第2話 告解室の令嬢

 3ツ時のティータイム。

「聖典の全ての神話を写し終えましたの」

 側付き筆頭のミルシェにわたくしはそう伝えた。


「まぁ、さすがはリスタリカ様ですこと」

 ミルシェはそういって、人懐こい笑顔で褒めてくれた。聞けば、ミルシェはイヴァンナと同じく中級貴族の家の出だという。どのような経緯を辿ったのかは知らないが、今のミルシェは独り身のまま聖神殿で一生を終えることとなっている。

 そんなミルシェは、事あるごとに、さすがはアールトネン伯爵家のお嬢様といった風にわたくしを持ち上げてくれていた。今置かれている境遇から、近いうちにわたくしも聖神殿に暮らすようになるのではと思われているのかもしれない。


 少し前のわたくしであったならば、ミルシェの丁寧なもの言いの背後にあるかもしれないそんな思いを嗅ぎ取って、気分を害していたかもしれない。でも、今はそんなことは気にならない。


 聖神殿長への夕刻の報告に向かうミルシェを見送った後、わたくしは

「夕食前に、告解室に入ります」

 と、護衛騎士のイヴァンナに告げた。


「お嬢様、それは……」

 イヴァンナは言葉を詰まらせた。


 かつての告解室の話が頭に浮かんだのだろう。

 かつて、告解室は、神殿外の者が告解をする場だったことがあった。そこは、同時に、人目を憚る密談をする場であり、貴族への賄賂を渡す場であり、そして、身請けを考える桃巫女たちに触れて味見する場でもあった、という。

 それは何十年も昔の話である。聖神殿を初日に案内してくれたミルシェは「神殿改革を通じ、今の告解室は、光り輝く白き石畳の上でひとり神と対話するという本来の場に戻っています」と言っていた。


 それでも、いまだに神殿の告解室という言葉に、どこかいかがわしい響きを感じてしまうのが、神殿とは縁の薄い生活を送る貴族の常だった。派閥の取り巻きたちとお気楽な貴族院生活を送っていた頃のわたくしもそうだった。


 聖神殿の告解室に籠もることは、謹慎の義務ではない。「謹慎中の生活について、静やかなところで神にひとりご報告するだけです」と言い、告解室に向かおうとしたわたくしを、イヴァンナはなおも止めようとした。


「それでも、告解室の前に護衛騎士のわたしが立っている姿を目にした者が良からぬ噂を立てるかもしれません」

「イヴァンナはわたくしの部屋の前でわたくしが告解室から出るのを待っていれば良いではありませんか?」

「そのようなわけには、まいりません」



「それに今のお嬢様は、何やら顔色があからんでおられるような……」

「神話を写し終えた高揚が今のわたくしにはありましてよ」



 イヴァンナにわたくしを留める正当な理由があろうはずはなく、わたくしは魔力を通すと、告解室へと入った。


 イヴァンナが言う通り、告解室の前に彼女が立っていることが、わたくしのさらなる良からぬ噂につながるのかもしれない。

 それでも、わたくしは告解室でしばしの時を過ごしたかった。


 告解室の石畳は、たしかに白く光り輝いていた。わたくしは石畳にひざまずき目を瞑った。

 はじめ、身体から石畳に吸い出されていく魔力を感じた。ひざまずいている膝に痛みはない。魔力の助けで半ば浮遊状態にあるのだろうか、身体の重さも感じない。身体の火照りも少し引いていったように思う。イヴァンナには言い訳で返したものの、先日に眠れない夜を送ってから、わたくしの身体は火照り続けていた。


 そして、石畳に吸い出されない魔力をみぞおちの辺りに感じた。この魔力は熱を持っていた。これがわたくしの火照りの原因なのだろう。


 強すぎる魔力を持つ者は、身に熱を宿すことがあるという。わたくしは残念ながら上級貴族としては魔力の量が少なかった。そのためだろう、これまで、魔力の熱に悩まされることはなかった。神話を書き写す日々に何かのヒントがあったということなのだろうか。


(たしか、こんな時は魔力をギューッと押し縮めるといいのよね)


 石畳の上に半ば浮かびながら、わたくしにみぞおちのあたりの熱をどうにかして押し縮めようとした。必死に力を籠めていく。



《そんなの意味ないわよ》


「できるかどうか分からないけど、やっているのよ」

 突然、側からかけられた声に私は言い返した。

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