act.13 静寂

 学校祭前日。

 前夜祭。

 体育館の中は盛り上がっていた。

 開会式。

 ダンス部がダンスを披露した。

 チア部がチアを披露した。

 演劇部が演劇を披露した。

 熱気が凄まじかった。

 歓声がどよめいていた。

 けど。

 出席番号順に並んだクラスの列。

 後方に座っていた聖人は。

 一人静かに座っていた。

 だから。

 おれは立ち上がって。

 聖人の隣に座った。

 聖人はおれを一瞥して。

 すぐに壇上へと視線を戻した。

 無表情だった。

 いつもどおりだった。

 おれも壇上に注意を戻した。

 足を崩して。

 聖人との距離を詰めて。

 一緒に笑えたらな、なんて。

 思ったり。

 願ったり。

 で。

 結局、何も起こらないまま。

 前夜祭は終わった。


「今日」

 放課後、聖人を引き留めた。

「家行ってもいい?」

「何で?」

 聖人は鞄を肩に掛けて。

 眼鏡越しに疑問の眼差しを向けてきた。

「何で、って」

 おれは少し戸惑って。

 頭を掻いて時間を稼いで。

「聖人といろいろ話したいからだよ」

 なんて。

 特に話したいことはなかったけど。

 冗談っぽく。

 本気っぽく。

 理由をこじつけた。

 聖人は黙って背を向けた。

 おれはそれを了承と受け取った。


「お疲れ」

 呼び鈴がないから扉を叩いた。

 聖人が出迎えてくれた。

 午後六時。

 部活は休みだった。

 けど。

 聖人はジャージ姿だった。

 昔から部屋着がジャージだった。

 聖人は無言のまま家に招き入れてくれた。

 おれが押し入ったように見えなくもなかった。


「紋太くん」

 階段に差し掛かったあたりで。

 おれは聖人の母親に呼び止められた。

 階上で聖人が見下ろしてきたけど。

「こんばんは」

 おれは笑顔で応対した。

 母親は嬉々として笑った。

「久しぶり。元気?」

「元気っす」

 おれは軽く会釈した。

「ご飯、食べてく?」

「いいんすか?」

「うん。昔はよく食べてたじゃない」

 階上から聖人の視線を感じた。

 おれは聖人を一瞥して。

 聖人の母親にまた頭を下げた。

「ご馳走になります」


 二階。

 聖人の部屋。

 夏休み以来だから。

 一ヶ月ぶり。

「で」

 おれは布団に座った。

 聖人は椅子に座った。

「何?」

「何、って?」

 おれは惚けてみせた。

 話すことなんてなかった。

 なかった、というのも語弊があるけど。

 けど。

 深刻な話はなかった。

 深刻な問題ならあったけど。

 あったからここにいるんだけど。

 聖人にはそんなことわかるはずがなくて。

 それ以上何も訊かずに。

 聖人は机に向かった。

「聖人」

「何?」

 聖人の背中は大きかった。

 ジャージ越しに浮かび上がる筋肉。

 逞しくて。

 頼もしくて。

 でも。

 寂しそうだった。

 抱き締めたいと思った。

 こんなのはおかしい、って。

 彼女でもないのに。

 女でもないのに。

 こんな気持ちは変だ、って。

 思って。

 頭がぐちゃぐちゃになって。

 おれは頭を掻いた。

「何?」

 聖人が振り返った。

 眼鏡越しに見つめられて。

 おれは息が詰まった。

「明日さ」

 息を吹き返すように。

「来る?」

 土曜日。

 本来ならば休日だけど。

 明日は学校祭。

 祭りという名の課外活動。

「行く」

 聖人はさも当然とばかりに答えた。

「何で?」

 理由を訊くのは聖人の癖だった。

 おれはいつもはぐらかしていた。

 まともに答えることはほとんどなかった。

 真意を悟られたくないからとか。

 そんなことではなくて。

 ただ。

 聖人に嫌われたくなかった。

