第8話 ウテナの世界

 平日の昼、俺はノパとともに学校の廊下をうろついていた。正確には、とある女子生徒のあとを尾行している。

「たしかなのか、ノパ」

「うん……あの子からすごい魔力を感じるよ。ただものじゃないかもしれない……」

 どうやら萌音さんとはまた違う、魔力を持った人間がこの学校にいたらしい。ブラムに襲われる前に、できればコンタクトを取りたいところだ。

 ノパによればあの髪の長い、おっとりした感じの女生徒がおそらくそうだ。ケータイにストラップがついているのか、上着のポケットから不気味な亀の人形がのぞき出ている。


「ていっ」

 柱の裏にいると、突然俺は後ろから誰かに後頭部をかるくチョップされる。見ると、萌音さんがじっと俺をにらんでいた。

「なーーに女の子ずっと見つめてんの? 怪しいやつ。あたしの親友なんですけど、あの子」

「な。すまない……そういうわけじゃないんだが」

 謝りつつ、女生徒を見失わないように視線を戻す。移動教室なようで、ノートと教科書を抱えたまま歩いている。

 よく見ると萌音も同じものを持っていた。同じクラスなのだろうか。

「ねえ、きのうは魔法の世界にいってたんでしょ? どんなとこなの? 教えてよ!」

 いつものように明るい萌音は、ぐいと近づいてたずねてくる。


「う、うーん。向こうの世界の名前は……フィアモズというらしい。どんなとこかというと……ダンジョンがここよりもたくさん出現してて、ハンターって職業の人たちが解決しようとしてる……みたいだな。街によってはブラムの被害をうけてるとこもある」

「うわぁ……。魔法の世界なのに殺伐(さつばつ)としてた……」

 すこし引き気味になる萌音。

「ま、たしかに魔法の世界にはちがいないが」

 ちら、とまた例の女生徒を見る。こちらには気づいていないようで、鼻歌を奏でていた。今日は天気がよく窓からあたたかい日がそそいでいるので、彼女とその景色がなんだかほがらかさを感じさせる。

「わたちゃんがどうかしたの?」

 萌音が俺の顔をのぞいて聞いてきた。

「わたちゃん?」

「兎森綿乃(ともりわたの)ちゃん。幼馴染なんだ~」


「名前は知ってる。去年同じクラスだったからな。ただ……あの人も、魔法が使えるかもしれない」

「ええーそれってすごい……けど!」

「ああ……」

 つまり、ブラムに狙われるということだ。萌音さんと同じように。

「でも、だいじょうぶでしょ。だってヒラユキくんはなんちゃらさんの生まれ変わりで、すごい魔術師なんだもん。あの怪物がきても、ちゃちゃっと倒してくれるんでしょ?」

 得意げに萌音は言う。


「……え。……いや、それは……」

「すごかったなぁ。綿ちゃんのことも絶対守ってあげなきゃだめだよ! あ、というか魔法使い仲間になるのかな?」

「……う、うーん。努力はするけど、そもそも俺はそんな魔法は……」

 萌音の会話のスピードについていけず、俺はたじろぐ。

「あ、ねえねえ。前にブラム? から守ってくれたお礼って言っちゃなんだけど、今度あたしダンスの大会があるんだ! よかったら見に来てよ!」

 と、目を輝かせて言う萌音。そんな場合ではないのだが。


「ダンス、の大会?」

「うん! 絶対ね」

「ぜったい? ……う、うーん。たぶんそんな時間は……」

 断ろうとしたが、萌音はすでに俺の目の前にはおらず、あの長髪のおだやかそうな女子生徒と合流していた。ともに並び楽しそうになにかを話している。

 萌音さんは明るくていい人なのだが、いまいち緊張感がないというかなんというか。そこが良さでもあるのだが。

でも、萌音さんのおかげであの女子生徒とも接点が持ちやすいか。あとで仲介を頼んでみよう。



 授業中、突然教室備え付けのスピーカーから放送が流れる。だれか教師らしき声がそこからする。

 なんでも警察の要請により、午前だけで授業が終了するらしい。すみやかな帰宅を、とのことだった。そして例の警察が封鎖している現場には近づかないように、と注意がつけくわえられる。


