第39話C.o.D ~果たすべき誓い~ Part.4

 歓声と怒声、そのハーモニーを奏でながら人々が湧いている。

 ある者は歓喜に杯を振り回し、ある者は憎悪を込めた石を投げつけながら、断頭台に上がっていく魔族の少女を見物していた。その魔族は幼くも憎き魔王の娘であり、彼等にとっては憎しみの対象である。


 少女の姿であろうとも、魔族の女は仇に違いない。


 それは夫の、或いは息子の、


 妻の、娘の、


 父の、母の、


 憎き仇に違いないのだ。


 その少女は、だが全ての怒りを見に受けながらも毅然と振る舞い、処刑人に命じられるがまま、神妙な面持ちでもって断頭台の首かせへと頭を垂れる。枷の錠が下りてもその表情は穏やかで、王が演説を始めても変わることはなかった。


「諸君。親愛なるアヴァロン王国民諸君、本日は諸君に吉報を届けられることを嬉しく思う」


 広場に設けられた特別観覧席から、アヴァロン王・レリウス三世が高らかに語っていくのは、百余年にも及ぶ人魔戦争の遍歴と辛抱の時代。初代レリウス王の時代に始まったこの戦争がアヴァロン王国にもたらした影響は大きく、国の発展は数十年単位で遅れている。


 だが、そのような苦労の時代も終わりを告げると、王は宣言する。


「神に選ばれし『授かりし者』達。赤髪の勇者アレックスを筆頭とした強者達が魔王を討つため黒の大陸へと渡っていることは、諸君も噂ながらに聞き及んでいることと思う。そしてその噂は事実であり、私は勇者たちの勝利を確信したとここに宣言する。処刑台にある魔族の首を以て!」


 何千という視線がメアの姿に注がれる。

 彼女がどこに目を向けても、感じられるのは死を願う眼差しばかりだった。


「訊けばその魔族は、驚くべき事に人類が宿敵、魔王ディアプレドの娘であるというが、このような者が黒の大陸を離れ、遙か彼方のアヴァロン王国にいたことこそが人類の勝利を告げていると言えよう。そう、『授かりし者』達が勝利し、そして人類が勝利したのだ、あの憎き魔族共に!」


 民衆が沸き立つ

 残酷なほどに


「魔王は討たれたであろう。とはいえ、とはいえだ。我らが負った傷は深く、容易く癒えるものではない、彼方で魔王が討たれたとて納得の出来るものでもないだろう。ついては諸君にも勝利の瞬間を味合わせよう、せめてもの慰めになることを願って」


 王が右手を振りかざせば


 処刑人が斧を振りかぶり


 一瞬にして広場は静寂に包まれた


 それは固唾を呑む刹那であり


 王が振り下ろす右手と共に


 断頭台の刃を支える太い綱が


 処刑人の斧によって断たれた


 刃が落ちる鈍い音


 同時に響く割れんばかりの歓声が広場を激しく震わせる


 それはまるで、声を詰め込んだ袋が爆ぜたかのように一瞬で拡がっていき、街中の窓ガラスまでもが拍手喝采しているといっても過言ではない賑わいを見せていた。


 だが、広場の中心。

 処刑台を囲む最前列にいた民衆の一人が、事態の異常さに気が付いていた。


 刃は、確かに落ちている。首かせに食い込むほどに、完全に刃は落ちているはずなのに、肝心要の魔族の首は、いまだ首かせに嵌まったままで、よくよく魔族の身体を眺めてみると首筋に薄らと蒼い焔が揺らいでいるのが見えた。


 彼は、恐怖におののきながら、震える指先で断頭台を指し示す。するとどうだ、魔族を捕えていた首枷が蒼く燃え、瞬く間に断頭台を蒼炎の柱に変えてしまったのである。その熱量は木製の断頭台は勿論のこと、これまで幾人もの罪人の首を刎ねてきた刃までもバターのように溶かしてしまっていた。