 答え一つで嫌うような人間じゃないけど。

 聖人は。

 ペトロだから。

「別に」

 しまった、と思った。

 だから。

「興味なさそうだから」

 視線を逸らして。

 慌てて付け足した。

「あるよ」

 聖人の顔を見ると。

 真っ直ぐおれを見ていた。

「興味」

「そう」

 続きの言葉が思いつかなくて。

「じゃあ、来て」

 雑な誘い文句を口にした。

 聖人は眉根を寄せた。

「見に」

「紋太を?」

「ロミオを」

 聖人は何も答えなかった。

 同じクラスなのに。

 こんなことを訊くこと自体おかしいのに。

 けど。

 おれは追及することができなかった。


 ご相伴に預かった。

 福井家。

 母父息子の三人暮らし。

 プラスおれ。

 久しぶりの感覚だった。

 まるで兄弟のようだと笑っていた。

 昔のこと。

 だけど今日は。

 昔のようだった。

「紋太」

 聖人の父親は穏和な人柄だった。

「劇やるんだって?」

「聖人から聞いたんすか?」

 聖人が父親を睨みつけた。

 父親は困ったように笑った。

 それが答えだった。

「聖人、録画しておいて」

 聖人は父親の言葉を無視した。

 やっぱり父親は笑うばかりだった。


「紋太くん」

 夕食後。

 聖人が風呂に入っている時。

 母親にまた呼び止められた。

「聖人はどう?」

「どう?」

「紋太くん以外と喋ってる?」

 おれは考えた。

「クラスではいつも一人っす」

 だけど。

「あ、でも、たまに喋ってるっす」

 クラス委員長の波瀬。

 席替えする前。

 二人はたまに話していた。

 今のおれと同じように。

 机が並んでいたから。

「あと」

 おれは斜め上を向いた。

「弓道部員とは喋ってるっす」

 放課後。

 聖人は弓道場で部員と喋っていた。

 無表情だったけど。

 嫌そうではなかった。

「そう」

 母親は少し安心したように。

 目尻を細めて笑った。

 聖人が笑った時によく似ていた。

 最近あまり見ていない笑顔。

「聖人のこと、よろしく」

 よろしく、とは。

 一体どういう意味なのか。

 訊き返すことはできなかった。


「何で?」

 風呂に入ると聖人が目を細めた。

 湯船に浸かっていた。

 おれは。

 聖人の入浴中に黙って侵入した。

「いいじゃん」

 昔はよく一緒に入っていた。

 家に泊まる時とか。

 何でもない日にも。

 ある時から嫌がられるようになったけど。

 いつ頃だっただろうか。

 中学二年生の終わり頃だったか。

 それより前だったか。

 曖昧だった。

「着替えは?」

「聖人の借りる」

 おれは椅子に座って。

 シャンプーのノズルを押した。

「借りる?」

「借りた」

 聖人は洗面所の方を見た。

「勝手に?」

「いいじゃん」

 おれは悪びれずに。

 頭を洗った。

「良くないし」

 聖人は湯船から上がった。

 おれは聖人の足首を掴んだ。

「いいじゃん」

 聖人はこちらを見なかった。

 少し黙って。

 湯船に戻った。

 おれに背を向ける形だった。

 おれは身体をささっと洗って。

 湯船に入った。

 聖人の方を向いた。

 聖人の背中はやっぱり広かった。

 触れようと手を伸ばして。

 考え直して。

 手を引っ込めた。

 ぽちゃん、と水紋が広がった。

 聖人は。

 おれの感情の機微に気付いただろうか。

 気付けばいいのに。

 なんて。

 自分でもよくわからないのに。

「最近どう?」

「どう、って?」

「部活とか」

「いつもどおり」

「そう」

 おれが黙っていると。

 聖人は立ち上がった。

 湯船から出て。

 浴室から出た。

 おれは追いかけられなくて。

 一人、湯船に取り残された。


「泊まっていい?」