 いったん授業が止まり、生徒たちがざわつく。

 俺の胸中も同じだった。机の端(はた)にすわっていたノパと目があう。

 警察がいる現場、とはオブジェのことだろう。なにか変化があったんだ、と直感した。

 学校を飛び出てダンジョン前へと行く。ノパのおかげで容易に近づけたが、悪い予感は当たっていた。

 球体の壁に、前見た時よりも大きい穴が開いている。さすがに衝撃を受けた。


「ノパ、俺は二人のところに行こうと思う。他は任せられるか」

「やってみるけど……早くもどってきてね」

 ノパはいつになく弱気だった。

 こいつも本調子ではないんだろう。ブラムにやられる可能性もあるということか。

 俺は携帯をとりだし、萌音に電話をかける。

「萌音さんか。今どこにいる」

「へ? 部活が中止になったから、広場で自主練してるよ」

「ジシュレン……!?」

「ダンスの大会が近いって言ったじゃん!」

「……ダンジョンの穴がまた開いたんだ。合流したい」

「ええー!? ウソ、どうしよう……わかった。わたちゃんにも教えないと」

「一緒にいないのか? どこにいるかわかるか」

「うーん……今日はおとなしく帰るって……。家は柏木(かしわぎ)公園の近くだよ」

「か、柏木? どこだ、それは……」

「ほら、コンビニの近くだよ。あとバス停がある。駐輪場を抜けたとこ」

「……わかった。調べていってみる。萌音さんもできればそこにきてほしい。散らばってると危ない。魔法はある程度使えるって聞いたけど、身を守れそうか」

「う、うん。やってみる。急いでいくよ」


 俺は携帯でマップを調べてから、兎森さんの通学路だという道へと向かった。

 俺の家とは遠いあまりよく知らない場所だったが、マップ機能のおかげで柏木公園とやらはすぐに見つけられた。

しかし、兎森さんらしき女生徒の姿はない。

 もう家に帰ったんだろうか。それはそれで逃げ場がなくまずい。

 待てよ、と冷静に考える。

 このあたりに兎森さんがいるならブラムの大群が押し寄せているはずだ。それがないということは、まだここには来ていないのかもしれない。


 ふと道の向こうからなにかが向かってくるのが見える。目をやると、幼(おさな)い子猫がおぼつかない走りでなにかから懸命に逃げるように俺の横を過ぎ去っていく。

 猫が来た方角を見ると、嫌な胸騒ぎがした。そちらに向かって走ると、バス停とコンビニの前を通った先にマンションと広い駐輪場があった。


 さらに、そこにブラムの群れが大挙しているのが目に入る。五十体以上はいると思われるブラムが列をなしてなにかを追っているようだった。まるで百鬼夜行のようにうごめいている。

回りこむため迂回すると、数ブロック先に涙目で逃げ回るあの女生徒の姿を目撃した。

 追われているのは兎森さんだ。彼女はとうとうカバンを落とし、駐輪場とマンションの間にある狭(せま)い路地へと追い詰められている。


 急いでブラムの群れに横から割って入り、御神刀で焼き払っていく。

 久しく使えていなかったあの雷の魔法も広範囲に使うことができた。列をあらかたなぎ倒し、残る兎森さんに迫るブラムを背後から消し去る。

 気がつくと俺の息は乱れていた。これだけの数を一人で相手にしたのは初めてだ。ブラムの注意が俺に向いていなかったおかげであまり傷を負うこともなく切り抜けられたのだろう。


 剣が消え、その場に立ち尽くす俺を兎森さんはおびえた目で見ている。彼女は腕で顔をおおいかくし、その場にへたりこんでいた。

 どうやら震えているらしい。無理もない。が、俺はおもわず彼女を直視できず目を背けてしまった。

 彼女のシャツとスカートが雨も降っていないのに濡れており、足の付け根あたりが水浸しになっている。

 失禁……つまり尿洩れを彼女はしてしまっていた。どうやら転んだ拍子に服にもついてしまったようだ。

 いたたまれず、すぐには声をかけることができなかった。

「あ……あ……」

 彼女も混乱しているのか、まだブラムを見るかのような目をこちらに向けている。

「心配ない。もうあの怪物はいない」

 彼女は震えたままだったが、俺自身は言葉を発することでかえって冷静さを取り戻すことができた。そして持っていたカバンを置き、俺は上着を脱ぎその下の肌着を手に持つ。カバンからジャージも取り出し、水たまりを踏まないように気をつけつつ兎森さんに歩み寄った。

