31:お菓子をくれなきゃ

 夜宵市では毎年ハロウィンの時期になると、吸血鬼の仮装をした子どもたちが街を練り歩く。

 玄関先に蝙蝠の羽飾りがある家に訪れ、「お菓子をくれなきゃ血をいただくぞ!」という物騒な台詞を吐き、ちゃっかりお菓子を貰って帰るというイベントである。


「吸血鬼を歓迎する場合はお菓子を渡して、追い返す場合はパンを投げつけるんだって」

「へえ、それは初耳です。どうしてですか?」

「昔、吸血鬼はパンが苦手っていう俗説があったんだよ。パンはイエスキリストの聖体だからとかナントカカントカ」

「でも薙くん、パン好きですよね」

「そうだよ。だから俗説なんだってば」


 おれは「ガーリックトースト抜きで」と陽毬に向かってパンのおかわりを注文した。

 ニンニクは頑張れば食べられないわけではないが、それほど好きではない。ここのファミレスのディナーセットは、パンが食べ放題なところがいいと思う。


 十月三十一日のハロウィン当日。おれは陽毬のバイト先であるファミレスに、晩飯を食べに来ていた。今日はハロウィンイベントだとかで、店員がみんな吸血鬼の格好をすると聞いたからである。おれは陽毬のコスプレを見るために、こうしてノコノコやってきた。我ながらチョロい客だ。

 陽毬の吸血鬼姿は、別料金を取られてもいいぐらいに可憐だった。衣装は背中に蝙蝠の羽がついた黒のワンピースだ。月城祭の日にバアちゃんが用意したものよりは露出が少ないけれど、膝下丈のスカートにもフリルがついていて、なかなか凝ったデザインで可愛らしい。

 そういえば、体育祭のチアガール姿もとても可愛かった。陽毬は何を着ても似合ってしまうのだ。

 厨房に戻って行く陽毬の後ろ姿を、不自然でない程度に眺める。露出は少ないが、わりと身体のラインが出るタイプのワンピースなので、なんだかハラハラする。

 おれが毎日噛みついているせいで、白い首筋には絆創膏が貼られていた。ここ最近は首からばかり血を飲んでいるが、少しは遠慮した方がいいだろうか。陽毬が貧血にならないか心配だ。

 体育祭でのやりとり以来、松永が表立っておれに攻撃することはなくなった。教室で陽毬と話していても、軽く睨まれるぐらいで、邪魔をされることはない。よっておれたちは、再び昼休みを共に過ごすようになっていた。


 ふと、厨房のそばにあるボックス席に座った客が、おれと同じく陽毬を見ていることに気がついた。

 前髪が長く俯きがちで、陰気な空気を纏った若い男だ。瞳や牙を見るまでもなく、吸血鬼だ、とすぐに気がついた。不思議なことに、同族はなんとなく雰囲気でわかる。

 そいつがあまりに陽毬のことを凝視するものだから、おれは自分のことを棚に上げて、ちょっと不愉快な気持ちになった。なんだよ、いくら陽毬が可愛いからって、見せモンじゃないぞ。

 おかわりのパンを持って戻ってきた陽毬のことも、男はじっと見つめていた。陽毬がおれのテーブルまでやって来たところで、小声で囁く。


「陽毬、あそこにいる客……」

「え? ああ、吸血鬼の方ですよね。あの人、よく来ますよ」

「なんか、すごい陽毬のこと見てない?」

「……そうですか? 気のせいだと思いますよ」

「ああいう陰気で友達少なそうな吸血鬼は、たぶん陽毬みたいな女の子のこと好きだよ」

「? ずいぶん具体的な偏見ですね……」


 自信満々のおれに、陽毬は不思議そうに小首を傾げた。これは偏見ではない。純然たる事実に基づく帰納法である。

 陽毬はちらりと壁にかかった時計を確認してから、にっこりと笑いかけてくれる。


「あと十五分で上がりますから、もう少し待っててください」

「……ん。じゃあ、もうちょっとしたら会計して裏口で待ってる」


 おれはフランスパンを千切りながら答えた。ここのパスタはなかなか美味いし、ドリンクバーには牛乳もあるし、可愛い店員さんもいるし、少しぐらい待つのはちっとも苦にならない。いろんな料理に使われているのか、ニンニクの匂いが漂ってくるのがたまにキズだが。

