【滞在期間五日目:クリスマスデートなんて、どうでしょう?①】
【長続きするたった一つの愛は片想い】
映画「ウディ・アレンの影と霧」より
水面は揺れる。
ただ静かに、緩やかに。次第に昂ぶる感情の波に、揺り動かされるように。
そして、イエス・キリストの生誕を祝う聖なる夜に投じられた一石が、大きな波紋を描き出した。
Day5
──滞在期間五日目。
ずっと秘め続けてきた恋情は、イルミネーションのように色と輝きを変え、やがてひとつのかたちとなる。
・‥…━━━☆・‥…━━━☆・‥…━━━☆
クリスマス・イヴ。
多くの国でクリスマスは家族で過ごす日とされている。街はイルミネーションで賑わい、数日前からクリスマス関連の商品が店頭に並ぶ。
「言うならばこれは、正しいクリスマスの過ごし方。恋人がいれば、そりゃあ俺だって……」とたらればをひとつ。
今日俺は、暫定娘とデートをする。悲しいかな……でも良いさ。娘とは言え、女子高生なのだから。秋葉は自虐的にそう付け加えた。
そんな彼の複雑な心境を他所に、窓の外から見える空は雲一つない、何もかもを吸い上げてしまいそうな青だ。部屋の窓から、たっぷりと朝日が差し込んでいる。光射す眩いその空間は、昨晩あった沈んだ出来事を吹き飛ばすかのように明るい。
「おはようパパ。天気が良くて安心したよ。絶好のデート日和だね」
ベッドから身体を起こした千花も、昨日とは打って変わって清々しい表情だ。
両手をあげ大きく伸びをすると、パジャマの裾から覗いて見えるのは愛らしいおへそ。軽快な日光に照らされることで、彼女の白い肌もより幻想的に煌めいた。
本日も変わることのない無防備な娘の姿に、顔を背けて秋葉は嘆息した。色々とぶっ飛んでいる娘だが、羞恥心もふっ飛んでいるようだ。
「体調はどうだ……? 一応熱を計っておいたほうが良いんじゃないか?」
「熱なんてナッシング。問題ないない! せっかくのお休みだもん、予定通りお出かけするよー!」
捲し立てるようなハイテンションに、現金なものだなと秋葉は笑った。
昨晩のことなどどこ吹く風。その明るい笑顔は、もしかすると無理やり取り繕ったものなのかもしれないが、どちらにしても俺には無い才能だ。千花のことを素直に称賛すると同時に、暫定娘にすら至らぬ自分をそっと恥じて、苦い笑みを秋葉は零した。
軽めの朝食を済ませると、千花はいったん脱衣室にこもる。「じゃーん!」という仰々しい声とともに出てきた彼女は、出会った日に着ていたブレザーの制服姿だ。
「それが、最高のお洒落なのかい?」と秋葉がからかうと、「コスプレじゃない本物の女子高生だよ? パパ的には最高のご褒美でしょ?」と彼女はプリーツスカートの裾をちょんと摘み、不穏な台詞を放った。
「確かに、女子高生の制服は俺の好みだけれど……って、何を言わせるんだ」
得意満面。ふふん、と千花は鼻を鳴らした。
「パパの好みはリサーチ済みなんだよね! 残念ながら、ブレザー以上にパパが好んでいるセーラー服は……」とそこまで言いかけて、慌てたように口を塞いだ。
「なんだよ、その反応」
「いいえ。なんでもありません」
到底言えるはずがない、と千花は思う。ベッドの下に隠してあった雑誌やブルーレイを、掃除中に偶然見つけてしまったなんてことは。
「それで、今日はどちらまで出かけましょうか?」
「そうだなあ。まあとりあえずは適当に? 駅前でも歩き回ろうか」
白いセーターとグレーのチノパンツ。その上から同じ色のジャケットを羽織った秋葉は、髪の毛をセットしながら彼女の質問に答えた。
まあ、ゆっくりするのが良いよねと彼女も同意を示し、二人は部屋を出る。まだ午前中も早い時間帯だった。
アパートの階段を下りると、東の方角へとひたすら歩いた。高尾駅の前を過ぎ、踏み切りを越えた辺りでショッピングモールの姿が見えてくる。
最初に向かったのは、ショッピングモールの中にある衣料品店だ。こぢんまりとしたその店内は、秋葉のアパートの部屋が数個分くらいの広さだろうか。
「そのジャケットをひとつと、他に、コートとマフラーも持っておくと良いよ」と千花に勧められ、言われるがままに試着を繰り返していった。
「俺はあんまり、服を買う習慣がないんだよ」
「見ていればわかります」と彼女はフォローもなく切り捨てる。「あ、セーターもついでに買っておこうよ。ネイビーのやつが似合うと思う」
「んー。ちょっとこれ、地味なんじゃないかな?」
