とあるパパ活JKの悪戦苦闘

佐神原仁久

ハジノオオイショウガイヲオクッテキマシタ

「そこのおじさん、ちょっとお願いがあるんだけどぉ」

「ん?」


 その中年男性、花道善三はなみちぜんぞうは仕事帰りだった。

 とっとと家に帰って休みたい、その一心で普段通らぬ繁華街を通ったのだが、それがまずかったのか。


 制服を着た、年のころは15,6といったところか。

 明らかに未成年な装いの少女に呼び止められてしまった。


 今のご時世、成人男性が血縁関係のない未成年女性と会話することは犯罪である。


 勿論刑法に書いてあるとかそういうわけではないのだが、やましいことが何一つなくともその状況が成立した時点で善三が性犯罪者の謗りを受けるのはほぼ確定したようなものなのである。


 そして目の前の少女は明らかにそれを分かったうえで善三に話しかけている。

 恐らく少しでも少女の意に添わぬ言動をした暁には、きゃあきゃあ騒いで善三を性犯罪者に仕立て上げようとしているのだろう。


 封建社会を彷彿とさせる絶対的な身分格差がここにある。

 少女が貴族、善三が平民だ。平等な民主主義が聞いて呆れる。


「あー、なにかな?」


 そういう状況を理解している善三はなるだけ少女の機嫌を損ねぬように恐る恐る口を開く。

 少女の方は善三の心中など気にも留めないで悠々自適に言葉を重ねる。


「実は私家出してきてぇ、今日泊まるとこないんだぁ」

「それは大変だね」


 家から出されて豚箱に入りそうなこっちの身にもなって欲しい。


「だからおじさん、今日泊めてくれない?」


 さあどうしよう。


 了承すれば性犯罪者としてしょっぴかれ、拒絶すれば性犯罪者としてしょっぴかれる。

 完全なデッドロック状態だ。


 どちらに転んでも破滅なら『一度は言ってみたいセリフ第4位、だが断る』を言ってしまってもいいのかもしれないが、生憎善三は露〇先生程キレていない。流石に憚れた。


 その他、様々な事をつらつらと考えていると、少女が更に言葉を重ねる。


「泊めてくれなかったら、私悲しくて泣いちゃうなぁ・・・大声で泣いて、こっちに来た人に『おじさんに酷い事された』って言っちゃうかもなぁ・・・」


 クソが。

 善三は大人の良識でそのシンプル極まる悪態を口の中に押しとどめた。


 何が質悪いって、別に嘘は言っていない部分だ。

 酷い、なんて形容詞、所詮は主観で決められるもの。少女が酷いと感じたのならそれを糾弾する権利は誰にもないし、否定することも不可能だ。

 そしてそれを聞いた連中は善三が婦女暴行をしたと解釈して善三はめでたく豚箱入りという訳だ。


 勿論懇切丁寧に事情を説明すれば豚箱入りは避けられるかもしれないが、善三が婦女暴行をして上手い事刑を逃れたという噂が立つのだろう。

 噂と言うのは悪辣で、ありもしない虚構がさも事実であるかのようにしてしまう。法律より憲法より噂の方が強いのだ。そして善三は私刑にあってめでたく人生終了。そこまでのシームレスな流れが幻視出来そうなほどだ。


