第5話 伏見城の攻防



 家康が会津征伐に向かって後、7月19日――三成ら西軍が伏見城に攻め掛かった。


 だが、それに先立つ15日の時点で留守を預かる城将、鳥居元忠は必ずや攻めてくる三成方に備えて、籠城の準備を進めていたのである。

 そこへ、城兵が少数と聞きつけた島津義弘しまづよしひろが援軍として、とりあえず手勢の500を引き連れて伏見城を訪れ、入城を求めた。義弘は戦意のないことの証として連れて来た手勢を城門から離しておき、2騎の護衛と自らだけで、大手門前に進み出で、銅鑼のような大音声で城兵に、


「島津義弘である! 鳥居元忠殿にお目に掛かりたい! お取り次ぎ願う!」


と、申し出た。多聞櫓の上にいた城兵は顔を見合わせ、


「し……しばし、お待ちくだされ!」


と返答し、引っ込んだ。話を伝え聞いた近習が、元忠のところにやって来て報告した。


「殿。島津義弘殿が門前に参り、殿に面会を求めておりまする」

「何、島津殿が?」

「はい。いかが致しましょうや?」

「会わぬ――というわけにはいくまい。通せ」

「はっ」


 しばらくした後、大門が少しばかり開き、義弘を招き入れた。義弘は大広間に通され、待っていた元忠と面会した。


「我ら島津、援軍に参上仕りました」


 元忠に会うなり、義弘はそう申し出た。だが、鳥居元忠はこれを拒否した。頭を下げて言った。


「ご加勢、ご無用。お引き取りくださりませ」

「我が島津家は、徳川殿にご昵懇頂いておりまする。城兵も寡兵と伺っておりまする。我ら島津、ご加勢致す。重ねて申し上げる」

「島津殿のご厚意、感謝致す。なれど、この城は落ちねばなりませぬ」

「? 何と申された?」

「この城は、三成方に落とされねばなりませぬ――と申し上げました」

「何と……」


 元忠の意外な言葉に、猛将の誉れ高い義弘もさすがに絶句した。本来、城は落とされぬようにするもの。それを、落ちねばならぬとは――。


「徳川方のこの城が寡兵とあらば、石田方は殺到し、緒戦の勝利のために躍起になって攻め寄せましょう。伏見城は石田三成の挙兵を天下に広く知らしめ、三成の野心と非道を世に見せつけるため、城兵、皆討ち死ぬ覚悟でござる。ここに勇猛でなる島津殿が入られれば、石田方は警戒致しましょう。それでは困るのです」

「討ち死ぬ覚悟と……?」

「左様でございます。お心遣い、痛み入りまする。されど、島津殿にはお引き取りを。願わくは、島津殿が石田方になりましても、徳川家に弓引かざれば幸い

でございまする」

「元忠殿……。この義弘、出来得る限り、そこもとの意向に沿いましょうぞ」

「かたじけのうござる」


 そうして、島津義弘は伏見城を出た――。


 義弘は当初、元忠に申したように、石田方に付かぬ気であったが、三成が秀頼公の名を持ち出したので、従わないわけにはいかなかった。


 石田方の伏見城攻めは、初めは元忠側も城を出ての小競り合いもあったが、石田方が40,000余といわれる大軍で城を囲み、昼夜分かたず鉄砲や大筒を撃ち込むようになり、孤立して援軍の当てもない籠城側は次第に消耗していった。それでも城兵の士気は高く、伏見城は長らく持ち堪えた。しかし、何れにしても、このままでは落城は避けられない情勢を鑑み、元忠は城兵を集め、


「このままでは落城は必定ゆえ、城を去ることを許す」


と、城を退去することも許可した。だが、城兵は去らず、家臣たちは元忠とともに討ち死ぬ覚悟であった。


「我ら、殿とともに死ぬ覚悟でございます」

「そなたたち……。相分かった。その気持ち、感謝致す」


 元忠は家臣たちの言葉に頭を垂れた。



 やがて、このままでは埒が明かぬと見た三成自身が佐和山城から手勢を率いて出馬。7月29日には伏見城に到着して力攻めを開始し、城内に侵入。8月1日、ついに城は落ちた。


 島津義弘に言った鳥居元忠の言葉通り、元忠と本丸にいた400余の城兵は、悉く討ち死にしたのである。



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