第5話 聖神殿長様と人払いの魔道具


 側付き筆頭ミルシェと護衛騎士イヴァンナを従え、わたしは、朝の聖神殿長の執務室に入った。

 

 長めの貴族の挨拶を終えた後、聖神殿長様は、わたしの神話の書写をゆっくりと確認してくださる。


 時折り、聖神殿長様は聖典の神話を読み返されているようであった。視線を落とし、しばしわたしくの文字を追いかけなさる。書物を読まれる聖神殿長様のお顔は美しい。聞いた話では、お年は33歳とわたしのお母様と同い年なのだという。けれども、日々静やかに神に祈りを捧げる生活を送っているためだろうか。下を向き書物を持つ聖神殿長様のお顔は、まるで少女のような少し儚げな美しさがあった。


(長い睫毛まつげのためなのかしらね)


 貴族の間では、聖神殿に対し良からぬ噂も多い。貴族院3年生の中で、噂好きな上級貴族として知られていたわたし(……これは、不器用なわたしが作った設定なのだけれども)の耳に、聖神殿のそうした噂は何度に耳に入っていた。


(ひょっとすると……聖神殿長様がお美しすぎるから、そんな根も葉もない噂が……)

 そんな少し不敬なことを考えていたわたしだった。

 

《そうかもね》

(ひゃっ!) 不意に善政の女神様に話しかけられ、わたしは危うく声を素っ頓狂な声を出してしまうところだった。

 

 わたしの狼狽を感じ取られたのか、聖神殿長様がお顔を上げた。


「大変丁寧な書体で、聖典を書き写されておりますね。こちらに来ることになった際に聞いていたお噂とは異なる、あなたの内面の美しさを垣間見ることができたような気がいたします」

 聖神殿長様は微笑まれた。

 

「光栄に存じます」

 なんとか心の動揺を押さえ、わたしは貴族らしい丁寧な声を返す。

 

 ✧

 

「さて」

 聖神殿長様は盗み聞き防止の魔道具を取り出された。少し緊張しながら、わたしは魔道具を受け取った。

 

 キンッ。


 聖神殿長様が魔道具を発動なされた。視覚に作用する人払いの閉鎖球も形成されたらしく、聖神殿長様以外の姿がぼんやりと遠ざかっていく。

 

「昨日の告解室での事を少し伺わせてくださいませ」

 同じく上級貴族で、年長の、というより、お母様と等しいよわいの聖神殿長様がわたしに謙譲語を使われた。これは、わたしの立場に最大限の配慮をしてくださるということなのだろう。

 

 わたしは告解室の扉を開けてからのことを話せる限り話そうと決意した。


 ✧


 顕現なさる女神様の中でもっとも尊き一柱が一体のみが授かるという《善政》の権能。それに、万物のことわりを筋道立てて把握なさるという《理科》の権能。

 この2つの権能を持つ崇高な女神様と、昨日からわたしは話ができる関係にある。

 こうしたわたしの話を聖神殿長様は、静やかに聞いてくださった。

 

 わたしが一通り話し終えた時、

「そうですか」

 聖神殿長様は頷かれ、

 「わたくしの信仰心が未だ至らないためなのかもしれませんが、残念ながら、わたくしはあなたが話ができているという、女神様のお姿を捉えることはできません」

 と続けられた。

 

「ただ、昨日のあなたは、並みの上級貴族には流し込めないほどの魔力を告解室に込めておられます」

「そして、今のあなたも魔力が満ちているように見受けられます。

超常の御力があなたに働きかけているのであろうことは推し測れます」


 わたくしは、緊張しながら、静かに頷いた。


(ひょっとすると、聖神殿長様は、超常の力の一端に触れたわたくしを、聖神殿に留めるおつもりなのだろうか?)

 

 何しろわたくしは、上級貴族伯爵家にとって最悪の恥というべき、貴族院からの無期停学と謹慎処分を受けている身である。聖神殿長様に請われれば、お父様はおそらくは否とは言わないのだろう。

 確かに、わたくしは、エーリクフェン領内序列二位の素領主ジーノムでお父様の伯爵位の継承権者である。しかし、わたくしの弟は今年洗礼を受けているし、お父様と第二夫人アデリーナ様との長子は、わたくしよりも2歳年上である(……このことが一因でわたくしのお母様とアデリーナ様との仲はあまりよろしくないのだけれども)。


 わたくしには、聖神殿で一生を送るという覚悟は全くできていなかった。 


 上級貴族に相応しい余裕ある表情はなんとか崩さないようにできているであろうわたくしだったが、いつの間にか両の手を固く握ってしまっていた。

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