「わかった、わかったよ。泊めればいいんだろ泊めれば」

「アハ! おじさん話が分かるぅ! まあサービスするからさ!」

「若い身空でそんなこと言うんじゃあない」


 善三はやけくそ気味にそういった。


◆◇◆◇


 その少女、天内天華あまないてんかは自分の幸運に感謝したいほどだった。

 天華は不良少女である。

 数人の裕福な社会人男性と援助交際の関係を持っているのだ。清楚な外見とフランクな言動は全て客受けのためにやっている偽装でしかない。


 今日はその常連全員の予定が合わず、立ち往生していた居たのだ。

 家は家でろくでもないので帰りたくもない。


 天華が常連数人を射止めた繁華街は知る人ぞ知る援交スポットで、ここにいる獲物でお手付きじゃないのはいないと言っていい。


 ・・・はずだった。


 花道善三という新規のおじさんがいたのだ。

 他のお手付きに手を出せば干されてしまう。援交女子にも社会があるのだ。

 ここで仕留めなければ今日は野宿かクソッタレな自宅へ帰ることになってしまう。


 未成年女子という立場を利用した脅迫まで使って仕留めた。

 あまり使いたくない手ではあるが、背に腹は代えられない。


 何やら説教臭い事を言われたが、買っている時点で何の説得力もない。


 善三についていった先には、それなりの規模の一軒家があった。

 花道、という表札がある以上、この男の自宅であることに間違いはなさそうだが・・・男の一人暮らしにしては少し大きすぎるような気もする。


 ガチャリと音を立てて開けられる鍵。

 ただいまー、などと言う善三の後ろについて家の中に入る。


「おかえりなさーい!!」


 は?


 天華の思考が一時空白に染まる。


 パタパタと音を鳴らして玄関に出てきたのは、それなりに美少女の自信がある天華のプライドを木っ端みじんに粉砕する美女であった。

 10年。

 あの色香を出すには、天華はあと10年若い。


「あら善三さん、その子は?」


 天華は動揺のまま善三に視線をやる。

 まさかとは思うがこの男、こんな美人で気立てのよさそうな奥さんを足蹴にして私を貪るつもりか?


 否、否。


 動揺が収まり、天華の思考に余裕が生まれる。

 そうだ、私はこの女からこの男を奪ったのだ。

 そういう風に考えると、なかなかどうして悪い気分ではない。


 善三は答えた。


「ああ、なんでも今日泊まる宿がないとかで困っていてね。うちに泊めてやろうと思うんだが、どうだ?」

「まあ、それは素敵ですね。ねえお嬢さん、お名前は?」

「あッ、天内天華、です・・・」

「私は花道麗美はなみちれいみよ。一晩だけどよろしくね、天華ちゃん」

「はあ・・・」


 そんな気の抜けた返事しかできなかった。

 旦那が女子高生家に連れ込んでいるんだぞ、慌てふためけよ。

 なに呑気に自己紹介してるの。


「じゃあ善三さん、ご飯にします? お風呂にします? それとも・・・」


 麗美は何事かを善三に耳打ちして、妖しげに笑う。


 いや新婚トークやってんじゃないよ。

 隣に旦那が連れ込んできた女子高生いるんだよ?


「じゃあ、ご飯、お風呂、麗美の順番かな」

「やだもう! その堂々した所、やっぱり好きですわぁ」


 旦那が連れ込んできた異常事態放置して異常事態みたいな惚気してるんじゃないよ。


「さあさ、天華ちゃん。上がって上がって。先にお風呂入っちゃいましょうか! その間にあなたの分の晩御飯作っておくから。善三さんは少し待っててくださいね」

「ははは、勿論さ」


 あ、良かった私忘れらたわけじゃないんだ・・・。


 天華は脱衣所に案内され、風呂上がりのパジャマやらリンスやらトリートメントやら化粧水やらの案内をされた。

 自前のものも一応鞄にあったが、それより上等な奴だったので、なんとなく悔しく思いながらそれらを使い、体を清める。


 展開がエクストリーム過ぎて今感情が追い付いてきたが、一援交女子には不相応なほどの好待遇である。


 もしかして『花道』というのはヤから始まる自由業の方々で、これからみぐるみかっ剥がれるのではないのだろうか。そして人身売買コース?


