REPLY 《3》

 もっと一緒にいたかったと言われるのは、光栄だけれど、複雑だ。


 でも、アミンの気持ちは分かる。


 連帯したいし、所属したい。


 誰かと同じでありたいというのは自然な感情だ。


「自分と同じ行動をする人を見ると安心し、違う行動をする人を見ると不安になる」


 認めると認めざるとにかかわらず、人間にはほぼ必ずその傾向がある。性質、いや、本能と言ってもいい。原因は「自分の行動や境遇の正誤を無意識に考えさせられるから」らしい。うっかり考えてしまうと、不運な人は自分の間違いや愚かさに気付いてしまう。その状態になった多くの人は「自分は正しい」という安心感を得る為に、自分と同じ行動を他者にも求める。この反応は、ほとんどの人間が無意識に、あるいは本能的に、そして思想とも無関係に、反射的にするもので、善悪とは無関係にただ厳然と在る。


 この感覚の悪い面が発露すると、自分と違う誰かを攻撃するようになる。攻撃的干渉というやつだ。他者の自由を否定し、多様性を認めず、同質化を求めて、迎合しない対象を蔑み、破壊しようとさえする。


 多くの偏見や差別はこの現象から発している。


 攻撃されることを避けたいのであれば、極力、人と違う行動は喧伝しないほうが安全とも言えるが、それは自由の敗北ではないだろうか。


 そうは言っても、自覚的に自制できる超然とした人物でもない限りほぼ例外なく支配される衝動、ようするに先天的に組み込まれている脳機能、あるいは脊髄反射のような生理的な反応で、現象の根である「自分を肯定したい」という欲求をまず自覚しないと、偏見が湧くことを抑制するのは難しい。それをすべての人に期待するのは、無理難題であるような気がする。


 分かりやすい偏見の例を挙げると、父親が息子に自分の仕事を継げと要求する場合や、母親が娘に「私と同じような人生を歩みなさい。結婚して、子供を産んで、良い妻・良い母になりなさい。夢を追うなんてバカバカしい」と言う場合などだろう。


 父親や母親は、自分が正しいと思いたいが為に、息子や娘に自分と同じようにしろと言うが、悪気は無く、息子や娘の幸せも願っている。


 自分と同じ行動を求めるということは、単純な善悪では判断できない。動機には自己肯定の欲だけではなく、同情と愛情深い善意すら含まれている。


 特定の思想や宗教の教義などに傾倒した人物が、それを多くの人に強制するのも、相手の幸せを願って、という側面もあり、本人は純粋な善意だと信じている場合すらある。相手を思い遣る気持ちだけは、その発現の方法が独善に歪んでいて、迷惑で、攻撃的で、多くの悲劇と被害者を生むとしても、本物なのだ。狂っているとは思うけれど……


 純粋な善も、純粋な悪も、存在しない。


 ともかく、闇雲に同化を求めることは、本質的には支配を求めることであり、自制しなければならない危険な衝動であり、抑制しなければならない感覚だと思う。


 ……なんて言ってしまうのは自己弁護が過ぎるかな。


 アミン、誰も、誰かと同じにはなれないんだよ。


 だけど僕は、あの頃、イマーム・カーディルのようになりたかった。彼のように、潔く、凛々しく、男らしいアラブになりたかった。命なんて惜しくなかったし、幸せなんて求めていなかった。


 アミンが羨ましいと思うこともあった。彼はアラブだ。クライシュ族の血を引いているかもしれない「本物のアラブ」だ――クライシュ族の血が特別なのは、最高宗教指導者カリフに推戴される資格を有するのはイスラム創始者ムハンマドの出身部族クライシュ族の男だけだからだ。後にイスラム国を名乗る集団をカリフとして率いるアル・バグダディもクライシュ族の血を引いている。


 日本人の僕は、イマーム・カーディルのモスクで、たった一人の異邦人だった。


 洗礼を受ければムスリムにはなれる。だけど、アラブにはなれない。僕は洗礼を受けてナーゼル――アラビア語で友という意味の名前を貰った。だけどイスラム風に髭を生やすのは躊躇させられた。一目でムスリムと知られるのは潜伏している現状では良くないとイマーム・カーディルに忠告されたからでもあったし、そもそも髭は薄い体質で様にならないからという卑小な理由もあった。結局、僕は髭を伸ばすことは無かったし、ムスリムの義務である信仰の告白や礼拝もろくに行わなかった。祈りの言葉なんて覚える気が無かった。結局のところ僕がなりたいのはアラブであって、ムスリムではなかったのだ。


 あの時期、僕達はロンドンでテロを実行しようと様々な計画を立てていた。


 アラブでない僕は彼らの過激な計画の全容は知らされなかったけれど、愚かな妄想に憑りつかれた哀れな若者達の仲間ではあった。


 ラシードとハシムは、実のところ僕を監視するために、マコトとエミが帰国して空室になった部屋に引っ越してきたのだ。二人は揃ってオックスフォードで哲学と神学を修めていた。僕にはよく分からないけれど、超の付くエリートのはずだ。そんな二人が鬱屈している理由が、アラブ系だから、というのは皮肉だ――僕はアラブに憧れがあるのに。


