第15話 親友

 サウナでのぼせた俺は、たけるに介抱されていた。

 こぼれ落ちたタオルからは盗聴器のようなものが落ちる。これを使い風呂場での会話は女子陣に筒抜けであったのである。

 そんなことは露とも知らず、俺はうちわで仰いでもらっている。

「たく、なんでそんな簡単にのぼせるだか」

「お前の耐久力がおかしいんだよ」

 俺がぼやいている間に、冷えた牛乳を差し出してくるたける。

 これだけ気遣いができるのなら、モテるだろうに。

 牛乳を口にすると、たけるはすっと隣に座る。

「これから独り言を言う。おれさ、菜乃ちゃんが好きなんだよね。あの庇護欲をかき立てられる感じが、でも本人はすごい科学者でさ、どんなことでもできんの。すごくね」

 たけるの気持ちは分かった。

 これを菜乃本人には言えないだろう。

 しかし、まさかたけるが菜乃を好きになるなんてな。

「以上、独り言終わり。そろそろ冷えてきただろ? 服着ろよ」

 たけるはそう言い、バスタオルを投げてくる。

 これ以上、おしゃべりする気はないらしい。

 タオルで全身を拭くと、着替える。

 たけるは先に行ったのか、俺も歩き出す。

「お兄ちゃん!」

 男湯から出ると、いきなりタックルしてくる桃。

「桃じゃダメなの!?」

「え。は、え?」

 俺は困惑した顔で桃を見る。

「そんなことないぞ。桃は魅力的だ。ただ――」

 言っていて気がついた。俺はまた本音を隠して生きている。

 こんなんじゃ格好がつかないよな。たけるのためにも、俺も誠実に生きようと思う。

 でも、


 ――恋ってなんだ?


 分からない。

 桃の乱れた着衣にドキッとはする。だが、それが恋か? と言われれば違うだろう。

 男子高校生の心臓はびっくりするほど柔らかい。ちょっとした出来事ですぐに弾んでしまう。

 だからか、桃の胸でもドキッとしてしまうのだ。

 これは俺が健全な男子高校生であるからして……。

 桃を離すと、俺は何げない笑みを浮かべる。

「桃、みんなのところへお行き」

 そう言って女湯に目線を向ける。

 あそこには浴衣姿の明理や麻里奈がいる。

 そのことにドギマギしつつも、俺は桃と別れる。

 後ろで泣き出す桃に気がついていたが、俺が慰める理由はない。たぶん。

 兄としてならできただろうに。

 桃にとって俺は一人の男としてみているのだろう。

 なら振り返る訳にはいかない。

 後ろ髪を引かれる思いで、その場を立ち去る。

 恐らく明理や菜乃が助けてくれる。慰めてくれる。

 そう信じて、男部屋に戻る。

 そうでもしないと、桃はこの先ずっと俺を頼る。俺に依存する。だから、離れなくちゃいけないんだ。桃にとって大切な人と恋に落ちるように。

 そう願って部屋に入る。

「おう。なんだか難しい顔をしているな」

「桃に泣かれた」

「それは災難だったな。慰めたのか?」

 俺は首を横に振る。

「ほう、あのシスコンがよく耐えたな」

 感心するように言うたける。

 言われてみれば確かにシスコンだったのだろう。

 何が何でも妹だけは守らなければならない。

 それが父と母の意思。

 そう思い込んでいた。

 だから、これからは厳しくいく。

 谷底に落とすのはライオンの子。

 俺もそうでありたいと思った。

 じゃなきゃ、頼り頼られる。いつまでも依存する関係が産まれる。

 そんなことはあっちゃいけないんだ。

 普通にクラスメイトに恋をし、普通に結婚をする。それが桃があるべき姿なのだ。

 だから禁断の恋にうつつを抜かすわけにはいかない。

「桃ちゃんと付き合うお前も面白そうだがな」

 かかかと笑うたける。

「嫌みだな」

 ひがみも入っているのかもしれない。

 事実、たけるの思い人――菜乃は俺のことが好きだからな。

「告白はしたのか?」

「するわけないだろ。男として意識されているのかも怪しいのに」

 たけるは参ったような顔で首を振る。

「そうか……」

 悲しい話だ。

 男として見られていないなんて。

 たけるだって気立てが良く、明るくて、分け隔てなく付き合ってくれるというのに。

「それにおれはお前を利用して菜乃ちゃんに近づこうとした」

「!」

 驚きである。

 あの明るいたけるが、そんな一面を持っているだなんて。

 俺を利用した? 