 冗談じゃない。

 確かに自分の貞操を切り売りしているが、人権をたたき売りするつもりはない。


 しかし逃げようにもここは完全に敵のホーム。

 アウェイもアウェイ、敵地どころか死地である。

 逃げ道らしい逃げ道は見つからない。


「おわった・・・」


 せめてもの抵抗とばかりに上等なケア用品を多めに使う。

 湯水の様に使っては、それを引き合いにして何を要求されるか分かったものではない。


 悲壮な覚悟を決めながら風呂を上がると、普段の倍以上長い時間使っていたようだった。


◆◇◆◇


「全く、善三さんはお人好しなんですから」

「そういわないでくれ、麗華だって楽しそうだったじゃないか」


 風呂から上がってリビングから聞こえてきたのは、そんな会話だった。

 とりとめのない、普通の、仲の良い夫婦の会話だ。


 これから人身売買を行おうとしているとはとても思えない。


 いやまあ、それ自体ただの思い込みでしかないのかもしれないのだが。


「あら、天華ちゃん上がったみたいね。ちょうどご飯できた所だから、座って待ってて」

「あ、はい・・・」


 人生で一度も見たことがない様な好意と厚意だった。


 目の前で手間暇かけられた手料理が次々と並べられ、私の胃袋を刺激する。

 新婚でもないとモチベーションが維持できないであろう手の込みようだ。絶世の美味ではないだろうが、きっと満たされるような料理なのだろうと手を付ける前から予測できた。


 自分の家で出されるのはとは、大違いだ。


「さ、食べましょうか。いただきます」

「頂きます」

「い、いただだき、ます・・・」


 噛んでしまったのは緊張と、罪悪感。

 だって、この食卓は。


「麗美、お隣の神崎さんの所どうだった?」

「ああ、あそこでしたら、後でお伺いするとおっしゃってましたよ?」

「別に良いのになぁ」

「それでもするものではないですか。善三さんだってそうでしょう」

「確かにそうだが・・・」

「良いじゃありませんか、別に悪意があるわけでもないんですから」

「別にそこまで穿ったつもりはないんだが」

「ふふ、知ってます」


 私にはわからない、二人だけの会話。

 私には『お隣のカンザキさん』も『お伺いする内容』も知らないし、この二人の人となりだって知らないのだから、当たり前ではあるのだけれど。


 疎外感には慣れてる。

 でも、今私の感じているこの罪悪感は、今までにないものだ。


「そういえば・・・天華ちゃん、だったわよね?」

「えっ、はい」

「何か嫌いなモノとかあった?」

「いえ、別に・・・」

「そう? でもなんだかとっても元気なさげよ?」

「別に、大丈夫ですから」

「でも・・・」

「こらこら麗美。天華ちゃんは年頃なんだから、そうズケズケと立ち入るものじゃない」

「善三さん・・・そうですね。すいませんでした、天華ちゃん」

「いえ・・・」


 嗚呼、また罪悪感が膨れ上がる。

 私が無愛想にしてたから、空気が悪くなってしまった。


 悪い空気に後押しされて、黙々と箸を進める。

 あんなに和やかだった空気が見るも無残だ。


 料理が減るにつれて、私の中の罪悪感は増えていく。

 だって、この食卓は。


 私が加わるには、あまりにも温かい場所だったから。


◆◇◆◇


 急遽止まることになった私の寝床は、普段は麗美さんの寝床として使われている大きめのベッドだ。

 分厚いながらも低反発で、試しに寝転がってみた感想としては空中に浮いている気分だった。


 パジャマも麗美さんのものだ。

 ピンク色の可愛らしいもので、彼女が昔愛用していたものらしい。


 その辺りの情報を私に伝える麗美さんのパジャマは灰色のものだった。

 はっきり言って地味だったが、麗美さんが着ると退廃的な色気が漂うのだから不思議だ。同性の私にすらくらりと来たのだから、善三さんはたまらないだろう。


 『別の寝床があるから』と廊下の奥に消えていった麗美さんを見送って、私はベッドに入る。


「ふう・・・」


 手の込んだ食事とふかふかの布団。

 これからあの善三さんに襲われるとしても、薄い財布と格闘しながら野宿するより万倍マシなはずだ。


 でもなぜだろうか。


 野宿した方が、マシだったように思えるのは。


◆◇◆◇


 しばらくの間、私は寝付けなかった。

 こんなベッドで眠るなんて初めての事だったから、体がびっくりしているんだと思う。


 寝返りを繰り返していると、暗順応した視界がちょっとした発見をする。


 写真立てだ。


 よく見ると一個や二個じゃない。何十という数だ。

