私、ロボだから怪我をしたって死にません!

 本来、このような事を頼むのは、彼女に対し業務外労働を強制する形になってしまうような気がするのだけれど、それでも今は、行く宛の無くなった彼女に居場所を与えるのが優先だと感じた。

 とりあえず、ARデバイスからナナちゃんに連絡は送っておくとして、僕はイツキちゃんを伴って職場兼自宅である駅前マンションにやってきた。階層と部屋番号は秘密だ。イツキちゃんにもよくよく言い含めておく。


「はい、狭いところですがどうぞ」

『お、お邪魔します…ですの』


 緊張しながらイツキちゃんが僕の家に踏み込む。

 さて、連れてきてしまったが、まずはアシスタントのなっちゃんに全てを説明しなくてはなるまい。さもなければ僕への評価は変人どころか変態にまで下落しかねない。


「なっちゃーん、お客様来たよー」


 部屋の奥へ呼びかけるが返事がない。

 僕は仕事場を見に行くが、そこはもぬけの殻だった。

 なっちゃんの机の上に『早退します』とデジタルメモが残されている。ブチ切れの絵文字付きだ。しまった、単行本化作業を全部押し付けたのは流石にまずかったか…! あとで謝罪の連絡を入れておくことにしよう…。


『ここがお客様の仕事場ですの…』

「ホント、マジで他の皆には内緒にしてね」

『承知ですの』


 さて、本当に内緒にしてもらえるかなぁ…。


『この壁の棚にあるのは全部漫画ですの? しかも全て物理本ですの』


 物理本―――要するに、データのみの存在ではなく、それをわざわざ紙に印刷して製本した本という意味だ。情報媒体としてはデジタルデータに汎用性は劣るが、非常に高い保存性能を持つ。

 これらは僕のコレクション、というか、捨てられずに増えていくばかりの資料というか、そういうものだ。お陰で壁を全部本棚に改装する羽目になった。それでもここには収まりきらなくて、隣の二部屋を書庫に改造してある。

 イツキちゃんは、何気なく一冊を手に取った。


『うわ』


 うわ、とか言うな。うわ、とか。


『……お客様の性的な嗜好に関与しませんですの』

「いや待って、それ別にそういう漫画じゃないから!」


 そういうシーンがあるだけだから。偶然そこ開いただけだからね!


『それにしても、案外整理整頓できていますの。私の出る幕など無いのでは?』

「そうでもないよ。こっちは仕事スペースで、向こうが生活スペース。向こうは凄いよ」


 そう言って、僕はイツキちゃんを案内する。

 行く宛のない彼女に対し、僕がしてあげられることは、雨風を凌げる場所の提供を兼ねた、彼女の心を満たす事のできる仕事の斡旋だった。給仕ロボであるところの彼女の仕事といえば、キッチン周りの様々なお仕事である。

 僕は一人で暮らして長いけれど、実はその手の作業に関してはトンと疎いのである。


『うわ』


 だから、うわ、とか言わないで欲しい。


『これは酷いですの…。さっきの整理整頓の行き届いた本棚と比べてこのキッチン…どうしてこんなに……』


 それは僕にもわからないんだ…。


『そもそも、この環境でどうやって生活をしてるんです?』

「どうやって生活してるんだろうね…」


 主に、ゼリーだったり四角かったりする総合栄養食なんかを食べて暮らしてます。時々お皿を使ったりするけれど、洗うのが面倒になってそのままにしたりとか、気まぐれに買い物してそのままにしちゃったりとか。


『冷蔵庫、これ機能してるんですの…?』

「どうだろ…」


 してないかも…。しばらく駆動音を聞いてない気もする。


『……はぁ。なるほど、確かにこれはイツキの出番のようですの』

「ファイト! イツキちゃん!」

『では、お客様は下がっていてください。このイツキが、作戦領域を一掃しますですの』


 一掃されてしまうと逆に生活できなくなってしまうので、手心を加えつつ片付けて欲しい!

 かくして、ロボvs片付けられない独身男のキッチン回りという異種格闘戦が始まった。

 エプロンドレス姿のイツキちゃんは、洗わぬまま積み上げられた食器を、とにかく洗剤を大量に消費しながら豪快に洗っていく。なんか水とか溢れて床に広がってる。豪快だ。


「いや待って、逆に酷くなってない!?」

『最終的に床を磨きますので、今汚したって関係ありませんですの』

「な、なるほど…?」


 焦土作戦か…?

