25:誰にも渡したくない

「えっ、なんでナギもいんの?」


 昼休みが始まると同時に、零児は一番ヶ瀬さんに会いに来た。当然のように隣にくっついてきたおれの姿を見て、露骨に残念そうな顔をする。


「わたしたち、いつも一緒にお昼食べてるんです。三人で食べましょう」


 一番ヶ瀬さんはそう言って、「ね」と零児に笑いかける。零児は不満げにこちらを見たけれど、おれは素知らぬ顔で視線を逸らした。

 気ィ遣えよ、とでも思われているのかもしれないがまっぴらごめんだ。おまえと一番ヶ瀬さんを二人きりにしてたまるか。


「……ま、ナギが一緒の方が話早いかー。二人とも、いつもどこでメシ食ってんの?」

「……理科室の隣にある暗室。信楽先生に鍵借りてて……」

「え、いいなー。今度俺にも貸してよ」


 おれの言葉に、零児がニヤリと不敵な笑みを浮かべる。おそらくいかがわしいことに使われるだろうから、絶対に貸したくない。自分が私欲のために使っている件に関しては、棚の上に放り投げることにする。


 暗室に移動したおれたちは、各々昼飯を食う。一番ヶ瀬さんは手作り弁当、おれはパンと牛乳、零児は人工血液のパックのみだ。日中はあまり飯を食わない、というタイプの吸血鬼は多い。おれは普通に食べるけれど。

 飯を食いながら、一番ヶ瀬さんと零児はにこやかに談笑している。零児は女好きのクズだけれど、下半身が絡まなければ人当たりの良いイケメンだ。

 こうして見ると、二人とも美男美女でお似合いに見える。隣に並んでいても違和感がない。なんだかおれが邪魔者みたいだな、だなんて卑屈なことを考えてしまった。


「ごちそうさまです」


 一番ヶ瀬さんが弁当を食べ終わり、おれも牛乳を飲み干した。いつもならばデザートに一番ヶ瀬さんの血を飲むところだけれど、今日は零児がいるのでそういうわけにもいかない。