 ……それにしても、あの吸血鬼。どこかで見た気がするのだが、どこで見たのだろうか。

 もしかすると月城町の住人かもしれないが、たぶん顔見知りではないと思う。吸血鬼というものはだいたい年齢不詳なので、同世代なのかどうかもよくわからない。

 思い出すのを諦めたおれは、レジで会計を済ませて店を出た。そのまま裏口に回り込み、いつもの場所で陽毬を待つ。


「お待たせしました!」


 ほどなくして出てきた陽毬は、いつものブルゾンを羽織っていた。やっぱり陽毬はコスプレをしていなくても可愛い。調子に乗ったおれは、陽毬の手を取って歩き出した。

 頰を撫でる夜風が冷たい。僅かな街灯の光が足元を照らす。今夜も月が綺麗で、吸血鬼にとってはいい夜だ。まさにハロウィン日和だといえよう。

 駅前ではハロウィンパーティでもやっているのか、はしゃいだ笑い声が聞こえてきた。よく見ると、玄関先に蝙蝠の羽が飾ってある家も結構ある。


「薙くんも、昔はお菓子を貰ってたんですか?」

「うーん。おれ、シャイだったから……ずっと零児や静奈の後ろに隠れてたな」

「ふふ、可愛い」


 陽毬がくすくすと笑い声を立てる。陽毬が笑うと、なんだか胸の奥がくすぐったくなる。

 おれはこっそり手を動かして、ぎゅっと五本の指を絡めるような繋ぎ方に変更した。いわゆる恋人繋ぎ、というやつだ。振り払われたらどうしようかとドキドキしたけれど、陽毬は嫌がらなかった。


「そ、そういや昔はバアちゃんが張り切って、大量にお菓子作ってたな。近所の子どもに配るんだって」

「おばあさま、お菓子も作れるんですね! さすがです」

「陽毬は子どもの頃、そういうのしなかった?」

「……いえ、そういうイベントに縁はありませんでした。あまり余裕のない家庭だったので」


 答えた陽毬の横顔に、ほんの一瞬陰がよぎる。そういえば陽毬は、家族の話をあまりしたがらない。

 深入りしていいものかどうか悩んでいると、さらりと話題を変えられてしまった。


「そういえば、さっき店長からハロウィンのお菓子もらったんです。あとで一緒に食べましょう」

「え、いいよ。陽毬がもらったんだから、一人で食べなよ」

「だって今夜はハロウィンですから。吸血鬼にお菓子をあげなきゃ、血を飲まれちゃうんでしょう?」


 陽毬が悪戯っぽく笑んで、おれの顔を覗き込んできた。

 月明かりに照らされた陽毬の瞳が、この世に存在する他の何よりも綺麗だと自信を持って言える。おれは陽毬の手を強く握りながら、尋ねた。


「……もしそのお菓子もらったら、血飲ませてくれないの?」

「ふふ、どうしましょうか」


 小悪魔めいた仕草で首を傾げて、陽毬は笑った。そんなことを言いながらも、陽毬がおれを拒まないことなんてわかりきっている。

 ゆるやかな弧を描く薄桃色の唇がひどく柔らかそうに見えて、キスしたいな、と馬鹿げたことを考えた。

 手を繋いでも、抱きしめても、首に噛みついても、陽毬はおれを拒絶しない。陽毬はきっと、おれが「キスしたい」と言えば、あっさり許可してくれるだろう。

 しかし、それはおれが望むからそうさせてくれるだけで、彼女にとってはただのボランティアである。「おれがしたいから」という理由だけで、身体を差し出されるのは嫌だ。

 ……おれが陽毬を欲しがるみたいに、陽毬もおれのことを欲しがってくれればいいのに。

 不安げなおれの視線をどう勘違いしたのか、陽毬はおれの肩にこてんと頭を預けて、言った。


「冗談ですよ。薙くんが望むなら、お菓子でもパンでも血でも全部あげちゃいます」


 相変わらずのセリフを吐く彼女は、きっとおれの一番欲しいものは与えてくれない。

 おれはじくじくという胸の痛みに耐えながら、「……全部欲しいよ」と囁いた。

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