第14話

 牢内は、身じろぐ音すらうるさく聞こえる程に、しんとしていた。

 アドニスはリゼが眠ったのを確認すると、音を立てないようにして、通路の方に向き直る。


「なあ、俺は殺されるのか?」


 視線の先にいるサラは、うつむいたまま口を開ける。


「私には何とも…… しゅ、全てはアルネブ隊長が決断なさることです」


 サラがこんなにも噛まずにアドニスと口がきけるとは。いや、今はそんな事に気を取られている場合ではない。

 自分は窮地に立たされているのだ。


「村の人間もそうだった。俺を利用するだけして、全く受け入れようとしない。俺を一つの道具として見ていた」


 村の光景が、村長の言葉が、おぼろげに蘇る。


「なんとなく、お前たちはあいつらと違う気がしてた。お前たちは色々してくれた」


 そう言って、アドニスは牢内を見回す。

 元々殺風景だったそこには、今は本や遊び道具が雑然と置いてある。ローザたちが少しずつ運んできてくれた物だ。


「だが…… やはり、俺は人間とは違うのか?」


 サラの沈黙が、おそらく答えなのだろう。

 

「そうか」


 事の発端は、数時間前。王宮からの通達が来た時のことだ。


「総合上級研究所…… プローチカ家の奴らか……」


 アルネブがやけに苦々しい面持ちで言う。


「なんだそれは?」

「前にも言ったが、ここは権限が縮小されて以来、ほとんど機能してねえ。その代わりに、今国のあらゆる事象の研究を担っているのが、上級研究所って所だ。そこがお前さんを預かりたいと言い出してきた」

