第7話 気持ちの問題
――魔獣は激怒していた。
魔獣には善悪が分からぬ。あるのはただ純粋な破壊欲だけだ。
地上に降り立った魔獣とは、言ってしまえば異界に存在する概念体の端末だ。物を壊し、人を害し、土地を疲弊させることで魔獣は糧を得る。ある程度の破壊活動を行った後で、魔獣が霞のように消えていくのは、自分が得たエネルギーを異界にある本体に還元するためである。
魔獣にとって破壊とは、自身の欲を満たすための行為――いわば食事のようなものだ。それを邪魔する『魔法少女』は、真っ先に倒すべき障害だといえるだろう。
それに、『魔法少女』というのは高密度のエネルギーの塊でもある。一人殺せば、普通の人間を百人殺すよりもずっと効率的にエネルギーを摂取できる。どちらにせよ、殺す優先順位が高いことには変わりがない。
木の上に逃げた女――魔法少女はまだ見つからない。
いや、見つけてはいるのだ。けれど、隠れている場所へ襲撃をかける度に、その気配がなぜか
低級の魔獣はあまり頭がよくはない。知性にリソースが割り振られていないからだ。それ故に、この猪の魔獣は、延々と女がいるであろう木に突進を繰り返している。けれど、その無意味な攻撃はもうすぐ終わることになる
――ああ、見つけた。
魔獣は、ようやく女の姿を発見した。おそらく、隠れるのをやめて出てきたのだろう。
女は横倒しになった木の上で悠然と立ち、こちらを挑発するかのように人差し指で指差しをしている。女の鳶色の目が、真っすぐに魔獣を射抜いていた。
魔獣は女が自分に
――後ろ足に力を込める。それと同時に、全身に白銀の光が満ちていった。
闘気を纏った突進による衝撃波――これこそが魔獣の唯一であり、そして必殺の攻撃だ。低級の魔獣に戦略などは存在しない。ただ、がむしゃらに殺す。それだけだ。
女は逃げない。ただゆっくりと魔獣を指差していた手を、腕ごと上に向けた。
そして魔獣は走りだす。
音速を超える弾丸のように打ち出されたその巨体はまるで、ぶつかった物すべてを破壊する大砲だ。いくら魔法少女であろうとも、この攻撃がまともに直撃すれば命はないだろう。
――獲った!!
魔獣がそう確信した瞬間、女は袈裟懸けをするかのように、スッと腕を振り下ろした。
――視界が、ブレる。
そう思った瞬間、魔獣は何故か地面に転がり、いつの間にか女のことを見上げていた。
立ち上がって攻撃をしようとするも、手足が動かない。はて、どうしてだろうか?
女は顔を歪めて、魔獣のことを見下ろしている。その表情はまるで、痛みに耐えているかのようだった。自分自身は怪我ひとつ負っていないくせに、なぜそんな顔をするのだろうか。魔獣には、さっぱり分からない。
――ああ、けれど。
――魔獣はぼんやりとする頭の中で思う。
――少しだけ、腹が満たされたような気がした。
◆ ◆ ◆
「どうしたそんな顔をして。上々の出来だったろうが」
ベルは、そう不思議そうに問いかけた。
鶫は
「ああ、気分が悪い」
そう言いながら、鶫はぐっと右手を握った。その手には無数の糸が絡みついている。
スキルが鶫にもたらした知識――操糸術とは糸を武器とした攻撃手段であり、防衛手段であり、時には諜報手段にもなりうる万能型の力だった。炎や雷などといった大規模殲滅型のスキルを持つ魔法少女に比べれば見劣りするだろうが、それでも中々に優秀なスキルだと言える。
まず【透明化】で糸を隠し、繊細な指の動きと、糸の絡みついた腕を振り下ろすという
ベルの感覚としては、見世物として満足のいく出来だったのだろう。だが、この鶫の投げやりな態度は気に障ったらしく、ムッとした様子で皮肉を吐いた。
「気分? まさか貴様、血が苦手だとでも言うつもりか。生娘でもあるまいに、随分と繊細なことを言うのだな」
