ってろ!」


 竜の背中から、アルネブが姿を現す。彼はアドニスの肩に乗り、槍の状態を調べる。


「あいつの狙いはお前さんだ。何としても息の根を止めたいらしい。モテモテだな」

「モテモテとはなんだ?」

「そりゃあ、俺みたいな奴のことだ」


 アルネブが槍に手をかけて踏ん張る。


「ちっ。この体勢じゃ上手く抜けねえ。へし折るしかねえな」


 アルネブは拳に赤い結晶をまとわらせると、背後に回った。


「くそっ! 無駄に! 年季の入った! 硬え結晶だな! 骨はスカスカのくせに!」


 文句を言いながらも、一発毎に、槍は確実に削られていっている。腹には物凄い振動が伝わる。


「師匠」

「なんだ? あんまり気を散らすんじゃねえぞ。怒り以外の感情はパワーに影響がーー」

「もう一本来る」

「は?」


 肩からアルネブが顔を出す。

 二人が見据える先。第一層のさらに上。城のような大きな建物から、赤い閃光が見えた。


「隊長! また攻撃が!」

「わかってるよ! くそっ! さっさと折れやがれ!」


 アルネブは慌てて作業を再開する。だが、果たして間に合うのか。

 

「おい、このままではお前も死ぬぞ」

「黙ってろ! もう折れる!」


 硬い音が何度も響く。赤い光の筋がこちらに伸びる。


「俺は頭か胸が粉砕されなければ、死にはしない。だが、お前は違うだろ?」

「ハッ! 坊主のくせに俺の心配かよ」

「事実を述べただけだ。二人とも死ぬ必要はない。それに、オートマタを助けて何になる」

「ったく! 少しは成長したと思ったが、お前さんはまだまだバカやろうだぜ!」


 アルネブが拳を天高く振り上げ、思い切り槍をぶん殴った。

 陶器が割れるような高い音。途端に体の自由が戻る。が、今度は彼に肩を掴まれた。


「このバカとペイルを頼む!」

「隊長はどうするおつもりですか!?」

「あ? 決まってんだろ!」


 アルネブはアドニスたちを竜の背に乗せると、振り返り空中に飛んだ。


「弟子たちを守るんだよ! それが師匠ってもんだろ!」

「待て、どうして……」

「お前さんがオートマタだとか、そんなことは関係ねえ! お前さんはもう、プロメテウス隊の仲間だ!」


 アルネブの姿が遠ざかっていく。

 いや。まだ届くはずだ。

 アドニスは体を起こすと、夢中で走り出す。しかし、後ろからサラに押さえつけられた。


「だめです、アドニスさん! もう届きません!」

「だが、このままじゃ師匠が……」

「仮に届いたとしても、あの攻撃を防ぎきれません! 隊長の思いを無下にしないでください…… !」


 サラの押し殺したような声に、アドニスはもがくのを止めた。

 全然自分らしくない。無意味に出しゃばって、自分の命を投げうとうとするなんて。合理的でない。違う。そもそも自分が無力じゃなければ、この事態は回避できたのだ。

 思考がぐちゃぐちゃになる。そんな彼の視界の中で、アルネブと赤い槍が激突した。


「師匠……」


 直後、足場が大きく揺れる。


「このまま行けば、竜は三層の壁に突っ込みます! その前にここから飛び降り、外に向かって走ってください! 止まったら終わりです!」


 サラが伝え終えると、入れ替わりでオレスがやってきた。彼の腕にはリゼが抱えられている。


「あんまり心配をかけちゃだめだよ」

 

 そう言って、オレスがリゼを手渡す。彼女は悲しそうな目でこちらを覗く。


「ママ、お腹…… 痛くない…… ?」

「このくらい他愛もない。それより、俺の肩を絶対に離すな。いいか?」

「うん」


 アドニスは進行方向に目をやる。

 三層の壁まで、もう百メートルは切っている。高さはもう、こちらを見上げる人々が確認できる程だ。

 彼は倒れたままのペイルを脇に抱えると、後ろから飛んでくる結晶を片手で破壊していく。

 

「もう間もなくです! 準備を!」


 サラからの合図。

 三人は竜の先頭に着いた。


「三、二、一…… !」


 三人が一斉にジャンプする。慣性が働き、予想以上の勢い。だが、おかげで壁の手前に引っかかることはなさそうだ。

 アドニスは両足で壁のてっぺんへと着地した。一拍遅れて、壁に竜が衝突する。

 

「さあ、急いで!」


 先にサラが壁を下り始める。

 尖った結晶を作り出し、巨大樹を下りる要領で、少しずつ下に向かっていく方法だ。彼女はかなり手際が良い。

 アドニスとオレスも後に続く。


「なんだ今の音は!?」

「おい、壁の外に誰かいるぞ!」

「脱走者かもしれん! 奴らを捕まえろ!」


 下にたどり着き、走り始めると、壁の内側から響く多くの胴間声。やがて、後方から大量の騎士たちが追いかけてくる。


「彼らはまだ何が起こっているのか知らないから、無闇に攻撃はしてこないはずです!」

「なら、このまま進めば……」


 前方に広がる、あの真っ暗闇へと入れる。

 だが、そこに入ってどうするのだろう。未だ無力な自分に何ができる。現に、手の届く場所にいた二人も助けられなかったではないか。


「あれ? あそこに誰か立ってる」


 オレスの言葉で我に帰る。

 確かに、冥霧との境界線付近に、こちらを見る人影。


「アルカ特別機動隊隊長……」


 サラが絶望したように言う。


「やあ、三人とも久しぶり。そっちの長髪の人は初めましてかな?」


 気さくな感じで話しかけてくるアルカ。一体何が目的なのだろう。

 彼の目がこちらを向く。優しげな眼差しだ。


「君、生きてたんだね」

「ああ。一度死んだようなものだが」

「なるほど……」


 アルカは訳あり顔で頷く。


「その子も元気そうで何より。柄にもなく、あの怖いおじいさんに頭を下げた甲斐があったよ」

「そうだった。リゼを助けてくれてありがとう」


 アドニスは頭を下げる。


「いやいや。あの時は君を助けられなかった。むしろ謝りたいくらいだよ」

「あの、アルカ隊長はなぜ……」


 痺れを切らしたらしく、サラが恐る恐る尋ねる。


「ああ、ごめんごめん。長引かせると、どっちのためにもならないよね。お見送りがバレたら、僕も処刑されちゃう」

「どういうことですか?」

「今言った通り。僕に敵意はないよ」


 アルカは両手を挙げてひらひらと振った。


「結論から言うと、最大で三週間」

「何の話だ?」

「アルネブとローザの死刑を延長できる限界さ。それ以上はたぶん無理」


 なぜアルカがその事を。死刑の話はもう決定事項だったのだろうか。

 いや、今はそんな細かいことはどうでもいい。


「今の話、本当か? 本当に、それまであの二人は死なないのか?」

「うん。今度こそ、約束するよ」


 アルカの目に嘘は見えない。


「君にとっても、二人は大事な存在でしょ? 険しい道になるとは思うけど、君が二人を助けるんだ。元々君が蒔いた種だしね」

「大事かどうか俺にはわからない」

「なら、助けない?」

「いや…… やってみる」

「お話中悪いけど、もう行った方がいいと思うよ」


 後方を確認していたオレスが時間切れを告げる。


「じゃあ、みんな必ず戻って来てね。特にアドニスとは、後で沢山話したい事があるんだ」

 

 気楽に手を振るアルカに見送られ、アドニスたちは冥霧の中へと入った。僅かな希望を携えて。

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