「派手な色のほうが若々しく見えるんじゃないか、なんて考えているんでしょ? 浅いなぁ~」
ちっちっち、と彼女は指を左右に振る。
「ようは、着こなし方なんです」
時々見せるその古臭い反応は誰の影響だ? と思いながらも、秋葉は一先ず納得しておいた。
紺色のセーター。黒いコートとベージュのマフラー、同色のジャケットを買った。衣類だけにここまでお金を使ったのはいつぶりだろう、と彼は首を傾げた。
次に向かったのは、若い女性向けの衣料品店だ。店内はさっきの店とは対照的に、華やいだ印象を伝えてくる。
千花が服を選んでいる間、手持ち無沙汰になった秋葉は、物憂げに周囲を見渡していた。
流石にクリスマスシーズンだ。老若男女、様々な客層で店内は賑わっているが、とりわけカップルの姿が多そうだ。俺たち二人の姿は、他人の目にどう映るのだろう? そんなに歳が離れていないし、本来の関係である親子には見えないだろう。やはり、恋人同士に見えるんだろうか? ――願わくば、そうであって欲しいと彼は妄想を繰り返していた。
「――ねえ。パパってば」
「え。あ、なに?」
「全然人の話を聞いてないでしょ? 私のセーター、白とベージュのどっちが良いかなって質問してるの」
「ああ、ごめん。……そうだな。やっぱり白かな」
「白ね……」と呟くと、秋葉の服装をチラっと見たのち彼女は頷いた。「うん、わかった。白にしておくよ」
「それからさ……。そのパパって言うの、今日だけは止めておかないか? 考え過ぎかもしれないが、ちょいとばかり人聞きが悪そうだ」
潜めた声で秋葉がそう提案すると、あー確かにね、と千花も同意した。「深読みされると、妙な関係だと勘違いされるかもしれないね」でも、と今度は首を捻った。「じゃあ、なんて呼べばいいのかな」
そう質問を返されると、秋葉も答えに窮した。名前で呼ばせるのも、なんだか恥ずかしいし。考えた末に、「秋葉さん」と提案してみる。
「面白みはないけど、無難かなあ。ねえ、秋葉さん」と、早速彼女は実践して見せた。
自分で言わせておいておかしな話だが、どうにも気恥ずかしい。
白いセーターを片手に抱えると、続けてボトムも選び始める。う~んと唸っている千花の姿を見て、若い女性の店員が近づいてくる。
「何かお探しですか?」
「可愛いボトムが欲しいの。スカートとパンツ、どっちが良いかなあ」
「彼氏さんに、好みを聞いてみてはどうでしょう?」と店員は、意味ありげな表情を秋葉に送った。店員の目配せに、彼も複雑な顔になる。
――そんな風に見えるのか。やっぱり。
「んで? どっちが良いの?」
追い討ちをかけてくる千花の声に、うろたえながらも「スカートかな」と秋葉は答えた。彼女の瞳に、軽い
「スカートですね」と言いながら店員が勧めてきたのは、上半分がデニム生地、下半分が黒地に白のドット柄になったミニスカート。
「わあー、これ可愛い。どうかなパパ――じゃなくて秋葉さん」
「いいんじゃない? 凄く似合うと思うよ」
彼女が失言した『パパ』という単語に、女性店員が怪訝そうな顔になる。お前今のはわざとじゃないのか、と苦笑しながら、彼はこう提案した。
「良かったら、買ってやるよ」
「え。いいの?」
「もちろん。その、なんだ。千花は毎日よく頑張ってくれているからな。お礼みたいなもんっていうか」
すると千花は、落ち着きなく視線を彷徨わせ、ちょっと恥じらうみたいに俯いた。
「ありがとう……大事にするね……」
こちらも結構な支払い金額になり、秋葉の財布には一気に隙間風が吹く。だがその一方で、彼の心は暖かい感情で満たされていた。こんなお金の使い方なら悪くない。
会計を済ませたあとで、先ほどの女性店員がもう一度話し掛けてくる。
「今日はクリスマス・イヴなので、このまま八王子のクリスマスイルミネーションを見に行かれてはどうでしょう?」
「八王子?」
「ええ、そうです。八王子の駅前にあるサザンスカイツリーという場所で、綺麗なイルミネーションが見られるんですよ」
店員の言葉で、ああと秋葉は思い出した。言われてみると、クリスマス期間は駅前がライトアップされていたなあと。クリスマスなんて自分には縁もゆかりもないイベントなので、完全に失念していた。
「八王子ってパパ、じゃなくて秋葉さんの職場があるところだよね? へー。そういうイベントがあるんだ」
――お前、やっぱりわざと間違えているだろう?