「あいつら、アドニスくんたちには全く興味持ってなかったのに。なんでアドニスくんだけ。そもそも、冥獣の研究は、特異研究所の唯一の研究対象じゃない」


 ローザの言葉には怒気と困惑とが入り交じっていた。


「何か裏があると見たほうがいいな」

「もしかして、アドニスくんのことが…… ?」

「漏れ出た可能性はある。万全を期したつもりだったんだが」


 その言葉に、皆が一様に口を閉ざした。


「期限の引き延ばしを打診してみるのはどうでしょう?」


 恐る恐るといった風にサラが提案する。


「どうせ返事はノーだ。それに、余計怪しまれる」

「じゃ、じゃあ、これは? アドニスくんの体の一部だけを分解して、他の部分は私たちで作るの。ダミー作戦」

「脚だけで何日かかったと思ってんだ。とても間に合わねえし、さすがにバレる」


 ローザは悔しげに唇を噛んだ。

 その後も、次々と案が出されるが、その全てが跳ね返されていく。その度に二人の表情は曇っていった。


「つまり、今取れる選択は二つだ。素直に要求に従うか、断固拒否して国全体を敵に回すか。いや。坊主を元の状態に戻して、実験の記録を抹消すれば、あるいは……」

「あなたはそんな非情なモフモフだったんですか! 見損ないましたよ!」

「だって、お前さん。自分の身が助かるなら、そっちの方がいいだろ?」

「隊長!」


 ローザの非難の目を背に受けながら、アルネブはこちらに寄ってきた。


「とりあえず、坊主は一旦牢屋に戻れ」

「待て、師匠。俺たちはどうなる? 見捨てるのか? 友好関係とはなんだったんだ?」

「結論は明日出すから。それまで大人しく待ってろ」


 アルネブはにべもない。他の二人も何も言わない。

 アドニスはよっぽどその場で逃走しようかと思った。が、さすがに三人が相手では分が悪い。結局、大人しく牢屋に戻り、今に至る。


 アドニスはリゼの方に視線を戻した。毛布がズレていたので、静かに掛け直す。

 そういえば、彼女が殺されずに、今こうしてここにいるのは、人間たちのおかげだ。彼らはなぜ彼女を助けてくれたのか。


「お前が同じ人間だから…… ?」


 そういえば、最初リゼが収容されていたのは、普通の一室だった。彼女の意思で、この暗い牢屋に移ってきてしまったが。


「もし俺が消えれば、リゼは……」


 普通の暮らしができるかもしれない。

 ふと、手に何かが触れていることに気づく。見てみると、そこには小さな手が重なっていた。


「ママ」

「なんだ、起きてたのか」


 リゼの目はぱっちりと開かれ、こちらを凝視していた。


「もしかすると、お前は俺といない方がいいのかもしれない。おそらく人間同士でないとーー」

「いや、どこにも行っちゃだめ」


 小さな手は、アドニスの指三本をどうにか包み込む。だが、その力は、容易に指が抜けられない程に強かった。


「ママが行くなら、リゼも行く」

「そうか……」


 ならば、一緒にここから脱出しなければ。


「あ、あしゅの早朝、一緒に逃げ出しましょう……」


 小さな声が耳に届く。アドニスは通路の方に目を向けた。


「今なんて言った?」

「よ、夜の間は各層の見回りが厳重なので返って危険です。階層移動のためのゴンドラも動いていましぇんし。明朝には廃棄物の運搬があるので、それに紛れ込めば、外に行ける可能性はありましゅ」


 もじもじしながらも、重要なことを話すサラ。いや、それよりも。


「逃してくれるのか?」

「いいえ。私も一緒に逃げます」 

「お前も? なぜだ、お前に何の利益もないだろ?」

「それは……」


 ここで、ようやくサラが顔を上げる。

 緊張しているのか、強張った表情。だが、その双眸そうぼうには、少しも揺るがないしたたかな灯火が映り込んでいた。


「今のエルピスを壊滅させたいからです。そのためにはアドニスさんの力が必要です」


 夜が明けた。

 牢屋の扉が開かれる。

 

