6:晴れの日の相合い傘
家を一歩出た瞬間から、天気は最悪だった。
透き通った青色のガラスのような空には太陽が容赦なく輝いており、雲のひとつも見当たらない。おれは憎たらしい太陽を睨みつけた後、黒の日傘を開いた。
おれの家がある
駅に行って電車に乗るまで、すれ違う人のほとんどが日傘を持っている。スーツを着た会社員も、杖をついたおじいさんも、ランドセルを背負った小学生もみんな。
しかしひとたび電車に乗って、高校の最寄り駅に降り立つと、日傘をさした男子高校生は少数派だった。
女性ならばそうでもないのだろうが、真夏でもないのに日傘を持っている男はほぼ吸血鬼である。不躾な視線を向けられるのも、不必要に怯えられるのも嫌だった。紫外線は人間の身体にも有害なのだから、男女関係なく日傘をさせばいいのに。
駅からおれの通う高校までは、歩いて五分程度で着く。この時間だと、ほとんどがおれと同じ制服を着た学生だ。
少し前を歩くカップルは男の持つ日傘に二人で入っており、人目も憚らずにぴったりとくっついている。朝っぱらから暑苦しいなと思って見ていたのだが、男の後ろ姿に見覚えがあった。
「あっ、ナギじゃん。おはよー」
さっさと抜かしてしまおうと思ったのだが、目敏く気付かれてしまった。
相合い傘をしているバカップルの片割れは、幼馴染の
「なになに? 零くんのオトモダチ?」
零児の隣にいた女子はちょっと派手めな美人だった。見覚えのない顔だったので、もしかすると先輩か後輩なのかもしれない。歳上だろうが歳下だろうが、おれは派手な女の子が苦手である。
ろくな返事もできず黙っていると、じろじろと無遠慮な視線を向けられた。
「あ、もしかして吸血鬼なの?」
「そうそう。俺の幼馴染」
「へー!」
物珍しいものでも見るように、頭のてっぺんから爪先までじっくり観察された後で、「なんか零くんと違って、あんまり吸血鬼っぽくないねー」と言われた。
零児はおれに比べて吸血鬼の血が濃いので、瞳はおれより赤っぽいし、牙も大きく、より吸血鬼らしい外見をしている。しかもすらりとした長身で、一目見ただけではっと息を飲むほどの美形である。
数ある創作物の影響か、吸血鬼というのは容姿が整っているイメージを持たれやすい。そういう意味では、零児は世間一般的にイメージされる吸血鬼に近いのだろう。おれは所詮「吸血鬼っぽくない」地味な顔立ちである。
……いや別に、拗ねてるわけじゃないぞ。吸血鬼らしくないと言われること自体は、喜ばしいことだ。
「こいつ、血よりも牛乳ばっか飲んでる変わりモンだから! 吸血童貞だもんなー」
おれよりも十五センチほど背の高い零児から、バシバシと乱暴に頭を叩かれる。零児の彼女は「やだあ、もう」と肩を揺らして笑った。
こいつは持ち前のツラの良さを生かして、女子を(いろんな意味で)食い散らかしている。そういえば、先週までは別の子を連れていたはずだ。友人の貞操観念に口を出すつもりはないが、未だに彼女のひとりもいないおれを「吸血童貞」とからかってくるのは腹立たしい。
ムキになって、もう童貞じゃねーよ、と言い返しそうになって、慌てて口を噤んだ。そんなことを口にしたら、誰の血を飲んだんだと根掘り葉掘り聞かれるに違いない。それはかなり面倒臭い。
「そういやナギ、こないだ昼休みに女の子と一緒にいなかった? 彼女できた?」
零児の問いに、おれは内心ぎくりとする。平静を装いながら、首を横に振った。
「……いや、ただのクラスメイト」
「そーなん? 結構可愛い子だったじゃん! ……いや、そりゃあミユが一番可愛いよ」
むーっと頬を膨らましている恋人の存在に気がついたのか、零児が慌ててフォローを入れる。彼女がここにいなければ、絶対「紹介して!」と言われていたに違いない。こんな節操のない男がなぜモテるのか、おれにはさっぱりわからない。
「じゃあ、おれ先行くから」
「おー。またなー」
ひらひらと片手を振る零児を追い抜いて、おれは足早に学校へと向かう。最後に一度だけ振り返ると、ひとつの日傘の下をシェアするバカップルは、イチャイチャべったりと寄り添っていた。
……暑そうだし、別に羨ましくなんてないぞ。
一日の授業を終えてもなお、空には忌々しい太陽が輝いていた。
下駄箱で上履きからスニーカーに履き替えたおれは、太陽など気にせず外に飛び出していく生徒たちを横目に溜息をつく。
おれは部活や委員会にも入っていないので、特に学校に残る用事はない。家に帰ってすることもないので、別に急ぐ必要もないのだが、ぼっちのおれが学校で時間を潰す方法などたかが知れている。おとなしく帰宅して、昼寝のひとつでもした方が建設的だろう。