 それが一つの棚の上に、所狭しと並べてある。


 どうせ眠気も来ないのだから、と開き直って電気をつけ、急激な光に目を細めながらそれに近づいた。


 本当に多い。写真立てもそうだが、写真自体も色彩が豊富で、視界が急に華やいだ感じだ。

 興味本位で見ていると、全てあの二人の写真だった。


 日光で焼けてしまっているものの裏を見ると、なんと25年前。


 そこまで年寄りには見えなかったが、写真の中の二人は更に若い。

 いわゆる幼馴染という奴だろうか。


 だが、どうにも気になるのは、被写体だ。


「子供、いないのかな」


 子供の姿を撮ったものが一つもない。

 確かにこの家でその痕跡を見た覚えはないが、長年連れ立ってるらしいあの二人が子宝に恵まれないのも不自然に思える。

 実は仮面夫婦、という事は、おそらく現在進行形で『仲良く』しているので無いだろう。


 なんだか無性にイライラして、電気を消してから乱暴にベッドに飛び込んだ。


 あんな男でも子供を授かれるのに、どうして善良な彼らがそうでないのだろうと。

 酷く、腹立たしいことに思えるのだ。


◆◇◆◇


 一晩明けて。

 結局善三さんが夜這いを仕掛けてくることは無かった。


 いや、彼は奥さんを一途に愛するタイプで、そんなことをするつもりなんて本当に微塵もなかったのだろうという事は既に分かっているが。

 しかしまあ・・・露骨なまでに『眼中にない』と行動で示されると、なかなか悔しいものがある。


 昨日晩御飯を食べたリビングで、あの二人は待っていた。


 彼らが早起きであるのかもしれないが、既にどちらもパジャマじゃない。

 その上朝食の用意まで済んでいた。私と同じくご飯派らしい。


 また、和やかな会話が聞こえる。


「ねえ、出来ましたかね?」

「そうだと良いんだが・・・」

「すいません。毎日毎日」

「何、願ったりだよ」

「ふふふ」


 また、何を言ってるかは分からない。


「どっちの方が良いですか?」

「うーん、女の子、かな」

「あら偶然、私もですよ」

「知ってるさ。結婚前からずっとそう言ってたし」

「そうでしたっけ?」

「耳にタコ、とはこのことだろうさ」

「お嫌でしたか?」

「まさか。麗美の言葉は全部嬉しい」

「もう・・・もう!」


 新婚かこいつら。

 昔からこの調子なんだとしたら、周囲は随分呆れていたことだろう。


「でもそれ以上の事は聞いてなかったね」

「ええ、でも昨日で固まりました」

「へえ、じゃあどんな?」

「天華ちゃんみたいな、周りに気を配れて、勝手に罪の意識を抱いちゃうくらい優しい子」


 心臓が跳ねるとは、この事か。


 麗美さんは全部知って、否、わかっていたのだ。

 私の罪悪感も、空気を壊したくなかったという思いも、全部。


 ずっと周りに流されて、抗う事なんて生まれたときから諦めてて。

 そんな私を、『優しい子』と肯定してくれた、麗美さんの微笑みは。


 本当に、聖母のようだった。


◆◇◆◇


 あの後廊下を引き返してから、少し大きめに足音を鳴らしてリビングに行った。

 二人は昨日と変わらず優しくて、穏やかで、温かくて。

 なんでか零れそうな涙を、必死にこらえて朝ご飯をかき込んだ。


 そして、玄関。


 私の、かえる時だ。


「天華ちゃん」

「なんですか?」


 麗美さんはやっぱり微笑んで、続ける。


「もし・・・どうしても逃げ出したくなったら。またいらっしゃい。私は専業主婦だもの、いつでも迎え入れるわ」

「それは、でも、ご迷惑では・・・」


 嗚呼、それは私が言いたかったことだ。

 『また来ても良いですか』とは、私が縋りたかった希望だ。

 こんな、旦那の連れてきたどこの誰とも知れぬ私が。


「大丈夫よ。なんだか私、娘が出来たみたいで嬉しかったもの」

「娘・・・じゃあ、お言葉に甘えても、良いですか?」

「ええ。本当に、いつでもおいで」


 私はまとめた荷物を手に取って、扉を開く。


「最後に一つ」


 麗美さんはそう言って私を呼び止めた。


「私のわがままを聞いてくれるかしら?」

「なんですか? 私にできるなら・・・」


 私もそれに答えた。


「『いってらっしゃい』」


 その一言で。

 私はなんだか、本当に救われた気がした。


「『いってきます』」


 そう返して、私は今度こそ扉から出ていく。


「お母さん」


 その一言だけは、絶対に聞かれぬよう、小さな声で囁いて。

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