「これを使ってください。洗って返してくれればいいから」

 それでも彼女はおびえたままだったが、やがて自分の足元の事態に気がついたのか、恥ずかしそうにうなずき、「ありがとう」と小声で言ってくれた。

 その間俺は後ろを向き、彼女が落ち着くのをとりあえず待っていた。肌着としてつけていたTシャツに関してはもうタオル代わりに使ってくれればよかったのだが、意図は伝わったのだろうか。こういう場面に遭遇(そうぐう)するのは当然生まれて初めてなので、俺も若干とまどっていた。


「あの……」

 彼女のほうを見ると、俺のジャージに着替え終わっている。袖をまくってもダボダボでサイズは合っていないが、まあないよりはよかったよなきっと。

「ごめんなさい……服」

「……気にしないでください。それに、俺はなにも見ていないから。そういうことをからかうようなやつでもないし」

 今俺たちが置かれている状況を考えれば、ジャージがどうとか本当にどうでもいいことだしな。

 そう答えると、彼女は恥ずかしそうにしつつも口を開いてくれた。


「あの……これっていったいなにが……?」

 混乱しつつもきいてくる。だいぶ彼女も落ち着いてきたらしい。

「あれはブラムって言って、魔力があるものにひきつけられるらしい」

「魔力?」

 目を見開いて、わずかに兎森は首をかしげる。

「きみ、萌音さんの友達なんだよね。あの人も来ると思うから、その時事情を話すよ」

 スマホを取り出して萌音に連絡をしようとする。


「……かっこいい……」

 兎森さんがうっとりとした表情で、そんなことを言っていた。気のせいだろうか。彼女の頬が赤い。

 俺はとまどいつつも、萌音さんとの連絡に意識を向ける。すぐ近くにいるそうで、切ってから数秒で彼女は姿をあらわした。

「わたのー! 助けに来たよ! ……ってなにがあったの!?」いつも思うが、表情豊かな人だ。

「あっ、萌音ちゃん」

 それから二人だけで話をしていた。兎森さんも友達がきたことでかなり平静をとりもどしたようだ。

「二人は知り合いなの?」

 と綿乃さんがきき、萌音が答える。

「この人あたしのファンなんだって」

「……ち、ちがう」

「もー恥ずかしがらないでいいのに!」

 からかうように萌音は笑っている。なんだか調子が狂うな。



 一度兎森さんを家に帰そうと俺は提案し、ふたたび近くの公園で集合したのは夕方になってからだった。

「そんなことになってたなんて……」

 彼女にあらましを伝えると、かなり困惑した様子だった。

 しかし萌音さんもそうだったが、受けいられないということはあまりないようだ。あのオブジェがニュースになっていることも影響していると思う。

 ウテナの置かれている状況のだいたいの説明を終えたので、俺は二人に言う。

「ノパと合流して、ほかに被害がないか調べてくる。萌音さんはできるだけ兎森さんのそばについていてあげてほしい。また連絡する」

「気をつけてねー」

 萌音さんが笑って手を振る。兎森さんが「あの」と前に出て俺を呼び止める。

「その……ヒラユキくん。ありがとう……無事でね」

「あ……うん。また」


 気恥ずかしそうに小さく手を振る兎森さんの様子は、どういえばいいのか俺をも照れくさくさせた。今まで女の子とあまり関わろうとしていなかったし、まともに女性と話すというのは気まずさとはまた違う不思議な気持ちにさせる。

 ノパとはダンジョンの前で落ち合うことになっている。そこに着くと、ノパもいた。耳に切れ端ができており、ひと悶着(もんちゃく)あったようだ。

「平気か?」

 と声をかける。


「なんとかね……討ち洩らした分があるかも。そっちはなんとかなった?」

「ああ。なんでかわかんないけど、ひさびさにあの雷が使えたんだ」

「なにかきっかけがあるのかな。でも、もう四の五の言ってる時間はないよ」

「そうだな。準備をして、あしたダンジョンに入ろう。攻略するために……」

 ダンジョンの穴の先は深く、まだどうなっているかわからない。しかしこれ以上は押しとどめることは不可能だ。

 向こうで得た経験を活かすことができれば、深部までたどりつくことも夢ではない。あとは、アルスの力がどれだけもどるか次第だ。

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