第七話

 茶々がそう言うのなら……。

 三箇条受忍やむなしといった空気が評定の場を包む。

 上座の秀頼がなにも語らないのはいつものことだ。反対の意思を明示しない以上、暗黙の了解といえた。

 且元を責める声は消え去り、方針が

「茶々の江戸下向、大坂城の維持」

 に一決しようとしていたその時、口を差し挟んだのは治長その人であった。

「御袋様(茶々)人質の件、しばしお待ちあれ」

 治長は一同に向き直って言った。

「それがし思うに、此度こたびの関東の言い分は言いがかりである。

 鐘銘が気に入らないというのならよろしい。開眼供養、堂供養は中止致し申そう。かかった費用はドブに捨てたも同然ということになるが、却ってそれこそが徳川に示すこのとできる我等の赤心ともなろう。

 またそんなことをすれば豊家の権威が地に墜ちるなどと言う者があるかもしれんが気に病む必要はない。既に秀頼公は関東に良いようにあしらわれ、いまやなんの官位も帯びぬ御身。豊家の権威はいまや墜ちるところまで墜ちており申す。

 撰者の処罰も、望むならご随意になされれば良い。いかさま、銘文を起草した者が責を負うのは物事の道理であり当方としても望むところ。そして撰者の処罰に付随して家臣団のうちから何者か責任者を出せというなら、少なくともこの大野修理は逃げも隠れも致しませぬ。それで秀頼公をお守り申し上げられるのなら喜んでこの首差し出しましょう。

 これらの覚悟を以て交渉に臨めば、恐れるものなどなにもござらぬ。問題は所詮鐘銘の犯諱に過ぎませぬ。それがしには、三箇条の履行がこの問題の解決につながるとはとても思えませぬ。

 よくよくお考えなされよ。鐘銘の犯諱を口実にして徳川がこの大坂を攻めるなど、出来るはずがないではありませんか」

 静まりかえる一同。

 確かに治長の言葉はそのとおりであった。

 茶々は徳川家との関係悪化から、この問題が戦争に発展するという危惧を抱いたようであったが、それは早計というべきであった。二度までも落城の憂き目を見た過去がそのような危惧を抱かせたものであろうか。

 そもそも且元にしてからが、戦争になることを危惧したのではなく単に鐘銘問題でこじれた豊臣と徳川の関係を改善するために三箇条を示したのである。この程度で戦争など、いったいどこの世界の話か。

 もし強いて戦争に及ぶというのなら、問題になっているのは家康の諱を分断した点だったのだから、個人的な問題にとどまるのであって、理屈の上ではいかに徳川家といえども諸大名を動員する大義を欠くということになる。徳川の覇権が確立されたいま、やって出来ないことはないだろうが、武家の法理というものに誰よりも忠実な家康が、かかる無道を望まないだろう。

 人々を大坂との戦争に駆り立てるからには、少なくとも、大坂を豊臣から強奪することにより諸大名に分配できるほどの利益が見込まれるか、若しくは大坂方から徳川方に対し攻撃が仕掛けられたかのどちらかでなければならない。要するに人々の賛同が得られるいくさかどうか、である。

 これこそが、人々をいくさという死地に赴かせるにあたってゆるがせに出来なかった武家の法理であり、武家の棟梁たる家康が最も重んじた理屈であった。

 穿った見方をすれば且元は、これまで自分が主導してきた寺社修築造営による豊臣の権威テコ入れ政策が方広寺鐘銘問題によって徳川に粉砕され、政策主導者として処罰されることを恐れて、殊更家康におもねった三箇条を示しているのではないか。もしかしたらこの老人は、鐘銘問題に限らず、これから先なにごとか豊臣と徳川との間で問題が持ち上がるたびに、徳川におもねった妥協案を示し続け、豊家を衰退に導く獅子身中の虫なのではないかとさえ疑われた。

 だとすればこの際、本当に自分はこの老人を殺してしまわねばならないと腹を括る治長である。

 関ヶ原合戦の折には西軍に靡いた且元が、戦後変節した挙げ句従前となんら変わらず大坂城を切り盛りしている様を見て愕然としたあの時。

 家康が将軍に昇った一方で、秀頼に捨て扶持のような内大臣の官が下され、なお平然としている且元を難詰したあの時。

 思い起こせば且元を刺し貫いておけば良かったという場面は少なからずあった。その時々において逡巡し、今日この時を迎えたことに、治長は内心忸怩たる思いを禁じ得ない。

 早々にっておけばよかった。そうすればやたらと金のかかる寺社造営のような事業に手を出すこともなく、家康の不興を買うようなことにもならなかったはずなのである。

 しかしいまはその害意を気取られるわけにはいかなかった。

 大坂城は実質、且元の支配下と同然の状態であった。主要な城門七つのうち、六つを管理しているのが且元とその弟主膳正貞隆だったからである。加えて片桐家が擁する兵力は家中の誰よりも多く、いま戦っても勝てる見込みがない。

 治長は且元に対する害意を隠しながら言った。

「御家老殿は再度駿府に赴き釈明しなおすべきではござらぬか。どうもそれがしには、御家老殿が示された三箇条の履行で大御所様が納得するようには思われぬのです。犯諱の釈明になっていないからです」

 この意見には各所から賛同の声が起こった。

 大蔵卿局が、我が子治長の意見に賛同し、且元に対して

「是非そうなさるが良い」

 と求めると、評定は且元を再度駿府に遣わし、交渉をやりなおす方向に一転した。

 元々江戸下向には抵抗感のあった茶々も、もうなにも言わなかった。

 諦めたようにこの場を去ろうという且元が、その去り際、治長に言った言葉は、座を凍り付かせるに十分であった。

「そこもとがいま言ったような交渉をわしがしてこなかったとでも思っているのか。またそこもとが含んでいる害意を察しないわしでもない。みくびってもらっては困る。

 よかろう。そういうことなら再度駿府へ下向し、交渉に臨もうではないか。

 しかししかと申しておく。わしは三箇条の受忍以外に徳川家との関係修復はないと考えておる。三箇条が履行されなければ、何度交渉しても修復の見込みは皆無である。わしは手ぶらで帰ってくることになろう。

 その上でわしを刺し殺すつもりなら関東といくさになる覚悟でするが良い。しかしいくさになっても、豊臣家以外の者を城に入れようなどとゆめゆめ考えるでないぞ」

 先々に起こるすべてを予見したような、不気味な啖呵であった。

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