【起】時を撫でる

act.41 順天

 大学を卒業して。

 就職して。

 おれは。

 一人暮らしを始めた。

 聖人とは一緒に暮らさなかった。

 暮らせなかった。

 隣にいなかったから。

 聖人は。

 大学院に進学した。

 一方で。

 おれは市外の建築関係の職に就いて。

 親元を離れて。

 初めて寂しさを感じた。


 二十三歳。

 高校卒業から四年。

 聖人と付き合って四年。

 聖人とは。

 学校が違うから。

 聖人は。

 こまめに連絡するタイプでもなかったから。

 聖人と。

 関わらない時間もあった。

 だけど。

 けど。

 おれは。

 何も感じなかった。

 聖人は裏切らない、って知っていたから。

 離れていかない、って確信していたから。

 油断していた。

 一人になって痛感した。

 きっと。

 聖人は。

 寂しかったはずだ。

 親を頼ることができなくて。

 レッテルを貼られて。

 おれは。

 やっぱり聖人の気持ちに気付けなくて。

 情けなくて。

 電話をかけた。


「もしもし」

「もしもし」

「お疲れ」

「お疲れ」

 ここまでテンプレ。

 ここから本題。

「聖人さ」

「うん」

「寂しい?」

「ん?」

 失敗した。

 遠回しに訊きたかったのに。

「何で?」

 わかっていた。

 そう訊かれるのは。

 何となく気恥ずかしくて。

 言いたくなかったけど。

 けど。

「おれは」

 ごまかすのも違うな、と思って。

「寂しくなったから」

 正直に口にした。

「一人暮らし始めて」

 無言の聖人が怖かった。

「聖人はどうかな、って思って」

 いや。

 聖人の無音が怖かった。

 ベランダは。

 夜風が冷たかった。

 隣人に聞こえていないか気になって。

 隣を見た。

 けど。

 窓が閉まっていた。

 カーテンが閉まっていた。

 杞憂だった。

 安堵した。

「別に」

 ようやく紡がれた言葉は。

 何となく予想していて。

「連絡とってるし」

「そうだよな」

 ごめん、と言おうとして。

「でも」

 裾を引かれて。

 呼び止められたような気がした。

「紋太がいなかったら」

 そこにはいないのに。

 振り返って。

「辛かったかも」

 目を見開いた。

 しばらく何も言えなかった。

 無力感に打ちのめされて。

 全能感に気分が舞い上がって。

 おれは。

 調子に乗った。

「会いたい?」

「誰に?」

「誰に、って」

 もどかしさを感じながら。

 その場で足踏みしながら。

 はあ、と息を吐きながら。

「おれに」

 訊いた瞬間。

 馬鹿らしいな、と思った。

 聖人は。

 別に、と返すはずなのに。

 少し期待してしまった。

「うん」

 期待を裏切られると思ったのに。

 裏切りに裏切られた。

 混乱した。

「え?」

 素っ頓狂な声を出して。

 呆然とした。

「会いたい」

 頭を掻いた。

「紋太に」

 胸がドキドキした。

「行っていい?」

 ワクワクした。

「や」

 取り乱しながらも。

「ダメダメ」

 理性を取り戻した。

「明日仕事だし」

「そう」

 だけど。

 その声が。

 寂しそうで。

 辛そうで。

 なのに。

 どこか愛おしくて。

 おれは。

「今週末」

 代案を出した。

「おれが行く」

「そう」

「いい?」

「うん」

「じゃ、そゆことで」

「うん」

「おやすみ」

「おやすみ」

 電話を切った。

 しばらく空を見上げた。

 星が綺麗だった。

 聖人と月を眺めた夜も。

 同じくらい綺麗だった。

 いや。

 あれ以上に綺麗な夜を。

 おれは知らない。

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