act.33 白紙

「紋太」

 居間でテレビを見ていると。

「進路どうするの?」

 不意に姉から問いかけられた。

「んー」

 悩んだ素振りを見せつつ。

 実際には何も考えてなかったから。

「近くの国立」

 聖人の志望校を口にした。

「何部?」

「工学部」

「何科?」

「機械工学」

「機械?」

 みんな同じ反応をする。

 おれも。

 自分自身意外だと思っている。

「何で?」

「何で、って」

 理由を訊かれると。

 答えられなかった。

「自分で考えたならいいけど」

 姉は真っ直ぐにおれを見た。

 おれはテレビから目を離せなかった。

「別に就職でもいい」

「でもいい、って」

「やりてえことねえし」

「じゃあ、何で機械なん?」

「さあ」

 姉は眉根を寄せた。

「中途半端」

 呟くように。

 息を吐くように。

「進学校なのに」

「うるせえよ」

 口の汚さは姉譲りだった。

 かく言う姉は。

 自分で口調を確立した。

「ちゃんと考えろよ」

「はあ?」

「もう」

 姉とは四歳しか変わらなかった。

 けど。

 おれよりもはるかに。

 何歳も。

 何倍も。

 大人だった。

「ガキじゃねえんだからさ」

 おれは。

 ずっとガキでいたかったのかもしれない。

 そうすれば。

 何も考えずに済むから。

 将来のことも。

 聖人のことも。


 課外授業の最中。

 考えてみた。

 けど。

 好きなことなんて思いつかなかった。

 ペンを回して。

 数学教師の話を聞き流して。

 集中なんてできなかった。

 去年の課外授業は。

 もっと集中できた。

 積和の公式。

 不意に思い出した。

 ノートの隅に書きなぐってみた。

 憶えていた。

 模試の時には忘れていたのに。

 思い出した。

 聖人との思い出は。

 いつだって鮮明だった。

 昔。

 聖人と工作をした。

 おれは案を出して。

 組み立ては聖人がやった。

 出来はまあまあだった。

 クラスの中では目立たない出来だった。

 けど。

 とても楽しかった。

 別の日。

 家の庭で秘密基地を作った。

 とても粗末なものだった。

 けど。

 聖人は笑ってくれた。

 屈託のない笑顔だった。

 全部小学生の頃の記憶だった。

 中学に上がってから。

 聖人は眼鏡をかけた。

 笑うことが少なくなった。

 だから。

 おれは眼鏡を外した聖人が。

 好きなのかもしれない。

 思えば。

 あの頃から聖人はおれのこと。

 なんて。

 思ってみたり。

 なら。

 何で訊けないのか。

 本当のことを。

 訊きたいことを。

 ずっと。

 ずっと。

 ずっと。

 聖人の笑う顔が好きだった。

 聖人が喜んでくれると嬉しかった。

 聖人と一緒にいると楽しかった。

 聖人との思い出は色鮮やかだった。

 積和の公式さえも色づいていた。

 眼鏡を外して笑う顔を思い出した。

 聖人の素顔を思い出した。

 今の顔を想像した。

 無邪気に笑う顔を想像した。

 何も。

 聞こえなくなった。

 決めた。

 ペンを止めた。

 ノートの余白を見つめた。

 思ったことを殴り書きした。

 建築。

 工学部。

 国立。

 私立。

 大学名を書き連ねて。

 C判定の大学に線を引いた。

 おれは。

 聖人の横顔を見つめた。


 自室のカレンダーを眺めた。

 八月。

 明日は花火大会だった。

 何となく気になって。

 携帯電話で弓道の大会を検索した。

 出てきた。

 同じ日だった。

 おれは窓の近くまで寄って。

 雲ひとつない空を眺めて。

 月が綺麗だと思った。


 今日は弓道の大会。

 高校最後の大会。

 そして。

 高校最後の花火大会。

 おれは。

 タンクトップを肌に纏わりつかせて。

 大会の会場へと自転車を漕いだ。


 二階席から一階を見下ろした。

 遠目だと誰が誰だかわからなかった。

 去年と同じ感想。

 だから。

 おれは見知った袴姿を探した。

 見つけた。

 聖人。

 眼鏡をかけていなかった。

 凛とした佇まいだった。

 去年と同じように。

 去年と異なるのは。

 おれが声をかけられなかったことだった。

 しんとした空気。

 聖人の出番のようだった。

 並んでいる人にも見覚えがあった。

 団体戦のようだった。

 おれは弓を構える聖人を見て。

 弓を引く聖人を見て。

 見つめ続けて。

 息を呑んだ。

 こんなふうに。

 食い入るように見ていることが。

 聖人の姿しか目に入らないことが。

 新鮮だった。


 高校生活最後の大会。

 順位は去年よりも悪かった。

 おれは入り口で聖人を待った。

 けど。

 他の部員と一緒に出てきて。

 赤い目をした部員の傍でも無表情の聖人を見て。

 そっと物陰に隠れた。

「牛島?」

 はっとして。

 声のする方を向いた。

「何してるの?」

 波瀬だった。

 ポロシャツに七分丈のズボン。

 爽やかな印象だった。

 けど。

 表情は渋かった。

「何も」

「そう」

 波瀬は駐車場へ向かう弓道部員を見て。

 聖人の背中を見て。

 冷めた目でおれを見た。

 けど。

 何も言わずに立ち去った。

 おれは。

 暫く蝉の声を聞いていた。


 夕暮れ時。

 自宅に戻ったおれは。

 扇風機の前でタンクトップを捲って。

 汗を乾かした。

 すると。

 携帯電話が鳴った。

 メールが届いた。

 花火大会、行く?

 木ノ下からだった。

 一年生の時に連絡先を交換して以来。

 初めてのメールだった。

 画面を見つめて。

 扇風機に風をなびかせて。

 おれは。

 木ノ下のメールを無視した。


 去年。

 二つの大会が被ったあの日。

 聖人が自宅に来たように。

 今度はおれが聖人の家に向かった。

 聖人の家にはインターホンがついてなかった。

 だから、おれは玄関扉を叩いた。

 待っている間。

 シャワーすら浴びていなかったから。

 汗臭さが鼻についた。

 暫く待っても。

 誰も出てこなかった。

 夕闇が東の空を覆い始めていたけど。

 部屋の灯りは点いていなかった。

 おれは。

 聖人の家に背を向けた。


 花火大会の会場に来た。

 歩いて十分くらいの河川敷。

 去年よりも賑わっていた。

 空を見上げた。

 雲ひとつない夜空だった。

 色とりどりの屋台を眺めた。

 大阪焼きが目に入った。

 自然と足が向いて。

 けど。

 去年と同じ顔を見た。

 藍原さくら。

 おれの元カノ。

 去年とは違う男と一緒だった。

 真面目そうな男だった。

 数メートル離れていたけど。

 おれは藍原と目が合った。

 一瞬。

 藍原は真顔になって。

 すぐに笑って手を振ってきた。

 おれは軽く会釈して。

 その場を離れた。

 嫌なことを思い出した。

 去年。

 聖人が藍原を好きだと勘違いしていた。

 おれは残酷なことを言ってしまった。

 けど。

 聖人は「優しいね」と言った。

 優しいのは聖人のほうだった。

 おれは。

 いつも何も知らなかった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る