「こちらに」


 サラが促す先にあったのは、小さな麻袋。子ども一人が入れるかどうかの大きさだ。

 と、アドニスがおもむろに自分の腕を外し始める。そして、それを袋の中に入れた。その後、サラの手も借り、外されていく四肢。そして、最後に彼の胴体が入れられる。

 外の様子は全く見えない。


「これなら人が入っているとは思われません」


 袋の外からサラの声。


「あと…… アドニスしゃんの体をさわれて、と、とても光栄でしゅ……」

「よくわからんが、急ごう」


「はぃ」と締まりのない声が聞こえ、袋ごと体が浮き上がる。因みに、リゼはもう一つの麻袋に入れられた。


「おはよ〜、みんな〜」


 突然の前方からの声に、サラの動きが止まる。


「ローザ副隊長…… !? こんな早くにどうされたのですか…… ?」

「アドニスくんたちの様子を見にきたの。ほら、脱獄でも企んでたら大変だから。それより、その袋は?」

「…… 少し廃棄する物が増えてしまって。急いでいるので、そこを通していただけませんか?」

「だめ」


 どうやら、袋の中身が何か気づかれているらしい。

 だが、どうする。分解されてしまったので、アドニスは文字通り手も足も出ない。この作戦の欠点だ。


「そ、それなら実力行使でいかせていただきます……」

「サラちゃん。今までに一度でも私に勝ったことがあったっけ?」

「今回は勝ちます……」


 数秒間、音が完全になくなる。


「なんちゃって」


 ようやく聞こえてきたのは、陽気なローザの声。


「まさか、サラちゃんも同じ考えだったとはね〜。後輩の成長が垣間見えて、感激しちゃった」

「あの、副隊長…… 一体どういうことですか?」

「もちろん! 私もアドニスくんを逃がそうとしに来ました!」


 サラの力が抜けてしまったのだろう。彼女のため息と共に、アドニスの入っている袋だけが地面に落ちた。


 一定のリズムで袋が揺れる。現在、普段は使われてない南階段を上っているとのこと。揺れは先ほどより大きい。


「なぜお前まで俺を?」

「それは…… アドニスくんが好きだから」

「俺が好き…… ?」

「あ、ときめいちゃった? でも、恋愛対象とか、そういうのじゃないよ。あ〜、私って罪な女〜」

「副隊長……」


 安堵したような、呆れたような、そんな声でサラが言う。


「まあ、一応真面目な理由としては、私たちがプロメテウス隊だから。この隊は元々、世界に光を取り戻すことを目的として編成された部隊なの。今はただの雑用係だけど」

「それと俺を逃すのに何の関係がある?」

「アドニスくんなら、私たちの目的を叶えられるかもしれない! そんな気がするの! それに、私、エルピスの外を見てみたい!」


 そんな適当な理由でいいのだろうか。


上級研究所あんなやつらにアドニスくんを渡したら、エルピスは折角の前進の機会を失うことになる。あなたは希望の灯火。あいつらだけには渡さない」


 その言葉には、重い決意を感じさせる響きがあった。


「このまま研究所の裏口に出て、他の廃棄物と一緒に二人を第三層まで連れていく。そこでアドニスくんを組み立て直して、壁の外に突っ走る。この作戦でいいんだよね?」

「はい」

「となると、最後が正念場だね。壁を通り抜ければ、絶対に監視が気づく。もたもたしてたら、そこで捕まって、全て水の泡にーー」


 と、揺れが急に収まる。


「二人とも、そこで止まってください」


 聞き覚えのある声が、行手を阻んでいる。


「あ、ペイルくん。久しぶり」

「いや、通常任務で昨日会ったばっかりですよね…… それより、その袋。中に入ってるのは、なんですか?」


 ペイルも袋の中身を察している様子。この作戦、本当に大丈夫だろうか。


「その流れさっき私がやったんだけど?」

「え?」

「こっちがアドニスくんで、こっちがリゼちゃん。他に質問は?」

「え、いや、あの……」


 完全に気圧された様子のペイル。だが、彼もただ黙っているだけではない。


「ふ、二人とも何考えてるんですか!? 冥獣を逃したりしたら、三層落ちどころの話じゃないんですよ!?」

「アドニスさんは冥獣ではありません。オートマタです」

「サラまでそんなことを! なんでそこまでそれに肩入れするんだよ! 自分の命まで賭けて!」


 それまで袋の中で静観していたアドニスは、今の一文に疑問を抱いた。


「命を賭ける、とはどういうことだ?」

「あれ、知らなかった? アドニスくんを逃したら、それに関わってた人たちは全員死刑だよ。反逆罪か何かで」

「死刑…… そんなこと、初めて知ったぞ」


 村ではそこまで重い罰は存在しなかった。その村の掟を、勝手にこの国にも当てはめてしまっていた。

 そもそも、二人がそこまでの罪を背負ってまで、自分たちを助けようとしていたなんて。


「まだ間に合います。お願いだから、こんな危ないことやめましょう。それにそんな価値があるんですか?」

「はい」「うん」

「即答!? もっと真剣に考えてくださいよ!」


 ペイルが叫ぶ。


「二人がそれを大事に思っているよりもずっと、僕は二人を大事に思っています…… プロメテウス隊は僕の唯一の居場所なんですよ……」

「ごめんね、ペイルくん。私はどうしてもアドニスくんを渡したくないの」

「私もここで留まる訳にはいきません」

「二人の意見が変わらないなら…… 力尽くでも……」


 言葉尻が妙に引き伸ばされる。そして、靴音が二、三回聞こえた。

 

「どうしたの? 扉に耳なんか当てて」

「いや、なんか、エントランスの方が騒がしくて……」


 それから、ペイルの探るような「ん?」は、次の瞬間に「え!?」という叫声へと変わった。


「た、大変です! 総合上級研究所からの遣いが!」

「なっ!? 引き渡しの予定は、今日の夜だったはずでは……」

「もしかすると、この作戦も筒抜けになってるのかも」


 話の内容から察するに、かなり危険な状況らしい。


「何が起きた?」

「ちょっと問題発生。だけど、今ならまだーー」


 ローザの声が途切れる。


「ペイルくん! 扉から離れて!」


 今まで聞いたことのない、ローザの切羽詰まった声。その直後、耳をつんざくような衝撃音が広がった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る