17:思春期吸血鬼

 おれも大多数の吸血鬼と同じように、夏が苦手だ。

 家を出た瞬間に蝉の鳴き声が聞こえてきて、うんざりした。昨日も夜明けまで起きていたせいで、瞼が重くて仕方がない。

 今日は曇り予報だったが、うっすらと空にかかる雲の隙間からは、まだ青空が覗いていた。午後から雨が降るらしいから、一応傘は持って行くことにしよう。じめっと身体に纏わりつくような湿気が不快で、今すぐ回れ右してベッドに戻りたくなる。


「あ、ナギ。おっはよー」


 足取りも重く歩いていると、背後からばしんと背中を叩かれた。

 眠い目を擦りながらノロノロと振り返ると、零児が白い牙を見せて笑っていた。イケメンは朝からイケメンだ。夜になるともっとイケメンになるのだろう。


「……おはよう……」

「今日あちーよな。そういやうちの母さんが、薙は月城祭来んのかって言ってたぞ」

「気が向いたら行くよ」


 こいつと歩くのは目立つので嫌なのだが、零児は勝手にべらべらと話しかけてくる。どうやら最近彼女と別れたらしく、出逢いが欲しいと嘆いていた。そんなことを言いながらも、一週間もしないうちに新しい女を捕まえることをおれは知っている。


「元カノも可愛かったんだけどさ、やっぱ処女の血じゃないとダメだわ。ま、ナギにはわかんねーだろうけど」


 そんなことを平然と言ってのける零児を、おれは心底軽蔑している。処女を千切っては投げ千切っては投げているこいつの姿は、吸血鬼としては正しいのかもしれないが、おれの価値観に照らし合わせるなら紛れもないクズである。おれはこんな風にはなりたくない。好きな女の子のことは、ずっと大事にしてあげたいと思う。

 その瞬間、何故かおれの頭に浮かんだのは、一番ヶ瀬さんの顔だった。なんでこの流れで思い出すんだ、と一人で赤面してしまう。


「ナギ。最近なんかいいことあった?」

「えっ。な、なんで」

「なんかやけに調子良さそうだからさ」

「……いや、特に何も」


 内心の動揺を押し隠しつつ、おれは答える。傍目から見てもわかるくらいに、ご機嫌オーラが出ていたのだろうか。

 最近のおれは、昼休みには一番ヶ瀬さんの血を飲んで、夜になるとバイト終わりの彼女を迎えに行って、結構充実した毎日を送っている。正直、そこそこ浮かれている自覚はある。

 だって一番ヶ瀬さんは、ちょっと変わっているけれど優しくて可愛いし、とってもいい子だ。そんな女の子と親しくなれて、浮かれずにいられるものか。


「もしかして、彼女でもできた?」


 幼馴染からの問いかけに、おれはまたしても一番ヶ瀬さんのことを思い浮かべてしまう。すぐに、図々しいことを考えた自分を恥じた。

 あんなに可愛い子が彼女だなんて、おこがましいにも程がある。ちょっと親しくなったぐらいですぐに勘違いしてしまうのは、おれの悪いところである。


「……できてない」

「もし彼女できたら、ちゃんと紹介しろよー。大丈夫、おまえの女なら取ったりしねえから!」

「うわ、信用できない……っていうか、おれに彼女なんてできるわけないだろ」

「ま、それもそうか。おまえも早く吸血の喜びを知れるといいな!」


 そこで納得されると、それはそれで腹が立つ。ふてくされていると、零児が「あーあ」と大きな溜息をついた。


「俺もそろそろ血飲みてぇな……夏休み入る前に彼女作らないと。いろんなとこ遊びに行きたいし」

「……どうせ吸血鬼おれたちは、どこにも遊びに行けないだろ」


 吸血鬼にとって、夏の日差しは天敵である。おれはきっとこれから先、太陽の下で誰かとデートすることもできない。そう思うと、なんだかちょっと寂しくなった。去年はそんなこと考えもしなかったのに、どうしてだろう。