時刻はまだ十六時前なので、日が傾くには少し早い。今日の昼休みにも一番ヶ瀬さんの血を飲んだし、多少日光を浴びても倒れることはないとは思うが。それでも先日のこともあるし、日傘をささずに帰るのは心配である。
渋々、リュックから折り畳みの日傘を取り出す。その瞬間、すれ違った生徒がおれの顔をチラリと盗み見るのがわかった。考えすぎかもしれないが、やや怯えたような早足でこの場を立ち去っていく。
おれはこういう瞬間が、どうしようもなく嫌いだった。
「あれっ、薙くん! 今帰りですか?」
背後で響いたのは、おれの鬱屈を吹き飛ばすような明るい声だ。首だけ回して振り向くと、ポニーテールを揺らした一番ヶ瀬さんが駆け寄ってくる。
「……一番ヶ瀬さん……トイレ掃除、押し付けられてなかったっけ」
「押し付けられてません、代わってあげたんです。もう終わらせてきました! 一緒に帰りましょう」
ニコニコと愛想よく話しかけてくる一番ヶ瀬さんに、おれは「はあ」と生返事をする。日傘を握りしめたまま突っ立っているおれに向かって、彼女は「どうかしました?」と尋ねてきた。
「傘、ささないんですか? 結構晴れてますよ」
「うん……日傘、あんまり好きじゃない」
「ああ、邪魔ですもんね」
「それもあるけど……日傘さしてたら、吸血鬼って丸わかりだし」
ボソボソと答えると、一番ヶ瀬さんはきょとんと瞬きをして「それの何がだめなんですか?」と言った。おれは黙ったまま、疑問符を浮かべた彼女の澄んだ瞳を見つめている。
一番ヶ瀬陽毬はきっと、「人間も吸血鬼も、みんなで仲良くしましょう」という幼少期から叩き込まれてきた道徳を、なんの疑いもなくまっすぐ信じているのだろう。
しかし、世の中にはそういう人間ばかりではない。吸血鬼というだけで過剰に恐れられ、避けられたり差別をされることだって少なくない。表立って口に出さなくても、人間の血を飲む吸血鬼を不気味に感じるのは、ある種の防衛反応として仕方のないことだ。恋人でもない男に喜んで血を飲ませる一番ヶ瀬さんの方が、圧倒的少数派である。
……そんなことを彼女に説明したところで、「人間も吸血鬼も関係ありません!」という教科書のようなきれいごとで包まれてしまうかもしれない。
黙っているおれに対し、一番ヶ瀬さんはそれ以上追求したりはしなかった。名案でも思いついたかのように、「そうだ」と呟き表情を輝かせる。
「あの、日傘お借りしても?」
「え、ああ、うん」
折り畳みの日傘を手渡すと、一番ヶ瀬さんは「立派な日傘ですね」と笑う。慣れた手つきでそれを広げて、「はい」とおれにさしかけてくれた。
「……え?」
「わたしが持つので、入ってください。日傘をさしてる女の子は、吸血鬼じゃなくても結構いますよ」
「そ、そりゃそうだけど……」
「薙くん、電車通学でしたよね? わたしもなんです。駅まで一緒に行きましょう」
そんな彼女のにこやかな強引さに押し切られ、おれはふらふらと日傘の下に入った。駅に向かう道を、二人並んで歩く。
女の子と二人で下校するなんて、初めての経験だ。こんなところを誰かに見られたらどうしようとハラハラしたが、幸いなことに周囲はそこまでおれたちに注目していなかった。
彼女が傘をしっかりこちらに傾けてくれているので、おれに太陽の光はまったく当たらない。しかし彼女の方はほとんど傘の中に入っておらず、さんさんと日光を浴びていた。これでは周囲から、女の子に傘を持たせる外道な男だと思われてしまう。
「……一番ヶ瀬さん。やっぱ、おれが傘持つよ」
「えっ、でも……」
「男が一人で日傘持ってんのは珍しいけど、こういう場合に男の方が傘持つのはおかしくないだろ」
今朝だって、傘を持っていたのは零児の方だったが、周囲は特に変な目で見たりはしていなかった。一番ヶ瀬さんは「こういう場合……?」と首を捻りながらも、おれに傘を手渡してくれる。
「……もうちょいこっち寄って」
おれはそう言って、一番ヶ瀬さんの腕を掴んで軽く引いた。とん、と肩と肩が軽くぶつかる。おれたちの身長はほとんど変わらないので、彼女の顔が驚くほど近くにあった。やっぱり可愛いんだよな、と改めてどぎまぎする。
太陽が降り注ぐ左肩と同じくらいに、自分の顔が熱くなっている。隣にいる女の子の肌に毎日牙を立てているというのに、相合傘ごときで何故こんなにも緊張しているのだろうか。
「薙くん、そっち傘に入れてませんよ」
一番ヶ瀬さんがおれの腕を引き寄せた。一瞬だけ肘にぶつかったふにゃりと柔らかな感触の正体を、おれは必死で考えないようにしている。
今のおれは吸血鬼にも外道にも見えないかもしれないが、もしかするとバカップルの片割れに見えているかもしれないな、なんてことを考えてしまった。
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