9:きみは太陽

 球技大会当日は、まるで謀ったかのような晴天だった。

 一般的には球技大会日和なのだろうが、おれたち吸血鬼にとっては最悪だ。デザインがダサすぎる日除けの黒い帽子をかぶって、おれは日陰でボーッとしていた。こんなに晴れていては、身体が怠くて仕方がない。

 土埃の舞うグラウンドでは、うちのクラスの連中がソフトボールの試合をしている。練習の時点でブッ倒れていたおれは「無理するな」と担任の先生から言われたこともあり、早々に見学を決め込んでいた。おれが試合に出たところで何の戦力にもならないのだから問題ない。しかし、松永なんかは「やっぱり吸血鬼がいるとクラスの輪が乱れる」と聞こえよがしに文句を垂れていた。

 試合の流れはあまり把握できていなかったが、スコアボードを見る限り、九回裏で一点差でうちのクラスが負けているらしい。へっぴり腰でボールを打ち返した女子が三振をして、これでツーアウト。

 続いてバッターボックスに立ったのは一番ヶ瀬さんだった。二塁にランナーが出ているため、一発が出れば逆転というシチュエーションである。

 今日は気温が高いため、一番ヶ瀬さんは半袖の体操着姿だった。ハーフパンツからすらりと伸びたふくらはぎが健康的で非常に眼福である。じろじろ見るのも憚られたが、ついつい目線を向けてしまう。

 ……まあ、遠くから多少凝視したところでバレやしないだろう。


「あ、一番ヶ瀬さんだ。あの子可愛いよなー」


 背後からそんな声が聞こえてきて、おれはちらりと発言の主を確認した。

 おれの後ろにあるフェンス越しに、見知らぬ男子グループが立っていた。どちらかといえば派手で垢抜けた風貌で、おれが一生お近づきにならなさそうなタイプである。イケメンコミュ強の零児あたりならば、仲良くなれるだろうが。


「へー。おまえ、ああいうのがタイプなんだ」

「え、可愛くない? 俺めっちゃ好み」

「あの子、性格もすげえ良いよ。オレ一年のときクラス一緒だったんだけど、絶対誰の頼みも断らないんだよ。いい子だよなー」


 盗み聞きなんて趣味が悪いと思いつつも、ついつい会話に耳を立ててしまう。

 一番ヶ瀬さんはやはり一年の頃から天使だったのか。誰にでも優しい彼女に人気が出るのは、当然の摂理である。彼女のことを天使だと思っているのは、おれだけではないのだ。


「マジで? じゃあ頼めばやらせてくれっかなー」

「いやいや、さすがにそれはないだろー!」


 ギャハハと下品な笑い声が響いて、ぎょっとしたおれは弾かれたように男たちの方を見てしまった。

 突然振り向いたおれに、彼らは怪訝そうな眼差しを向けている。気まずくなったおれは、再び前を向いた。


「……あれ誰?」

「名前わかんね。ほら、B組の吸血鬼」


 ヒソヒソ声が漏れ聞こえてきて、おれは悪くもないのに身を縮こませる。本来ならばおれのような地味な男は存在すら認知されないものだが、吸血鬼というだけで無駄に目立つのは困りものだ。

 そのとき、カキンと小気味良い音が響いて、白球が空高く打ち上げられた。そのままライトの頭上を越えて、フェンスの向こう側に落ちる。わあっという歓声が響き渡った。我がクラスの見事なサヨナラ勝ちだ。

 逆転ホームランを打った一番ヶ瀬さんは、笑顔でホームベースを一周した。彼女は運動神経も抜群なのだ。クラスメイトに出迎えられて、飛び跳ねながらハイタッチをしている。トレードマークであるポニーテールがぴょこぴょこ跳ねて、白いうなじが露わになる。


「一番ヶ瀬さん、やっぱかわいー! オレ、マジでいっちゃおうかな」

「俺連絡先知ってるし、紹介してやろうか?」


 さっき「やらせてくれるかな」と言った男のはしゃいだ声に、腹の底からモヤモヤがこみ上げてくる。偏見なのは百も承知だったが、零児と同じく女子を食い散らかしていそうなタイプである。

 もし一番ヶ瀬さんがこの男に「やらせてほしい」と言われたら、どうするだろうか。彼女のことだから、「わたしでよければ!」と喜んで身体を差し出しかねない。なにせ、誰かに必要とされるのが好きだと言って憚らない女の子なのだ。

