第8話 合戦前夜



 14日の夜半、東軍は軍議を開いた。集まった諸将を前に、家康は声を張り上げ、


「皆の者には、明日、早朝に関ケ原に向かってもらう! 正純!」


と告げて正純を呼び、自身は床几に腰を下ろした。


「はっ」


 呼ばれた正純が進み出て、言葉を継いだ。


「ご説明いたします。各々方には自軍を率いて関ケ原に向かって頂きまする。その後、中山道組、北国街道組に別れ、大坂城を目指して頂きとうござる」

「何と? 大垣城の三成を討つのではござらんのか?」


と、これは細川忠興だ。相手は三成と思っていたら、妙な雲行きだと感じたらしい。正純は話を続けた。


「三成は捨て置き、大坂城におわす秀頼公を討つのでござる」

「これは異なことを! 我らが敵は三成ぞ? 秀頼様ではござらん!」


 福島正則が息巻いて、反論した。曲がりなりにも、秀頼は主君である。それを討て――とは暴論であろう。とても納得のいく話ではなかった。他の諸将も狼狽え、せわしなく顔を見合わせている。そこで家康が助け舟を出した。


「秀頼様を討ちはせん。そう、軍議が纏まった。それだけで良いのじゃ」

「? おっしゃる意味が分かりませぬ」

「大垣城や佐和山城。これらの城を抜き、大坂城の秀頼様に迫る。そう聞けば、三成は捨て置けんじゃろう?」

「はあ……」

「分からんか? 大坂に向かおうとする我らを食い止めんがため、三成は大垣城を出て、我らの行く手を阻もうとするじゃろう」

「あっ……、なるほど!」

「要は、城から三成らを引き摺り出せば良いのよ。そのための方便じゃ。大坂城に向かう我らを止めるには、関ヶ原を抑えるのが最良であろう。必ずや三成は関ケ原に出ててくる。」

「さすがは内府殿。恐れ入りました」

「先陣は福島正則! そなたに任せる。さて、それでは関ヶ原での布陣じゃが……」


 話は関ヶ原での配置に移っていった。軍議は遅くまで続けられた。家康らが大垣城などを抜き、大坂城に向かう――という偽りの決議は、故意に西軍にも流された。



「申し上げます。石田方が動き始めたとの由。関ケ原に向かっているとのことでございます」

「うむ。相分かった」


 岡山の本陣で、遅い夕餉を食していた家康の元に、石田方が関ケ原方面に移動している――との報告が入った。傍で共に夕餉を取っていた本多忠勝が、


「先ずは重畳でございます。あの流言が聞きましたかな」


と述べた。忠勝の言葉に、家康は頷いた。


「上手くいったわ。三成めに大垣城に籠られては敵わんからの。これで、いささかなりと楽が出来るというものよ」

「はい」

「それにしても……」

「は」

「秀忠はまだ来んのか」

「はっ……この時期の長雨で、思うように進めぬのでは……」

「それを見越して正信らを付けたものを、肝心な時におらんでは話にならん。豊臣恩顧の大名たちを当てにせねばならんとは……」

「はっ……」

「仕方がない。秀忠の率いる兵力は見限る」

「それは……」

「おらん者はおらんのじゃ。直政!」


 秀忠率いる兵は当てにしない――と決めた家康は、これも傍で共に夕餉を取っていた井伊直政に言った。


「はっ」

「先陣は福島正則に任せたが、口火を切るのは徳川の者でなくてはならぬ」

「はっ!」

「何としても、正則よりも先に仕掛けよ。そのためとあらば、忠吉を口実に使つこうても構わん」

「ははっ! 必ずや!」

「うむ」


 家康は、徳川に連なる者が戦の口火を切る必要があり、そのためになら、四男の松平忠吉まつだいらただよしを好きに使え――と直政に言ったのだ。井伊直政は忠吉のしゅうと、つまり、忠吉は直政の娘婿であったからである。

 忠吉はこの戦が初陣。しかも、家康の四男である。何かしらの口実を付けるにはうってつけであった。


 石田方が移動を始めたのに合わせ、家康は子の刻を過ぎた頃、諸将に出陣を命じた。先陣を賜った福島正則を先頭に、東軍も関ケ原に向けて行軍を開始した。



 いよいよ、天下を二分する大戦おおいくさが始まろうとしていた。



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