 そんな妙にセンチメンタルな気分を、「いや、ナイトプールとかあるじゃん」という零児の言葉が吹き飛ばした。なんというか、下心しかないチョイスである。




 期末試験が終わると、校内は一気に浮かれた空気になる。残りの授業はほぼテスト返しのみで、もう一週間もすれば夏休みだ。もし試験結果が芳しくなければ補講に出る必要があるが、おれはそこそこ成績優秀なのでその心配はない。当然、優等生である一番ヶ瀬さんも同様だった。

 窓の外を見ると、鉛のような灰色の重たい雲が空を覆っていて、いい感じに曇ってきた。もしかするとそろそろ雨が降り始めるかもしれないが、晴れているよりはずっといい。


「夏休み、クラスのみんなで遊びに行こうぜー! 海行きたい、海!」


 机に頬杖をついてぼんやりとしているおれのそばで、クラスの中心グループが騒いでいる。その中には一番ヶ瀬さんの姿もある。彼女は積極的に話題を振るわけではなく、ニコニコ笑顔を浮かべて座っていた。

 言うまでもないが、こういうときの「みんな」におれは含まれていない。おれの夏休みの予定は、昼間は惰眠を貪り好きなだけ夜更かしして散歩をしたり読書をすることである。

 そんなおれとは対照的に、クラスのキラキラリア充軍団たちは夏休みに海に行く予定を立てていた。夜宵市に海はないので、おそらく電車で隣の市まで行くのだろう。


「ねえねえ、陽毬も行こうよ!」

「えっ。でもわたし、水着持ってないんですよね……バイトもありますし……」

「えー、陽毬ちゃんが来ないならオレ行くのやめよっかなー」

「水着なんて買えばいいじゃん! ねっ、お願いお願い! 陽毬がいないとつまんないよー!」

「人数多い方が楽しいし、来てくれると嬉しいんだけど」

「……わかりました! そういうことなら、喜んで!」


 周囲から持ち上げられ、一番ヶ瀬さんは瞳を輝かせて頷いた。なんというか、みんな彼女の動かし方を「わかっている」という感じだ。一番ヶ瀬さん、将来変な壺とか買わされなければいいんだけど。

 ……それにしても、一番ヶ瀬さんの水着かあ。

 うっかり想像をしてしまって、ぶんぶん頭を振って煩悩を追い出した。たぶん、いや絶対可愛いに決まってるけど、どうせおれは見れないんだから妄想するだけ虚しい。考えるのはやめよう。


「あ。山田くんも来る? 海」

「え」


 予想外に話を振られて、おれはその場で固まった。ぎこちなく声のした方を向くと、野球部の葛城かつらぎ駿しゅんくんが、爽やかな笑みを浮かべてこちらを見ている。

 葛城くんは誰にでも分け隔てなく優しく親切な奴で、言うなれば男版一番ヶ瀬陽毬である。ぼっちのおれに気を遣って話を振ってくれたのだろう。

 しかしこういうとき、咄嗟に上手い返しができないのところがおれのコミュ障たるゆえんだ。口籠っていると、そばにいた女子が葛城くんの頭を軽く叩いた。


「こら、駿! 山田くんは絶対海無理でしょ!」

「あ、そっか……! ご、ごめん山田くん。余計なこと言った」

「いや、全然……」


 こちらこそ、余計な気を遣わせてしまって申し訳ない。吸血鬼であるおれが、灼熱の太陽がさんさんと降り注ぐビーチに遊びに行けるはずもない。

 もっとも、もしおれが吸血鬼でなかったとしても、おそらくクラスのリア充軍団と海には行かないだろうが。

 葛城くんに悪意はまったくなかったらしく、「ほんとにごめん」と恐縮している。もしここに松永がいたら、うるさく騒ぎ立てて嫌味のひとつでも言われていたかもしれないが、幸いにも彼女はここにはいなかった。おれが「別にいいよ」と答えるだけで話は終わり、その場は丸く収まった。




 昼休みが始まると同時に、激しい雨が降り始めた。カーテンの締め切った視聴覚室に、パラパラと雨が窓を弾く音が響く。

 一番ヶ瀬さんはなんだか妙に青い顔で、弁当を食べる箸の動きも鈍かった。さっきまでは楽しそうにクラスの連中と喋っていたのに、どうしたのだろうか。「ごちそうさまです」と弁当を片付ける彼女に向かって、おれは尋ねた。