 もっと欲しがってもらえるように頑張ります、と微笑む彼女を思い出して、余計にモヤモヤが募った。

 クラスメイトはひとしきり勝利を喜んだ後、相手チームと互いに礼を交わして、無事試合が終了した。昼食を挟んで、次の試合は午後からである。

 どうせおれは見学だし、保健室で昼寝でもさせてもらおうか。しかし、一番ヶ瀬さんの血を吸った一件以来、谷口先生のおれを見る目がやや厳しいので、追い出されてしまうかもしれない。

 そんなことを考えていると、一番ヶ瀬さんがふいにこちらを向いた。目が合った瞬間に、ニコッと満面の笑みを浮かべる。後ろにいる男たちが「こっち見た」とざわついた。


「薙くーん! ホームラン打ちましたよー! 見てくれましたかー!?」


 ……ああ、その笑顔は吸血鬼おれにとってはちょっと眩しすぎる。

 背中にビシビシと突き刺さる視線を感じながら、おれは下を向いて帽子を目深にかぶった。あの子の距離感には未だに慣れない。

 じっと俯いていると、一番ヶ瀬さんがこちらに駆け寄ってきた。すらりとした脚が目の前に現れて、頭の上でポニーテールが揺れる。


「薙くん、どうしたんですか? 体調悪いんですか?」

「うん、眩しくて……」

「大丈夫ですか? 今日、お天気良いですもんね。保健室行きましょう」

「……いや、人工血液飲んでくる……」


 ふらふらと立ち上がったおれに、一番ヶ瀬さんはちょこちょことついてくる。身体を支えるように腕を掴まれて、心臓がどきりと跳ねた。


 グラウンドの喧騒から離れた校舎裏にある自動販売機には、スポーツドリンクやコーラに並んで、人工血液のパックが売られている。学校の隅っこにひっそり佇んでいるこの自販機は、ほぼ吸血鬼しか利用しないので、なんだかやけに寂れていた。

 小銭を入れてボタンを押そうとしたところで、横から伸びてきた指がスポーツドリンクのボタンを押した。ガコン、という音とともに青いペットボトルが吐き出される。


「ちょ、ちょっと……」


 文句を言おうと口を開くと、一番ヶ瀬さんは悪戯っぽくぺろっと舌を出した。そういう顔も愛らしいので、怒る気がしおしおと萎えてしまう。可愛い女の子というのはずるい生き物だ。


「ごめんなさい。でも薙くん、人工血液あんまり好きじゃないんですよね?」

「まあ、そうだけど」

「じゃあ、もっといいものあげます」


 一番ヶ瀬さんはそう言って、ペットボトルのキャップを開けて口をつける。スポーツドリンクが流し込まれるのと同時に、真っ白い喉がごくごくと動く。一番ヶ瀬さんは脚もきれいだが、もっとも魅力的なのは輪郭から首、鎖骨にかけてのラインだとおれは思う。

 運動をして喉が渇いていたのか、彼女は美味そうにスポーツドリンクを飲み干した。ペットボトルをゴミ箱に捨てた後、左手の絆創膏を剥がす。


「……こっちの方が、好きですよね」


 口元に人差し指を差し出されて、おれはたじろいだ。うん好きだよ、好きだけど。ここは二人きりの暗室ではなく、いつ誰が通るかもわからない野外である。

 おれの躊躇いを察知したのか、一番ヶ瀬さんは耳元で囁いてくる。耳をくすぐる息がこそばゆい。


「大丈夫。誰も来ませんよ」

「でも」

「薙くん」


 一番ヶ瀬さんの手が伸びてきて、ダサい帽子をすぽんと脱がせた。視界を覆うものがなくなって、彼女の顔がよく見える。

 眩さに思わず目を閉じたおれの口に、華奢な指が突っ込まれた。噛みついた場所から流れてくる液体は、脳が痺れるほどに甘い。すがるように華奢な肩を掴む。


 ――絶対誰の頼みも断らないんだよ。

 ――頼めばやらせてくれっかなー?


 さっき聞いた男たちの声が頭に響いて、ぐ、と肩を掴む手に力がこもる。

 もしかすると彼女は、求められれば他の誰かにもこうやって身体を差し出すのかもしれない。そんなことを考えると、何故だか胸が締めつけられた。

 名残惜しく思いながらも、彼女の指から口を離す。こんなにも苦しくなるのはきっと、彼女の血が美味しすぎるせいだ。こんな麻薬のようなものを日常的に飲まされていては、失うのが怖くなるのは当然だ。


「……ごちそうさま」

「はあい」


 おれが言うと、一番ヶ瀬さんは弾むような声で答えてくれる。目を開けた瞬間に視界に飛び込んできたのは、至近距離で浴びるにはあまりにも眩しすぎる笑顔だった。

 ……やっぱり彼女は、吸血鬼おれにとっては毒である。

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