act.27 記憶

「牛島くん」

 帰りに一人になった時。

 駐輪場で菅道に声をかけられた。

 おれは自転車を押しながら。

「何?」

 菅道のもとへと歩み寄った。

 菅道はバス通学だった。

 だから駐輪場にいる理由はなかった。

 ということは。

「最近」

 おれに用があるということだろう。

「福井くんと一緒にいないね」

 聖人。

 最近どころか。

 一ヶ月以上話していなかった。

 おれは自然と顔が強張った。

「だから?」

「あ、えっと」

 喧嘩腰になってしまったことを反省して。

 おれは「ごめん」と頭を掻いた。

「聖人に用?」

「いや、そうじゃないんだけど」

「けど?」

「えっと」

 おれは自転車のスタンドを立てた。

 辺りは薄暗くなっていた。

「波瀬くんと一緒にいるからさ」

「聖人?」

「うん」

 菅道の言いたいことがわからなかった。

「何?」

「え、えっと」

「何が言いてえの?」

 聖人の話題だからか。

 おれは苛立ちを隠せなかった。

 ただの世間話かもしれないのに。

 たまたまおれを見かけただけかもしれないのに。

 おれは。

 たまたま話しかけてきた菅道に。

 八つ当たりした。

「ごめん」

 菅道は俯いた。

 おれは頭を掻いた。

「少し喧嘩して」

「福井くんと?」

「いや」

 おれは少し躊躇して。

「波瀬と」

 真実を話した。

 菅道への罪悪感がそうさせたのかもしれない。

 あるいは。

 誰かに話したかったのかもしれない。

 菅道は。

 おれに興味がないだろうから。

「どうして喧嘩したの?」

「馬が合わねえんだよ」

 おれは小石を蹴飛ばした。

 近くの自転車の後輪にぶつかった。

「あいつとは」

「福井くんは?」

 おれは菅道の顔を見た。

 怪訝そうにおれを見ていた。

「福井くんとは喧嘩してないの?」

「してねえ」

 少し考えて。

「と思う」

 自信がなくて。

 答えを濁した。

「じゃあ、どうして」

 菅道は躊躇った。

 けど。

「どうして福井くんと話さなくなったの?」

「席離れたし」

「それだけ?」

「いろいろあって」

「それって」

 おれは口を開いた。

 菅道の言葉を遮ろうとした。

 けど。

「福井くんが」

 何も言葉が思いつかなかった。

「その」

 菅道は言葉を選んで。

 おれの様子を窺いながら。

「男の人が好きってこと関係?」

 おれの避けてきた事実を口にした。

 おれは。

 波瀬とのやり取りを思い出して。

 沖縄での聖人とのやり取りを思い出して。

 声を低くした。

「うん」

「そっか」

 菅道は反応に困っていた。

 自分で訊いたくせに。

 その後のことを考えてなかった。

 やがて。

「波瀬くんは」

 菅道は話を変えた。

「福井くんのこと」

 根本的な部分は。

 同じ話だった。

「好きなの?」

「さあ」

 おれは自転車のスタンドを上げた。

 菅道に背を向けて。

「本人に訊けば?」

 顔だけを振り返らせた。

「菅道なら殴られねえから」

 菅道は。

 事情を察したみたいで。

 愛想笑いを浮かべていた。

 おれが得意だった。

 愛想笑い。


 もうすぐ全国模試だった。

 勉強はしなかった。

 やる理由もやらない理由もなかった。

 ただ。

 きっかけがなかった。


「どこ大?」

 クラスメイトから訊かれた。

 おれは進路を特に考えてなかった。

 興味のあることがなかった。

 ずっと目先のことばかり見ていた。

「行けそうなとこ」

「Fラン?」

「ふざけんな」

 おれはクラスメイトを小突いた。

 クラスメイトは笑っていた。

 おれは聖人を一瞥した。

 機械工学。

 聖人の目指す学科。

 そんなことは覚えていた。

 おれは。

 ベランダに出るフリをして。

 聖人の机を横目に見て。

 志望校を覗き見た。

 そして。

 同じ大学を書いた。


「牛島」

 木ノ下がおれの机を覗き込んできた。

「そんなに頭良かったっけ?」

「うるせえ」

「機械工学?」

 おれは木ノ下を見なかった。

 上辺では取り繕っていたけど。

 けど。

 木ノ下のことはやっぱり好きになれなかった。

「機械好きなの?」

「それなりに」

「意外」

 木ノ下は去っていった。

 おれは。

 自分の書いた志望校を眺めて。

 苦笑した。

 苦しい思いで。

 笑った。


 紙の擦れる音。

 ペンを走らせる音。

 机がガタガタ言う音。

 全国模試特有の緊張感。

 教室には声なんて聞こえなくて。

 代わりに。

 頭の中に甦る。

 最後に試験勉強した記憶。

 聖人との思い出。

 半袖の季節。

 汗の匂い。

 聖人の匂い。

 素顔の聖人。

 聖人の素顔。

 おれは頭を振った。

 集中できなかった。

 三角関数。

 サイン、コサイン、タンジェント。

 問題用紙にひしめく三角形。

 おれは。

 積和の公式を忘れていた。

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