 競争に不正で負けた、と二人は言った。どうしても就きたかったオックスフォード大学内研究員のポストを、成績では彼らに劣る金髪碧眼の生徒と競って負けたということらしい。建前で何と言おうとも、イギリス社会はまず白人を採用し、次いで歴史的に付き合いの長い黒人を採用する。アジア系は最後だ。特に中国人シノワとアラブが嫌われる。比類なき天才ならばともかく、人種差別に根差した不利はどうしてもある。ラシードとハシムは差別の壁に当たって潰された優秀な学生だった。


 彼らはイマーム・カーディルの下、同じ悲運を味わった仲間同士で寄りかたまって、ひそひそと過激な復讐の計画を練っていた。輪の外の人間に対しては酷く警戒し、頑なに心を開こうとしなかった。僕は、二人が笑った顔を見たことが無い。


 それでも、僕も一応は信用されてはいたと思う。そうでなければ空論とはいえ危うい計画を僕に聞こえる場所で口にするはずがない。


 そう、彼らはいつも空論を弄んでいた。


 ロンドンの中心部――特にバービカン・センターの辺りを爆破する計画を練っている様子だったけれど、肝心の爆発物は入手するアテが無いようだった。入手すべき爆薬の有力候補として、悪魔サタンの母と呼ばれる過酸化アセトン(TATP)が度々挙げられた。アセトン、過酸化水素水、塩酸、硫酸など……家庭用洗剤や一般市民でも簡単に購入できる溶剤から比較的簡易に製造できるが、化学物質としては不安定で些細な刺激でも誤爆しやすい。精製している作業員は指に独特のダメージを負っている場合が多く、一目で見分けが付くらしい。パレスチナで多用され、イラク、アフガニスタン、パキスタン、シリアでも多用されることになる。ロンドン同時多発テロで使われたのもこの爆薬だ。後にフランス・ブリュッセルでの連続テロ事件でもTATPが使用され、イスラム国を名乗る組織に連なる自爆テロの実行犯はたいていこの安価な爆薬を使用する流れになっていく。プラスチック爆弾C4は高い安定性を誇るが、ソ連崩壊当時ならともかく、今となっては高価で入手もTATPの原料ほどには容易ではない。テロリストの武器が安物になるのは自然な流れだ。


 銃乱射や、人質を取って立てこもる事なども、彼らは真剣に検討していた。規制の厳しいイギリスでは銃の入手は簡単ではない。ラシードやハシムは過激な思想を大学時代の友人達に口外し顰蹙を買ってしまっている。ただでさえアラブ系はテロを起こすかもしれない危険因子として警戒されていたのだ。二人には火器免許の取得は難しかっただろう。


 出来もしない事を鬱憤の捌け口として無為に議論し合っていたのだと、今なら言える。だけど、あの時、あの場にいた彼らはみんな真剣だった。


「潜伏は任務の一部であり、平凡に生活し日常に溶け込む事が成功の鍵だ」


 彼らは本気でそう思っているようだった。過激な思想を口にしながらも、平穏な生活がだらだらと続く。


 人間が変化の無い緊張に耐えられるのは最初は三か月が限度だと言う。それを乗り越えたら一年、三年、五年、と区切り毎に破綻の危機が来る。いつまで一般市民に混じって平穏な生活を送り、不満を抱えて隠れていなければならないのか……


 その強烈な閉塞感、ストレスは、僕でさえも苦痛だった。


 だけど――行動できない精神的拘束の抑圧に苛々するその反面で、実に矛盾極まりないことだけれど、僕達は潜伏の為に無為に過ごす忍従を、安全圏に潜んで行動しない自分を正当化する言い訳にもしていたのではないかと思う。


「テロを起こす。世界を変える」


 そんな過激思想(ジハード主義)は口だけだったということだ。


 結局のところ、テロを実行した犯人たちの心情は僕には分からない。


 踏み越えるには、あまりにも、その一線は恐ろしかった。


 僕はあらゆる局面で、無責任な傍観者でしかなく、ただの一度も、何も、決断しなかったし、実行もしなかった。僕はどこにも属せないのではないかという女々しい不安が、僕の決断を阻んでいた。行動して結果を見せつけられることを避けていたのだ。それで良かったと思う事もあるし、決断すべきだったと思う事もある。アミンの事だけは、考える余地もなく、決断し実行すべき行為だった。なりふり構わず抱きとめるべきだった。


 慎重でいるという卑劣な保身だけが僕のしたことだ。


 同化を図って失敗するのを恐れるあまり、いつまでも同化を求めない僕は影の無い幽霊のような存在だった。


 そこにいるのに、そこにいない。


 僕は、どこまでも、どこまでも、独りだった。


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