 一番ヶ瀬さんが弁当箱を片付けるのを待ってから、零児が口を開いた。


「陽毬ちゃん、ものは相談なんだけどさ」

「はい、なんでしょうか」

「よかったら、俺に血飲ませてくんない?」

「はあ!?」


 あっけらかんと言ってのけた零児に、おれは慌てて立ち上がった。一番ヶ瀬さんを背中に隠して、零児を睨みつける。


「な、何言ってんだよ。そんなのダメに決まってるだろ!」

「なんでだよ。ナギは陽毬ちゃんの血飲んでるだろ」

「えっ!? い、いや、おれは……」


 零児の指摘に、おれは思わず一番ヶ瀬さんの方を見てしまった。彼女は顔色ひとつ変えず、「なんのこと?」と言わんばかりに零児を見ている。

 ポーカーフェイスの彼女とは対照的に、おれの動揺はあからさまで、零児はくっくっと肩を揺らして笑った。


「ナギ、おまえやっぱわかりやすいわ。カマかけただけだって、気付けよ。陽毬ちゃんを見習え」

「……う、うるさいな」

「最近やけに体調良さそうだしさ、もしかしたらそうなんじゃないかなーと思ってたんだよなー。ほんとに付き合ってねーの?」

「付き合って……ない」

「ふーん。あのクソ真面目なナギくんが付き合ってもない女の子の血飲むなんてなあ」

「う……」


 零児は頬杖をついて、じろじろとおれたちを眺める。居た堪れなさに頰を掻いていると、一番ヶ瀬さんがおれを庇うように言った。


「合意のうえです。わたし、誰かに必要とされるのが好きなので」

「へー。じゃ、俺も頼めば飲ませてくれる?」

「な、なんでだよ! おまえなら、他にいくらでも血飲ませてくれる女の子いるだろ」


 おれの言葉に、零児はうーんと腕組みをした。


「俺さ、やっぱ処女の血が好きなんだよ。でも女の子と付き合うとなると、どうしてもそのうち処女じゃなくなるし」

「零児、お、おまえ……」

「やりたいけど美味い血は飲みたい。吸血鬼のジレンマだよなー」

「うわあ……」


 おれはドン引きしていた。あまり一番ヶ瀬さんに聞かせたい話ではないな、と思いつつ、チラリと彼女に視線をやる。彼女は特に気にした様子もなく、平然と頷いていた。


「で、ナギと陽毬ちゃん見てたらピンときたんだよな。彼女とは別に、血を飲ませてもらうだけの女の子を見つければいいじゃん、って」

「おまえ、最低なこと言ってるのわかってる?」

「なんでだよ。おまえとどう違うの? 少なくとも、陽毬ちゃんの血吸ってるおまえに反対する権利ないだろ」


 違……わないかもしれない。言い返そうとしたけれど、反論の余地はなかった。ぐっと唇を引き結んで下を向く。


「心配しなくてもさ、ナギから陽毬ちゃんのこと取り上げたりしねーよ。お互い平等にシェアするってことでどう?」

「……一番ヶ瀬さんのこと、ものみたいに言うなよ……」

「……たしかに、今のは俺が悪かった。ごめんな、陽毬ちゃん」


 零児は自然な仕草で、一番ヶ瀬さんの手を取った。やけに優雅で気障で、御伽噺の王子様みたいだ。彼女の表情に、やや困惑の色が浮かぶ。


「なあ、頼むよ陽毬ちゃん。他にこんなこと頼める女の子いないしさ」


 そういう「頼れるのは君しかいない」みたいな、一番ヶ瀬さんに刺さりそうなフレーズを使うのはやめてくれ! 彼女はそういう頼られ方に心底弱いんだ……。

 一番ヶ瀬陽毬という女の子は、求められるときっと喜んで血を差し出すだろう。自分の感情に素直になるなら絶対に嫌だし、なんとしてでも阻止したい。

 でも、零児の言う通り、おれに彼女の行動を制限する権利なんてない。彼女にしてみれば、「自分を必要としてくれる人」は多い方がいいではないか。


「わたし、は……」


 一番ヶ瀬さんが口を開いた瞬間、予鈴が鳴り響いた。

 零児はぱっと彼女の手を離して、ニコッと人好きのする笑みを浮かべる。


「ま、すぐに決めなくてもいいよ。ゆっくり考えて返事聞かせて」


 零児はそう言って、さっさと暗室から出て行った。その姿が見えなくなってから、一番ヶ瀬さんがこちらに向き直る。


「薙くん、わたし」

「……早く行こう、一番ヶ瀬さん。授業遅れる」


 おれが一番ヶ瀬さんの言葉を遮ったのは、続きを聞きたくなかったからだ。

 薄暗い暗室を出た途端、蛍光灯の眩しい光に目眩がする。おれは教室に帰るまでずっと下を向いたまま、彼女の顔すらまともに見れなかった。




 九月に入ってから、夜はずいぶんと気温が下がって過ごしやすくなった。秋はもっとも夜の散歩に適した季節である。アスファルトにはまだ日中の熱が残っているが、肌に触れる空気はもう秋のものだった。

 夏休みが終わってから、おれはまたバイト帰りの一番ヶ瀬さんを迎えに行くようになった。ファミレスの裏口は、大通りに面した正面とは違い、街灯が少なくて薄暗い。防犯的には微妙なのかもしれないが、おれにとっては心地良い空間だった。

 そのとき、ふいに視線を感じて振り向いた。少し離れた駐車場のそばに、見知らぬ男が立っている。ひょろりと背が高く猫背気味で、どこか陰気なオーラを纏っている。長い前髪から覗く瞳が、赤くギラリと光るのが見えた。吸血鬼だ。

 男はしばらく様子を窺うように立ち尽くしていたけれど、やがて闇に溶けるように姿を消した。ざらりと肌に纏わりつくような、嫌な感じがした。なんだか不気味だなと思っていると、裏口の扉が開く。


