(五)経済一流、政治は二流

コロナが猛威を振るう中、「自民党総裁選」「衆議院選挙」が実施される。

筆者は定年まで企業に勤めたバリバリの保守支持層である。しかし長期政権の垢が溜まったとでも言えば良いのか、今回ばかりは・・・

そう思っている方も少なからずおられるのではないだろうか。



昔からこの国は「経済一流、政治は二流」と言われてきた。それは何故か。

筆者の独断と偏見に過ぎないので、気に入らなければ軽く受け流して頂きたいのだが・・・

経済界を引っ張っている方々は、厳しい競争を勝ち抜いて今のポジションを手に入れられた。オーナー企業は別にしても、総じて大変に優秀な方々である。

これに比して政界は、派閥の領袖など重鎮と呼ばれる方々は当選回数で成り上がっていく。言い換えれば、競争が少ない方ほど当選回数が多くなり出世していく仕組みである。過去の総理大臣のほとんどが地方の選挙区、それが証明しているではないか。上から目線で偉そうに話している方々も、決してご本人が優秀なわけではなく、ライバルが少なかっただけのことかもしれない。

我が国の国民は直接「総理」を選ぶことができない。なので地元の議員に託すわけだが、その議員たちは豪腕と言われる幹事長や党・派閥の重鎮に牛耳られている。

逆に、三流と言われても仕方のない仕組みだと言えよう。


これを支えてきたのが「官僚」、厳しい競争を勝ち抜いて国家公務員になった優秀な方々である。彼らはどんな人物が大臣になろうと関係なく粛々と行政を進めてきた。それで三流を二流に引き上げることができていたのだと思う。

昔の政治家は官僚を上手に使っていた。どちらかと言えば丸投げに近い「お任せ」であっても、官僚たちはそれに応えて矜恃を持って仕事に取り組んでいた。

ところが近年、小知恵の回る政治家が官僚を支配しようと考えた。そこで思い付いたのが「人事権」を握ることであった。頭の良い人の弱点は「機を見るに敏」なこと、結果として昨今の政権の周りには、気骨のある人材は遠ざけられ、ヒラメのように上ばかりを伺う官僚ばかりとなってしまった。モリカケ疑惑で総理の盾となった財務局長や、賭けマージャンで更迭された検察のトップなどを見れば一目瞭然であろう。


総理がいくら「安心安全、国民の命を守る」と言っても、国民はそれが実現できるとは思っていない。一昔前なら例えそれが「お題目」に過ぎなくても、官僚たちが意を汲んで何とか帳尻を合わせてくれたはずである。しかし今では官僚の力もガタ落ちで、命じられた通りにしか動くことができない。

地球環境も怪しくなり、この先いろいろな災害が待ち受けているであろう。そういう時に、最も必要とされるのは「信頼できる政治」なのだが・・・


よく「選挙は国民の義務である」とか言われるが、それは違う。正しくは、国民に与えられた『権利』なのだ。世界の、或いは近隣の国々を見れば、まともな選挙をしたくてもできない国の何と多いことか。

我々は直接「総理」を選べないまでも「選挙」で意志を示すことができる。せっかく与えられている権利を放棄してしまっては、何を言っても始まらない。

悩ましい時期がやってきた。

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