第5.5話 不明瞭な見解。

 勢いのままに、テーブルの上に広がった食器類を払いのければ、床に落ちたそれらが軽やかな音を立てて砕け散った。周囲に控えていた侍女たちが、驚きゆえか、恐怖ゆえか、小さな悲鳴を上げる。




 有り得ない。有り得ない。あの方が、私以外の誰かに求婚するなんて。




「お嬢様、大丈夫ですか!? お怪我は……!?」




 侍女の内の一人が、はっとしたように慌てて声をかけてくるのを聞きながら、大きく息を吐く。そのようなこと、聞く意味もないだろうに。

 大丈夫なわけがない。




「……大丈夫よ。少し眩暈がしただけ。仕事を増やしてごめんなさいね」




 思いのままに言葉を発することも出来ず、静かにそう告げる。侍女たちは不安そうな顔で、「医者を呼びましょうか?」と問いかけて来るけれど、それには首を横に振った。


 眩暈がしたのは本当だ。けれどそれは、体調の如何ではなく、怒りゆえ。

 「大丈夫よ」と、もう一度繰り返した。




「あまりに衝撃的なことを聞かされたものだから……。あの方が、子爵家の令嬢に求婚、なんて」




 ぼそりと、溜息と共に零れるように呟けば、侍女たちはすぐに理解したようで、その眦を吊り上げる。

 「本当ですわ……!」と、その内の一人が声を上げた。




「誰よりも相応しい、お嬢様という方がありながら、まさか子爵家の令嬢に、なんて。……きっと、国王陛下から何らかの命令を受けたのでしょう。かの子爵家は、あの方と同じ騎士の家門というお話ですから」




 テーブルの上を再度整えながら、侍女はそう言葉を続ける。自分の事でもないのに本気で怒りを表す彼女の様子に少しだけ溜飲を下げる。




 そう。その通りだわ。あの方の意志なわけがない。そのようなことが、あり得るわけがない。




 ほっと息を吐きながら、「そう、よね」と微笑む。侍女はその笑みを見て、安心したように大きく頷いた。「ええ、そうですわ!」と声を張りながら。




「いくら約束されたと言いましても、相手は国王陛下。家臣であり、騎士としても陛下に従う方ですから、命じられれば断れないでしょう。そういうことですわ」




 間違いない、というような口振り。あの方の事をよく知っているような物言いは少し気に入らなかったけれど、その内容は納得に値するもので、「そうね」と言って微笑んだ。


 あの方の性格はよく知っている。生真面目な堅物。国王の手足と揶揄される、美しい人形。

 それでいて、この国で王族の次に尊いといえる人。




 私に、相応しい人。




「そうだわ、バルテ伯爵令嬢をお呼び致しましょうか? 明るい方ですもの。お話しすれば、きっと気晴らしになりますわ」




 侍女が良いことを思いついた、とばかりに声を張り上げる。頭の中に、朱い髪の気の強そうな顔が浮かんで、何を馬鹿なことをと考えるも、侍女の言うことも一理ある、と思い直す。


 社交界で自分と同じくらい名を聞く伯爵家の令嬢。その容貌の通り、少々気の強いところがあるが、立ち位置を弁えるだけの頭はある、付き合っていても損はない相手。そして。


 自分に盲目的に従う使用人にも気付かせぬほど、巧妙にあの方への想いを隠した策士。




 ……彼女が勝手に動いて、あの方の考えを変えてくれれば、とても有難いことね。




 自分の立ち位置を見極めることが出来ている彼女は、自分より下の者が自分より上の振る舞いをすることを嫌う。

 子爵家の令嬢という、格下の相手に想い人を取られるなど、もっての外だろう。


 自分と同じくらい、情報に聡い彼女の事だ。すでにあの方の求婚についての話も知っているだろうけれど。




「……そうね。彼女と話すだけで気がまぎれるかもしれないわ。……バルテ伯爵令嬢にお手紙を出して」




 新しく用意された紅茶を口にしつつゆったりと言えば、侍女はにっこりと微笑んで下がっていく。明日か明後日、早ければ今日にでも、彼女はこの屋敷を訪れるだろう。

 より確かな情報を求めて。




 少しだけ煽ってあげれば、あの子のことだもの。すぐにでも動くでしょうから。




 たかが子爵家の令嬢に揺さぶりをかけるには十分だろうと思いながら、もう一口、暖かな紅茶を口に含んだ。

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