「薙くん! おまたせしました」

「……ひ……一番ヶ瀬さん。おつかれさま」


 半袖のTシャツの下にデニムを履いた一番ヶ瀬さんは、「今夜は涼しいですね」と華奢な二の腕をさすっている。最近の彼女は、おれが迎えに来ても申し訳なさそうな顔をしなくなった。

 二人並んで、一番ヶ瀬さんの住むアパートに向かう。彼女はあれこれ話しかけてくれたが、おれは昼間の一件が尾を引いており、心ここに在らずだった。

 アパートに到着すると、彼女は「寄っていってください」とおれを部屋の中に上げてくれた。昼間の約束通り、血を飲ませてくれるのだろう。

 スニーカーを脱ぐと、電気もつけず、暗い部屋の真ん中に腰を下ろす。

 おれの目の前にぺたんと座り込んだ彼女が、白い手をすっと差し出す。おれはその手を掴んで引くと、迷わず首筋に噛みついた。口の中いっぱいに、勢いよく血液が流れ込んでくる。


「きゃっ……」


 まさか首から飲まれるとは思っていなかったのか、一番ヶ瀬さんの身体がびくりと震えるのがわかった。しかし彼女に嫌がる様子はなく、優しくおれの背中を撫でてくれる。

 絶対に逃さないとばかりに、おれは彼女を抱きしめた。凶暴な吸血鬼の本能が、頭の中で必死に叫んでいる。

 ――他の誰にも渡したくない。これは、おれだけのものだ。

 ああ、これでは零児に「一番ヶ瀬さんをもの扱いするな」だなんて言えない。

 血を飲み終わっても、おれはしばらく一番ヶ瀬さんを離さなかった。彼女はやや戸惑ったように「薙くん?」と問いかけてくる。


「……零児に…… おれ以外の奴に、血飲ませないで」


 喉の奥から絞り出した声は、自分でも驚くくらいに情けなかった。みっともないエゴ丸出しだ。おれに彼女を独占する権利なんて、ありはしないのに。

 腕の中にある彼女の身体が、小刻みに震えている。怒らせてしまっただろうか、と不安になって顔を覗き込む。

 すると、彼女は「うふふふ」といつもの不気味な笑みを浮かべていた。


「……要するに。薙くんはわたしの血がとっても大好きで、独り占めしたいってことですよね?」

「う、うん……」


 大好きなのは血だけじゃないけど、そういうことにしておこう。

 一番ヶ瀬さんは両の頰にエクボをこしらえて、嬉しそうにこちらに擦り寄ってくる。


「そんなに欲しがってもらえるなんて、冥利に尽きます。すごく嬉しいです。わたしの血は薙くん専用ですから、他の人にはあげません」


 薙くん専用、という言葉に、おれはどうしようもなく嬉しくなってしまった。自分の中にある下卑た欲が満たされていくのがわかる。

 一番ヶ瀬さんはおれの頰を両手で挟んで、うっとりしたように目を細めた。

 

「これからもずっと、薙くんだけのものになります……」


 そんなことを平気で言ってのける彼女は、やっぱりどこか危なっかしい。おれはそんな彼女の危うさを利用して、そばにいるのだ。ずるいのはわかっているけど、もう手放すことなんてできない。


「あ、あとさ、もういっこ……」

「なあに?」

「……零児が、ひ、陽毬ちゃんって呼んでるのもすげえ嫌なんだけど……お、おれも名前で呼んだらダメかな?」


 夜のおれは、昼間よりもほんの少しだけ積極的になれる。窓から差し込む月明かりに照らされた彼女は、ぱあっと眩しい笑顔を浮かべた。


「ダメなわけないです! 喜んで!」


 おれの両手を握りしめた彼女は、大きな瞳を期待に輝かせながら、おれが名前を呼ぶのを待っている。

 おれは大きく深呼吸をした後、もつれそうになる舌に気合を入れて、ようやく彼女の名前を口にできたのだった。

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