 聖人のTシャツとハーフパンツを履いて。

 おれは布団の上からそう投げかけた。

 ハーフパンツなのに七分丈だった。

「何で?」

「眠いし」

「帰れば?」

「疲れた」

 おれは布団の上で仰向けになった。

 聖人の匂い。

 少し、ドキドキした。

 意識してしまった。

 何を意識してしまったのか。

 よくわからなかった。

 聖人は暫く黙って。

 部屋から出ていった。

 昔は。

 同じ布団で寝ていたのに。

 何も疑問を抱かなかったのに。

 今は。

 頭の中が疑問だらけだった。


 何か音が聞こえた。

 目を薄く開いた。

 電気は点いていなかった。

 けど。

 月明かりで聖人の顔が浮かび上がった。

 眼鏡を外していた。

 こちらを見下ろしていた。

「紋太」

 おれは狸寝入りを決め込んだ。

 そうすれば何かわかると思った。

「起きてる?」

 起きてた。

 でも言わなかった。

 すると。

 静寂が訪れて。

 聖人は辺りを何度も見回して。

 そっと。

 おれに。

 手を伸ばしてきた。

 バレたのかと思って。

 おれは目を瞑った。

 頬に伝わる感触。

 ゴツゴツとした男の手。

 温かいのに、冷たかった。

 薄く目を開いた。

 聖人は泣きそうな顔をしていた。

 唇を小さく開閉していた。

 手が。

 震えていた。

 おれは。

 やっぱり。

 何も言えなかった。

 何となく、わかったのに。

 聖人の気持ちがわかったのに。

 わかったから。

 おれは。

 眠ろうと思った。


 学校祭。

 おれのクラスは賑わっていた。

 学生がたくさん集まっていた。

 クラスメイト。

 隣のクラス。

 下の学年。

 他校生。

 まだ開演していなかったけど。

 噂は広まっていた。

 おれは。

 ロミオの衣装を身に着けて。

 台本を片手に役者気取りで。

 けど。

 やっぱりいつもどおりで。

 人の群れの中に聖人を探した。

 聖人は。

 居なかった。

「紋太」

 舞台の裏側を覗いてくる人がいた。

「え」

 おれは目を丸くした。

 次の瞬間、目を細めた。

「何でいるの?」

「お前が舞台やるって聞いたから」

 姉は携帯電話をおれに向けた。

 カシャ、と音がした。

 おれは携帯電話を取り上げようと手を伸ばした。

「撮るなよ」

「いいじゃん。ケチ」

 姉は携帯電話を遠ざけようと。

 身体ごと遠ざかった。

 人の群れの中へと戻っていって。

「頑張れ、ロミオ」

 愉快そうに笑った。


「牛島」

 舞台裏に戻ると。

 木ノ下が話しかけてきた。

 ジュリエットの衣装を身に着けていた。

 いつもより睫毛が多かった。

 いつもより肌が白かった。

 いつもより良い匂いがした。

 綺麗だった。

「福井は?」

「聖人?」

 おれは虚を衝かれた。

 その名が出るとは思わなかった。

 背中に汗が滲んだ。

 変な想像をしてしまって。

 木ノ下を睨んでしまった。

「知らねえ。何で?」

「いつも一緒にいるじゃん」

 木ノ下はさも当然のように言った。

「部活のほう?」

「たぶん」

 正直、失念していた。

 そうだ。

 聖人は弓道部の手伝いがあった。

 だから当日作業のない役割分担だった。

 登場人物にもならなかった。

「ふうん」

 木ノ下は興味なさそうに相槌を打った。

 おれは知った顔で台本に視線を落とした。

 聖人の事情を忘れていたなんて。

 誰にも知られたくなかった。

 友達だから。

「残念だね」

 木ノ下はクラスメイトのもとへ戻った。

 楽しそうに話し始めた。

 おれは。

 全然面白くなかった。

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