act.46 祝杯

 新人歓迎会。

 同じ部署。

 同じグループ。

 十人程度の小規模な飲み会。

 男女比は九対一。

 俺は。

 テーブルの中央に座らされた。

「福井君は」

 隣の先輩社員から酒を注がれた。

「彼女いるの?」

「いないです」

 酒をあおった。

 あまり飲まないけれど。

 酒には強かった。

「そうなの?」

 先輩社員は目を丸くした。

 三十代前半くらい。

 左手の薬指が銀色に光っていた。

「学生時代モテたでしょ?」

「いえ」

「嘘だよカッコいいじゃん」

 先輩社員は怪しむように目を細めた。

 けどすぐに笑った。

「学生時代、何部だったの?」

 別の年配社員に酒を注がれた。

「弓道部です」

「へえ、絵になるねえ」

 酒を呷ってから。

 酒を注ぎ返した。

 年配社員は顔を弛緩させた。

「もしかして」

 中堅社員が大きな声で割り込んだ。

「女性に興味ない?」

 喧騒は止まなかった。

 寧ろ。

 一段と騒がしくなった。

 冗談だ。

 わかっている。

 鼓動は正常だ。

 慣れている。

 大学時代にも飲み会はあった。

 同じような質問をされたこともあった。

「研究一筋だったので」

 ごまかした。

 論点のすり替え。

 常套手段だ。

 先輩たちはげらげら笑って。

 人生の教訓を語ったり。

 色恋沙汰について語ったり。

 知らない話をたくさんしていた。

 俺は。

 ほとんど役に立たないな、と思いながら。

「人生、言ったもん勝ちだよ」

 その言葉だけ。

 麻痺した脳に沁み込んだ。


 研究職は。

 やはり俺には向いていた。

 一人暮らしも。

 俺には向いていた。

 孤独は感じなかった。

 他人と触れ合うことが少なかったからだろう。

 他人と分かち合うことが少なかったからだろう。

 だから。

 紋太と話す時間がなくても平気だった。

 それが。

 自分でも恐ろしくて。

 虚しくて。

 余計に紋太と話せなくなった。

 このまま。

 一人きりでいれば。

 紋太は。


「もしもし」

「もしもし」

 紋太から電話がかかってきた。

 社会人一年目の七月。

 扇風機が必要な季節だ。

 蝉の声がかすかに聞こえる。

「来月さ」

 俺は壁掛けカレンダーを眺めた。

「夏休みある?」

「五日間」

 八月の休日は。

 暦通りではない。

「紋太は?」

「多分同じ」

 例年。

 夏は紋太と過ごしている。

 避暑地へ行ったり。

 観光に行ったり。

「じゃあさ」

 順番的に。

 今年は。

「海行こ」

 予想どおりだった。

 うん、と。

 いつもなら言えたけど。

 けど。

「紋太」

 何でそんなことを口にしたのだろう。

「彼女つくらないの?」

 遠く風鈴の音が聞こえた。

 夏の暑さが和らいだ。

 でも。

 全然心地好くなかった。

「は?」

 一瞬、紋太の声だと気付かなかった。

「何で?」

 紋太は繊細だ。

「聖人いるのにつくるわけねえじゃん」

 笑って流せばいいことを。

 怒って留まらせる。

「何それ?」

 物事に対して真摯なのだ。

 俺に対して紳士なのだ。

 だけど。

「紋太」

 俺は。

「女性も好きなんだから」

 紳士ではないから。

 紋太とは違うから。

「そっちのほうが」

 だから。

「ふざけんなよ」

 紋太は声を荒らげた。

 耳鳴りがした。

「何回それ言うんだよ」

 紋太の声は悲痛で。

「何が不満なの?」

 所々裏返っていて。

「どう言えば納得するの?」

 途中涙声になっていて。

 それでも。

 俺は。

「ごめん」

 紋太の気持ちを知っているから。

 その優しさを知っているから。

「俺はもう」

 紋太が。

 付き合ってくれた理由を知っているから。

「死なないよ」

 俺は。

 ずっと紋太を縛っていた。

 離れられないように呪いをかけていた。

 狡猾で。

 卑怯で。

 普通ではないのに。

 それを盾にして。

 普通である紋太を。

 人形のように操った。

 いい思いをした。

 醜悪だ。

 害悪だ。

 一人の人生を滅茶苦茶にしている。

 俺の人生を輝かせるために。

 ならば。

「俺たち」

 今度は俺が。

「別れない?」

 紋太の人生を輝かせる番だ。

 紋太は息を呑んだ。

 戸惑う様子が目に浮かぶ。

「何で?」

 きっと冷や汗をたくさんかいているだろう。

 紋太は考えていることが顔に出るタイプだから。

「好きな奴できたの?」

 早口でまくし立ててくる。

「おれのこと嫌になった?」

「ううん」

 俺は。

 率直に言う。

「好きだよ」

 何度だって言う。

「紋太のこと、大好きだよ」

 俺の気持ちは変わらない。

「だから」

 昔から。

 この気持ちに気付いた時から。

「紋太には幸せになってほしい」

 何ひとつ、ぶれていない。

「だから」

 俺が消えたがっていたのは。

 自分が邪魔だと思ったからだ。

 気持ち悪いと思ったからだ。

 紋太に迷惑がかかっているとわかっていたからだ。

 いろんなことが重なって辛かったからだ。

 今はもう大丈夫。

 辛くない。

「別れたい」

 辛くない。

 そうだ。

 俺が闇になって紋太を光らせる。

 泥水を被っても。

 泥水をすすっても。

「紋太は」

 俺は。

「普通の家庭をつくったほうがいいよ」

 紋太が好きだから。

 大好きだから。

 だから。

「ごめん」

 電話を切った。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る