『妖精の痕跡』2
「と、言いますと?」
「発見者の警官はまだ新米の敬虔なクリスチャンだったそうで、ロザリオをいつも身に着けていたそうなんです。すると赤い帽子の男は警官がジョンに近づこうと地下室に入った途端、悲鳴に近い叫び声を上げて消えたというんです」
「……ロザリオを見て消えた、と?」
「はい。ジョンは殺されていました。凶器は斧だったそうです。争った形跡は全く無かったそうで、一息に殺したのではないか、と言うのが警察の判断だったそうで以後、その消えた犯人が誰か分からないまま捜査は打ち切られ、その話をまとめて犯人はレッドキャップに違いないという噂が出たと言う訳です」
伊織がそこまで言って息を吐くと、クリストファーは腕を組んで何かを考えるように庭先に視線をやった。
「なるほど。状況だけ聞くと確かにレッドキャップがやったとも思えますね。ですが、それは少々ナンセンスでは? 大昔ならいざ知らず、この時代に妖精が殺人ですか?」
クリストファーの意見はごもっともである。それは伊織にもよく分かっている。
けれど、これだけ科学が進んでも未だに解決に至らない事件があるのは、つまりそういう事なのではないか。
それを調べるのは本来警察の仕事であり、一介の記者の仕事などでは無い事もよく分かっているがこの事件を調べるに当たってジョンの親友に話を聞きに行った所、彼は酷く落ち込んでた。まるで縋りついて来るみたいに伊織に抱き着き、真相が知りたいと泣いていた。ジョンとこの男は、学生時代からの親友だったそうだ。
「お人好しなんですね、あなたは。仕方ありませんね。しかし警察は何をしているんです? 足跡なり犯人の痕跡なりをさがせばいいのに」
「それこそが! この事件の不可解な所なんですよ!」
クリストファーの言葉に伊織は思わず机にダン! と手を置いた。
「そうなのですか?」
「はい! 何の痕跡も無いんです。ジョンの足跡以外は、誰の足跡も無かった。凶器の斧にも扉にも指紋など残っていなかったそうです。それどころか、どこにもジョン以外の誰かが入り込んだ様子がないのです」
「それはおかしいですね。レッドキャップはそこに居たのでしょう?」
「まぁ、そうなんですけど。え、レッドキャップって指紋とかあるんですか?」
キョトンとして言う伊織に、クリストファーは唐突に噴き出して咽る。
「す、すみません。いえ、私の聞き方がいけませんでしたね。誰も居なかったというのは変ですね、という話です。その警官が駆けつけた時、少なくとも誰かは居た。そうですよね?」
「はい」
「という事は、何の痕跡も無い訳がない。何か見落としているだけでしょう」
そう言ってまだおかしそうに目尻の涙を拭うクリストファーを軽く睨みつけて、伊織は着席した。
「でも、本当に何も無かったそうなんです。辛うじて警官の指紋と足跡はあったそうなんですけど」
「ふむ……そもそもレッドキャップというのがどういう妖精か知っていますか?」
「えっと、悪い妖精、ですよね? 日本で言う鬼みたいな?」
「悪い妖精、というのはちょっとあれですが、まぁ大体そうです。アンシーリーコートと言って、人間を襲う可能性のある妖精と言えばわかりやすいかもしれませんね。そんな彼らが人を襲う時、それは自分のテリトリーに入り込んできた時です。つまり、今回の場合は古城ですね」
クリストファーが言うと、伊織は真顔で頷いてメモを取った。元々オカルト的なものは信じない質だが、それが事件解決の糸口になるというのなら、話は別だ。
「長いかぎ爪を持ち、斧を武器としている。ジョンの死因は斧による惨殺なのですよね?」
「そうです」
「私は郷土研究をしているので妖精についてはそこそこ知っていますが、彼らは何か人智を超えた存在という訳ではありません。犬や猫、人間のように目には見えない種族だと思っています。つまり、そんな彼らが例えば殺人を犯した場合、やはり何かの痕跡は残ります。一度現場へ行ってみましょうか」
「え⁉ い、一緒に来てくれるんですか⁉」
驚いた伊織にクリストファーは真顔で頷いた。
「仕方ないでしょう? あなたはレッドキャップにも指紋があると思っているようなので」
含み笑いを浮かべるクリストファーを伊織は軽く睨んで立ち上がった。
「行きますよ!」
「はいはい。では準備してきますので、先に表で待っていてください」
それだけ言って部屋の奥に引っ込んでしまったクリストファーを横目に伊織は屋敷を出た。すると、いつの間に呼んだのか一台のタクシーが停まっている。
唖然として見ていると、後ろから遅れてやってきたクリストファーの声がした。
「何してるんです? 行きますよ」
「あ、はい。あのこれ、うち経費じゃ落ちないんですけど……」
何だか申し訳ない気持ちになりつつも伊織が言うと、クリストファーは何てこと無い顔をして首を振る。
「私が払います。普段外に出ないので、少し歩くのも重労働なんですよ」
「い、いいんですか? ありがとうございます。では遠慮なく」
とんでもなくラッキーだ! などと思いつつ嬉々としてタクシーに乗り込む伊織を見て、クリストファーは肩を揺らした。
現場の古城はクリストファーの屋敷からはさほど離れてはいなかったが、観光地という訳でもないようで想像していたよりもずっと寂れている。
タクシーを降りた伊織が古城に向かって歩き出そうとすると、ふとクリストファーが言った。
「あ、すみません。タクシーに忘れ物をしてきたようなので先に向かっていてください。すぐに追いつきます」
「あ、はい。それじゃあ入り口で待ってますね」
タクシーにのんびりと戻って行くクリストファーを後目に伊織が古城の入り口を目指していると、どこからやってきたのか一人の女の人に声をかけられた。
「ねぇあなた、ここで何してるの?」
「え? あ、えっと、僕はこういうもので……」
すかさず名刺を出す伊織に女の人は怪訝な顔をして名刺を見て眉根を寄せる。
「雑誌記者? 迷宮事件奇譚? 聞いた事ないわ」
「あ、はい。だと思います。勤めてる僕でさえもびっくりするぐらいマイナーなので」
正直に答えた伊織に女の人は一瞬目を丸くして笑った。
歳は同じぐらいだろうか? 緩くパーマのかかった赤毛がとてもチャーミングだ。綺麗な青い目はまるで抜けるような夏空のようで思わず伊織が見惚れていると、女の人はスッと名刺を取り出す。
「私はフリーのカメラマンなの。シンシアよ、よろしくね!」
「あ、伊織って言います。シンシアさんは何故ここに?」
「ここで起きた殺人事件、奇妙な噂があるでしょ? その現場を写真に収めに来たの。でもまさか雑誌記者さんと鉢合わせるとは思わなかったわ。ご一緒してもいい?」
「ええ、と言いたい所なんですが、連れに聞かないと……」
伊織はクリストファーを探すように辺りを見渡してみたが、まだクリストファーがやって来る気配はない。そんな伊織を見てシンシアは笑った。
「なんだ、お連れさんと来てるのね。じゃあ私は遠慮するわ! 何か面白い写真が撮れたらその時は是非写真を買い取ってちょうだい!」
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