「いや、少なくとも俺は生娘じゃないか? ……そうじゃなくて、あくまでも倫理観の問題だよ。自分が悪いことをしたとは全然思わないけど、こんな風に生き物……って言っていいのかは分からないけど、動物の形をしたモノを殺したのは初めてだったから、少し思うところがある」
鶫はそっと自らの右手を撫でた。自分は、あれだけの動作で生き物を簡単に殺すことができる。それは、考え様によってはとても恐ろしいことだろう。
まあ、軽口を返す余裕があるのだから、そこまで深刻なものじゃない。
「よもや、今さら辞められるとは思うなよ。貴様の命運は我が握っている――それを忘れるな」
強い口調で、咎めるようにベルは言う。
ベルだって、鶫が今ここで「もう辞める」などと言い出しては困るのだろう。気持ちは分かる。
――でも、その心配は杞憂だ。
「心配しなくても、辞めるだなんて言わないよ。俺が気に食わないのは、思っていたよりも
そう言って、鶫は首を傾げた。
もしそうなら、魔法少女にとってはかなり便利なスキルだよなぁ、と軽い気持ちで思う。
普通であれば良心の呵責というのは、結構馬鹿にならないデメリットだ。明るく楽しく魔獣退治ができるならそれに越したことはないだろう。
だが鶫が知る由もないが、本来【最適化】のスキルはあくまでも動作補助のスキルであり、精神にまで影響を及ばすことはない。
何も感じない。
年に何百人もの魔法少女が心を壊して辞めていくというのに、鶫はそれがどんなに稀有な才能かが分からない。きっと、誰かに指摘されなければ気づくことはないだろう。
「――でもきっと、この調子なら俺は向いてるよ。魔法少女に」
そう言って、鶫はベルの方をみてニコッと笑った。その顔に、悲哀の色は見て取れない。
どうせ鶫は魔法少女を続けていくしか道はないのだ。一度死んだようなものだし、細かいことを気にしていたらせっかくの人生が損だろう。
鶫としては、これからも気負いなく活動ができるなら多少のことは何の問題もない。
そんなあっけらかんとした鶫の様子を見て、ベルは少し目を見張ると、満足そうに微笑んだ。
――これは、よい拾い物だったかもしれんな。
そんな風に思いながら、ベルは目を細めた。この男がベルにとって使い勝手がいい玩具であり続けるなら、そのうち愛着も湧いてくるだろう。その時が、とても愉しみだ。
「そういえば、もう一つのスキル【暴食】はどう使えばいいんだ? 戦闘終了後って書いてあるから今使えばいいのかな」
「……さあ? 宣言してみたらどうだ?」
【暴食】、ベルにとっては随分と
「ふうん。――じゃあ、スキル発動【暴食】!」
そう鶫が声に出した瞬間、魔獣の周りの空間が少し揺らいだ。すると、地面から
その見た目は、正直ベルから見ても少々えげつないと感じる。ちらりと鶫の方を見てみると、口を手で押さえ、真っ青な顔をさらしていた。……はっきり言って、魔獣を倒した時よりも今の方が表情豊かである。
現れた獣の口は、魔獣の核と白銀の牙以外を残らず咀嚼した後、心なしか満足気な様子で地面の中に消えていった。
今のところ、どういった効果を持つスキルなのかがいまいち分からないが、隣に立つ鶫の器の強度が微かに上がったように感じたため、つまりはそういうスキルなのだろう。
鶫は不安げに自分の腹を擦りながら、控えめに口を開いた。
「ベル様。おれ、やっぱり魔法少女やめたいかも……」
「……駄目だ」
「ですよねー。……はぁ」
そう言って、鶫はがっくりと肩を下ろした。さらり、と括りもせずにそのままにされた黒髪が落ちる。
ベルは、まじまじと鶫の横顔を見つめた。今まであまり注視していなかったが、こいつはそれなりに悪くはない顔立ちだ。
――この
そう考え、ベルは満足気に笑った。
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