「一番ヶ瀬さん、体調悪い?」

「……あ、ううん……ごめんなさい。わたし、雨あんまり好きじゃないんです」

「そうなの?」


 おれは雨の日の方が調子が良いくらいだけれど、低気圧の日に頭痛がする人間もいるらしい。もしかすると、一番ヶ瀬さんもそういうタイプなのかもしれない。


「今日は血飲まないでおこうか?」

「えっ、それはやだ……! 気持ち的な問題なので、むしろ薙くんに血を飲んでもらった方が元気が出ると思います」


 気を遣ったつもりだったのだが、一番ヶ瀬さんは絶望の表情を浮かべて、縋るようにおれの袖を掴んだ。

 その手が小さく震えていることに気がついて、本当に雨が苦手なのだな、と思う。おれは今まで雨の日がそんなに嫌いじゃなかったけど、これからはあんまり喜べなくなりそうだ。

 躊躇ったけれど、おれは震える手にそっと自分のてのひらを重ねた。おれとそんなに身長は変わらないけれど、彼女の手はおれよりも小さくて、すっぽりと覆われてしまう。そんなところに「女の子」を感じて、なんだか胸がうずうずした。


「薙くん、わたしの血、飲みたいですよね……?」


 黙ってしまったおれの顔を、一番ヶ瀬さんが心配そうに覗き込む。

 いつも明るく元気に振る舞っている彼女は、もしかするとおれが思っている以上に脆いのかもしれない。彼女のことを知れば知るほど、その危なっかしさを放っておけなくなる。


「……飲みたいよ」


 おれの返答は紛れもない本音だったけれど、彼女を安心させたい気持ちも少なからずあった。

 予想通り、彼女はほっと頰を緩めて、こてんとおれに寄りかかってくる。「いっぱい飲んでください」と囁かれる声には、やけに甘えた響きが含まれていた。

 いただきますを告げてから、細い指を口元に寄せて、味わうように血を飲む。今日は目を開けたまま、彼女のことを観察してみた。相変わらずうっとりと恍惚の表情を浮かべている。幸せそうなのは何よりだが、やっぱりどうしようもなく歪んでいるとも思う。


「……ごちそうさま」

「はい、どういたしまして」


 こうして血を与え飲むおれたちは、太陽の下でデートをするような、健全でありふれた関係じゃない。たぶん一番ヶ瀬さんがおれに求めてるものも、そんなものじゃない。

 そんなことくらい、わかってはいるんだけど――おれだって、夏休みに気になる女の子と二人で遊びに行きたい願望ぐらいある。

 おれは素早く息を吸い込んでから、ゆっくり口を開いた。


「……一番ヶ瀬さん……夏休み、うちの地元で夏祭りあるんだけど……い、一緒に行かない?」

「……え?」

「いや、お、おれ太陽苦手だからさ……その、海とかプールとか行けないけど……ひ、日が暮れてからでもよければ、い、一番ヶ瀬さんと、遊びに行きたい」


 勇気を出して切り出したものの、舌がもつれてしどろもどろになる。零児ならもっとスマートに誘えるのだろうな、と死にたくなった。

 おれが気まずさに耐えかねる前に、一番ヶ瀬さんは目尻を下げて柔らかく微笑んだ。頰に浮かんだエクボが可愛くて、心臓がドキリと高鳴る。


「……嬉しい。わたしも薙くんと、遊びに行きたいです」


 その言葉はもしかすると彼女の本心ではなくて、おれを喜ばせたいがためのリップサービスなのかもしれない。それでもおれは嬉しかった。ガッツポーズをしそうになる右腕を必死で押さえ込む。単純だと笑いたければ笑うがいい。

 本当のところ水着姿も見たかったのだけれど、「楽しみだなあ」と無邪気に笑う女の子に向かって、「ナイトプールに行こう」とはさすがに言えなかった。下心を剥き出しにはできない、思春期のささやかな葛藤である。

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