 じゃあ、菜乃がいなければ、俺たちは友達ですらないのかよ。

 苛立ちを覚えるが、ぐっとこらえる。

「情けない話だよな」

「バカ! 俺とお前の仲じゃないか! なんでもっと早くに言わなかった!」

 俺は怒り心頭に発す。

 こんなにバカな奴だとは知らなかった。

 どうして俺に声をかける前に菜乃に話さなかった。

 なんでそんな奥手になっている。

 いつもはちゃらんぽらんなのに、なぜそこだけ誠実でいようとする。

 どうして最後まで自分らしくいられない。

 どうして俺に頼る。

 お前なら自力でなんとかできるんじゃないのか。

 持ち前の機転と明るさで菜乃を守ることもできたはずだ。

 それがなんだ。

 なんでそんな弱気になっている。

 お前は――

「お前は、告白したくらいで菜乃が見捨てるとでも思っているのか?」

 俺はいつの間にかたけるに迫っていた。

「いやそれは……」

 口ごもるたける。

 その胸ぐらをつかみかかる。

「おい。お前はそんな臆病者だったのか! 俺はお前がそこまで情けないとは面輪なかったぞ。自分のやりたいようにやってみんなとすりあわせて、それでも仲良くできる、そんなすごい奴だと思っていたんだ。なのに、なんだよ、それ!」

 それを聴いたたけるが、顔にしわを寄せる。

「ふざけんじゃねー! てめーの価値観なんかうんざりなんだよ! しょうがないだろ。菜乃ちゃんがあんな笑顔を見せるのはお前だけなんだからな! 何の努力もしていないお前におれの気持ちが分かるか!」

 たけるは俺につかみかかり、二人でキングサイズのベッドに倒れ込む。

「なら教えてやるよ! 自分を素直に出せるのが恋愛のこつだって!」

 俺でも分からないことを口走っていた。

 素直に見せるのがこつ? 本当に? でも分からないが、俺に裏表はない。

 だから言える。だからみんながついてきてくれている。

「なんだよ。それ! お前、自分が恋しているのかどうかも分からないクセに!」

 つかみ合いになる俺とたける。

「お前が素直なのは認める。だが、世の中そんな人間だけじゃやっていけねーんだよ」

 たけるがうまいこと円滑剤になってくれていたのは知っている。

 でなきゃ、俺は学校でボッチになっていた。

 それをフォローしていてくれたのは、たけるの力量でもある。

 恋を知らない俺にも、優しく接してくれていたのはたけるだ。

 フォローに徹し、俺にもチャンスがくるよう、根回しをしていたのかもしれない。

 だからこそ、たけるには素直になって欲しかった。

「お前、告白しろ」

「それができたら苦労はしないんだよ! こう胸がドキドキして、苦しくって、でも暖かな気持ちになれる。これが恋だよ。お前のしたことのない感情だ!」

 たけるの言った言葉は俺にも分からない。

 それが恋なのか。

 苦しくて、それでも暖かくなれるのか?

 以前、ふと感じたことがあるような気がする。

 でもそれが誰に対してなのか、思い出せない。

 俺が黙っていると、たけるが崩れ落ちる。

「分かっているよ。情けないって。でもどうしようもないだろ。おれに興味すら示さないんだから」

「菜乃はあがり症だからな。それに人見知りだ」

「どうしてお前に。お前がいなければ、おれが……」

 言っている途中でむなしくなったのか、天を仰ぐたける。

「そうか。おれはお前に嫉妬していたのか」

「今更気がついたのかよ」

 俺は立ち上がり、たけるに手を伸ばす。

「お前が一人でいる必要はない」

「ああ」

 たけるが手をつかみ立ち上がる。

 ベッドの上ということを忘れて。

「おわ!」

 柔らかなベッドの上ではうまく立てず、俺たちはベッドに倒れ込む。

 そして二人で笑い合った。

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