 そう思ってると、イツキちゃんの手元でパリンと音がした。


『あ』

「あ…」


 僕のグラスが…!?

 ロボパワーによって粉々に粉砕されたグラスが、泡のなかに落ちてキラキラと輝いている。


『…ちょ、ちょっと手元が狂ってしまったですの…ごめんなさい…』

「い、いや、大丈夫…。古いやつだったから…」


 グラスを買い換える良い機会だ。

 こういうことがないとなかなか買い換えないから。それに、


「形あるものはいつか壊れて無くなるものだからね…」


 パリン。と、言った傍から食器がまた一つ形を失った。


「い、イツキちゃん!?」

『わ、私、ロボだから怪我をしたって死にませんですの! ご安心くださいですの!』

「いや、もちろんイツキちゃんの心配はしてるんだけどそうじゃなくて!」


 給仕ロボがどうして皿洗いできなくなってるんだ!?

 基本的に、給仕ロボは人の生活における雑用を全てそつなく行う性能を持っているはずだ。皿洗いなどで失敗するはずがない。

 いや、皿洗いだけか? 洗剤の使用料も水量の勢いも、計算して使ってる感じじゃないぞ…?


「イツキちゃん、やっぱりどこか壊れてるの…?」


 やはり隕石の衝撃で深刻なダメージを負っているのでは…?

 僕が指摘すると、イツキちゃんはビクッと震えた。


『だ、大丈夫…大丈夫ですの…。お、お皿もグラスも、弁償しますので…』

「………」

『わ、わたし……あの…ま、まだ、お客様の為に働けます…働けますから…』

「………」

『え、あ……わ、私…』


 イツキちゃんが悲壮な表情を浮かべる。


「イツキちゃん、少し気分転換しよう」


 僕はイツキちゃんに提案した。イツキちゃんは、何か言いかけるものの、すぐに瞳を伏せて頷く。冷静に状況判断できているようだ。と、なれば、彼女の回路が物理的に破損しているということではさそうである。

 僕はイツキちゃんの手を引いて、生活スペースにある”居間”のような空間に誘う。

 ここも、僕個人の生活スペースなので、ゴミやらモノやらでごちゃごちゃしている。


「まず、そこに座ってください」

『は、はい…』


 僕はイツキちゃんにソファを勧める。イツキちゃんは大人しくソファに腰掛けた。


『あの、私―――…やはり、もう駄目なのでしょうか…』

「駄目って?」

『役立たずだから、スクラップ行きかと…』

「そんなことないよ」

『でも、本来できるはずのことが出来なくなっているんです…』

「だから、”瓦礫の撤去も嫌がった”の?」

『………』

「情けなくなって、許せなくって、それで逆ギレして飛び出したと…」

『最初は、慣れない撤去作業だからかと思ったですの。けど―――」


 イツキちゃんはキッチンの方へと目を向ける。


『皿洗いも出来ないとなったら、給仕ロボ失格なんですの…』


 それまで出来ていたことが急にできなくなるなんて、そんなの劇的な変化が無ければ―――いや、あった。隕石落ちてきたんだった。

 

『私、一体どうしてしまったのでしょうか…?』

「僕も急に漫画が描けなくなることがある」

『…お客様も?』

「しかも、結構良くある。だから僕は、イツキちゃんの調子が悪くたって気にしないよ」

『…申し訳ございません』


 イツキちゃんは深々と頭を下げた。


『私、どうしたらいいのでしょうか…。どうしたら、元に戻せるのでしょうか…?』

「それは―――」

『お客様は、どうやって”機能を修復”するんですか?』

「恥ずかしながら、僕のそれはファミレスへ行って君たちとお話することなんだよね…」

『え…』


 僕は頬を掻きながら白状する。


「もう何度も助けられてる。あの場所は、僕にとって心のオアシスなんだ」

『………』

「だから、困ってる君の力になりたい。普段助けてもらってるからね。たまには、借りを返したい」


 そうだ。たまには、借りを返したっていいだろう。


「実は、何となく―――原因は分かってるんだ」

『え?』

「イツキちゃん、君は”怖い”んじゃないかな?」


 果たして、ロボットが恐怖を抱くかどうか―――僕は、少しだけ疑問だったのだけれど、しかし、イツキちゃんの言葉ではっきりした。

 彼女は”役立たず”になる事を畏れている。給仕ロボとしての意味が消失することを怖れている。

 ならば、

 隕石が落ちてきたことにも、怖れを感じているはずだ。


「おそらく君は、”急性ストレス障害”なんだ」

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