act.3 休暇

「夏休み」

 返却されたテスト用紙を丸めながら。

 聖人に訊く。

「どっか行く?」

「部活」

 聖人の点数を眺めながら。

「大会?」

「そう」

「いつ?」

「八月の半ば」

「暑くね?」

「暑い」

 聖人がテスト用紙を畳んで仕舞った。

 数学。

 九十二点。

 高過ぎて羨ましくすら思わなかった。

「そう言えば」

 思い出したわけでもなかったけど。

 さり気なく話題を変えた。

 詳しく訊き過ぎると空返事が来そうだったから。

「劇の練習やるらしい」

「いつ?」

「夏休み中。課外の後」

「そう」

 結局空返事だったけど。

「聖人は?」

「俺?」

「大道具、作るんだろ?」

「さあ」

「さあ、って」

 興味なさそうだった。

 自分のことなのに。

 いや、劇のためだけど。

「課外の後、やるんじゃね?」

「かもしれない」

「部活できる?」

「さあ」

「さあ、って」

 興味なさそうだった。

 劇なんてどうでも良さそうだった。

 部活はどうなんだろう。

「あんまりやる気ない?」

「どっちの話?」

「どっちも」

 聖人は顔を上げた。

 おれと話すとき。

 いつも他のことをしてる気がした。

 別にいいけど。

「あるよ」

「じゃあ、頑張ろうぜ」

「劇?」

「どっちも」

「何で紋太が?」

 部活のことだろう。

「応援します」

「要らない」

 嘘だと思った。

 聖人の顔は少し綻んでいた。

 だから、おれも笑った。

 聖人の顔は一気に曇った。

 だけど、おれは笑い続けた。


 放課後、部活を見に行った。

 校庭の隅にある弓道場。

 隣のテニスコートからは賑やかな声が聞こえた。

 けど。

「すげえ静か」

 入り口近くから声をかけた。

 みんなしておれに振り返った。

 おれの声が馬鹿デカいのかと思った。

 たぶん、そうなんだろう。

 直す気はないけど。

「何でいるの?」

 聖人は眼鏡を掛けていた。

 残念だった。

「応援」

「ただの練習だけど」

「じゃあ見学」

「理由になってないし」

 聖人は弦を引いて狙いを定めた。

 まるでおれがいないみたいだった。

 少しムッとした。

「ねえ」

 矢が放たれた。

 的の中心から少し逸れた。

 でも上手かった。

 素人目にもそう思った。

「何?」

 面倒そうな目つき。

 周りの部員もそんな感じだった。

「眼鏡、外さねえの?」

「何で?」

「いつも外してたじゃん」

「大会だけ」

「そうだっけ?」

「そう」

 聖人は再び矢を構えて。

「大会の時しか、来たことないじゃん」

「そうだっけ?」

「そう」

「じゃあ、明日からコンタクトにして」

 聖人は無言になった。

 今度は矢が的から大きく逸れた。

 一分足らずで下手くそになった。

「何で?」

 聖人は振り返った。

 順番を譲るように壁際まで来た。

 少し汗をかいていた。

 確かにこの小屋の中は暑い。

「そっちのほうがいいから」

「いいって、何が?」

 おれは少し悩んで。

 考えたフリをして。

 深い意味はないフリをして。

 飄々とした口調を繕って。

 言う。

「カッコいい、ってこと」

「コンタクトが?」

「聖人の素顔」

 ふざけた調子で言ってみて。

 呆れた聖人を見て安堵した。

 怒ってなくて良かった。

 何を気に病んでいるんだか。

「何それ」

「何でもない」

「つけてこないし」

「何で?」

「何でもないんでしょ?」

 笑うしかなかった。

 ごまかせた気はしなかった。

 聖人はいつもより表情が固かった。


 夏休み。

 最初の日は様子見で。

 土日と同じように過ごした。

 部屋で漫画読んで。

 友達とゲーセンに行って。

 外で夕飯食って。

 家に帰ったのは八時過ぎだった。

 風呂から上がると携帯電話に着信があった。

 酒井真波。

 おれの彼女。

「もしもし」

「もしもし、お疲れ」

「お疲れ」

 疲れてはいなかったけど。

 それが挨拶代わりだった。

「明日」

「うん」

「出掛けない?」

「うん、いいね」

 調子を合わせてみた。

 真波は声が高くなった。

 ちょっと罪悪感。

 嫌じゃないけど。

 いや。

「メルモ行こう」

 メルモール。

 大型ショッピングモール。

 自転車で三十分。

 真波の家からは徒歩数分。

「秋物買いたいし」

 やっぱり。

 買い物は嫌だった。

 洋服は特に。

 ファッションセンス皆無だから。

「見たい映画があるんよ」

 メルモールには映画館が併設している。

 それは賛成だ。

 買い物よりも楽だ。

 見るだけだし。

「何?」

「ロミオとジュリエット」

「やってたっけ?」

「ハリウッドの。面白そうじゃない?」

「うん」

 わからないけど。

「劇の参考になるんじゃん?」

「そうかね」

 あまり乗り気になれない。

 これから嫌と言うほど読み込むだろうから。

 台本とか。

 ロミオの気持ちとか。

「じゃあ、明日」

 待ち合わせだけして電話を切った。

 嫌々だったのに。

 気付くと鼻唄を歌っていた。

 母親に聞かれて恥ずかしかった。

 ごまかせなかったようだった。


 メルモール内のフードコートに真波はいた。

「お待たせ」

「遅い」

 冗談っぽく真波が言った。

 顔が笑っていた。

「行こう」

 真波の手を引いた。

 照れくさそうに笑っていた。

 おれも笑った。

 周りの目が気になったけど。

 それも気持ち良かった。


「どう?」

「いいじゃん」

 真波は身体の前で服を合わせた。

 おれは正直な感想を言った。

「ほんと?」

「可愛いと思う」

「ふーん」

 真波は服を戻した。

 何故。

「牛島くんはいつもそう言うよね」

「そう?」

「言うよ」

 棘のある言い方で。

 ちょっとムスッとしていた。

「ほんとにそう思ってるんだけどな」

 センスないし。

「ふーん」

 真波が隣の服に目移りした。

 長引きそうだった。


 フードコートで昼飯を取ることにした。

 おれはハンバーガーを買った。

 真波はドーナツを買った。

 それは昼飯なのか。

「最近さ」

 真波がドーナツを食べながら訊いてきた。

「いいことあった?」

「別に」

 誰かの口癖が移ったようだった。

「嘘」

「じゃない。何で?」

「笑ってるじゃん」

「いつもだし」

「いつも一人でいる時、笑ってるの?」

 笑えない冗談だと思った。

 それじゃあ危ない奴だ。

「そんなわけねえじゃん」

「わたしが見た時は笑ってた」

「一人で?」

「一人で」

「いつ?」

「先週」

 夏休み前。

 テストが終わった頃。

 確かに毎日楽しかった。

 けど。

「夏休み前だったからかね」

「楽しみ過ぎて? こわ」

 嘘。

 理由はわかっていた。

 携帯電話を覗き込んだ。

 そこに原因は書かれていなかった。

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