「あるな、クリスマスイルミネーション。見に行きたいか?」
「もちろんだよ!」と彼女は即答した。
じゃあ、さっさと昼飯を済ませて、電車で移動するかと秋葉は提案し、二人は店をあとにした。
昼は駅の北側にある、国道に面したラーメン店で、カウンター席に二人並んでラーメンを食べた。店内は適度に照明の明るさが落ちていて、独特の風情がある。
「せっかくの外食なのに、ラーメンなんかで良かったのか? まあ、俺は好物だから、一向に構わないんだが」
「寒いからね。暖かい物が食べたかった」
「なるほど」
「それに」と彼女は補足する。「ラーメンはどんな時代でも美味しいものだと、ママが言っていたし」
「間違いない。科学の進歩でどうにかなる領域じゃないしな」
自分の妻の話を他人事のように聞きながら、俺と嫁も、案外、相性は良いのかもしれないな、とそんな妄想を内心で膨らませた。
高尾駅から電車に乗ると、八王子駅を目指した。
車両全体が揺れるたび。吊り革を握っている千花の指先に力がこもるたび。昨日のような発作を起こすんじゃないかと、幾度となく彼の心は震えた。
「大丈夫だよ」と彼女は静かに笑う。「普段通りに運行してる電車に乗るぶんには、発作は起こらないから」
千花の言葉でようやく秋葉は肩の力を抜いた。
平日休日の境なく、中央線の電車は満員だ。隣に立っている人の息が掛かるような閉塞感。どこからともなく漂うきつい香水の匂い。憂鬱だ。
キーッと音を立て電車がカーブを曲がる。瞬間、車体が軋みを上げ、揺れとともに横にいた若い女性がぶつかってくる。すいません、と互いに頭を下げながら視線を横に向けると、千花の真後ろに一人の中年男性が密着してるのに気が付いた。
たぶん、今の揺れでぶつかったのだろう……。だが、それにしては妙だ。何故彼は揺れが収まったあとも、彼女の背中に自分の身体を触れさせているんだ。
嫌な予感がした秋葉は、混雑した車内で身を捩ると、強引に二人の側に寄っていく。念のため「すいません」と謝罪をして予防線を張ったのち、千花の真横に立って咳払いをする。彼女の後ろに立っていた男は怪訝そうに秋葉を見たが、やがて静かに離れて行った。
踏み切りの警報器の音が遠ざかっていくなか、千花が耳元で囁いた。
「……パパ。ありがとう」
その瞬間、予感が的中していたことを悟る。
「もしかして、もしかした?」
「うん。制服の上からだったけど、お尻にあの人の手が当たってたの。揺れたあとずっとだったから、たぶん偶然じゃないと思う」
そうか、と秋葉は思った。満員電車の中にいる女性というものは、絶えず様々なストレスに晒されているんだと。
そのあとは、彼女の体に見ず知らずの男が近づかないよう、ガードする作業に没頭していた。
電車が、八王子駅のホームにすべり込んで止まる。
八王子に着いたものの、まだまだ日が高い時間。日が落ちるまで駅前の商店を適当に彷徨い、時間を費やすことにする。「時間を無益に浪費するのは得意なんだ」という皮肉を、彼は思いついた。
電車の中でも感じたことたが、二人はよく周囲の視線を集めた。
二十代半ばにしてはやや老けている秋葉が、女子高生と肩を並べて歩く姿は、わりと奇異に映るのだろう。その事実を彼は、存外に心地よいと感じていた。
全員が親戚なんじゃないかと思えるほどに、見分けのつかない顔が並ぶアジア人団体観光客。待ち合わせの目印に使えそうな、白人の長身カップル。クリスマスシーズンだからなのか、様々な人種がいるんだな。
「あ」
そんなことを取り留めなく考え、ショッピングモールを散策している時、すぐそばで声がした。耳に馴染んだ、透き通った溌剌とした声。
「秋葉さんじゃないですか」
振り返ると、そこに立っていたのは田宮真帆だ。
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