 またしても広場が震える

 今度は悲鳴を伴って




 突如として立ち上がった蒼炎の火柱と幾千の悲鳴には、誰であっても反応するだろう。現に、グリムの喉元に剣を突き付けていたハンナも、背後から照る蒼い光と悲鳴の連鎖には振り返らずにはいられない。


 それはきっと、民を守る騎士としては正常な反応であるだろうが、戦闘の最中に行ってはならないタブーでもあった。九分九厘、勝敗が決しても十分じゅうぶでなければ決着とは呼べない。そして決着が付いていなければ、圧されている側は僅かな好機にも食らい付くのだ。


 グリムは手枷で剣をカチ上げると右手でハンナの手首を取り

 同時に彼の左手は彼女の肘を抑えつけている

 さらに右足をハンナの二の腕と肩に絡ませてやれば、彼女の肩と肘の関節を取るに至る


 これがまさに目を離した一瞬の出来事で、ハンナが気付いたときにはもう完全にまってしまっている。そしてそんな彼女に追い打ちをかけるように、空いているグリムの左足が彼女の後頭部を蹴りつけた。

 体勢不十分ゆえに威力の程は大したことないが、関節を極められているハンナには二つの選択肢しかなかったといえる。


 一つは、蹴りを踏みとどまって肘を壊されるか

 もう一つは、それを嫌って俯せに倒れるか


 ハンナは後者を選んだ。

 だが、例えどちらを選んだとして結果に大差はない。

 俯せに倒れ込んだ彼女が感じたのは背に乗ったグリムの体重と、右肩で鳴った鈍い音。

 関節を極めたままレバーさながらに腕をひけば、鎧の頑丈さなど関係ないのだ。


 その激痛にハンナの手から剣が滑り落ち、グリムの手へと渡る。そうして敵に渡った剣が持ち主へと向くのは至極当然のことであろうが、彼の両手はピタリと止まることになる。


「静まるのじゃッ!」


 城下町中に響いたであろうはメアの声だった。

 人垣に遮られこちらの姿は見えないはずだが、馬鹿な真似をするんじゃないと、グリムは怒られた様な気がしていた。いや、そうでもなければ、きっと戦いの熱に酔ってハンナを殺めていたかも知れない。



 メアが発したのはただの一言だけだった。にもかかわらず、彼女の声には不思議な威厳を孕んでいて、グリムはおろか、逃げようとしていた民衆までもが足を止めて蒼い火柱の方を臨んでいる。



 見たこともないくらいに鮮やか蒼

 そしてそこに立つ一人の魔王女


 本来ならばそれは恐怖の対象だ。

 人間を蹂躙する恐ろしい魔族、その王女が枷を灼き力を解き放ったとなれば、あとに待つのは虐殺の光景のみであるはず。であれば、我先にと逃げ出すのが自然な人間の反応なのだが、皆、彼女の次の言葉を待ってしまっていた。見物に来ていた群衆はおろか、彼女を取り囲んでいる兵士達までもが、動けず喋れず、ただ緊張のままに次の言葉を待っている。


「其方たちに危害を加えるつもりはない、どうか妾の言葉に耳を傾けてもらいたいのじゃ」


 彼女は軽く手を振って背後の蒼炎を鎮めると、広場にある人々の顔を丁寧に見渡す。そこに映るのは恐怖と混乱ばかりであり、また当然ではあるが好意的な視線は一つとしてなかった。


「妾の名はミィトメア・ディアプレド。アヴァロン王の言葉通り、魔王ディアプレドの娘じゃ」


 ざわつく群衆

 その雑音が鎮まるのを待ってからメアは言葉を続けた


「あまりにも突然の出来事で、みな戸惑っているだろう。無理もない事じゃが、安心してもらいたい、妾が参った目的は争うためではないのじゃ。そこは誤解しないでほしい、みなを傷つけることはないと約束しよう」


 すると、誰かが叫んだ。


 ――魔族の言う事なんぞ信じられるか!

 

 それに呼応するように群衆がざわつきはじめたが、メアはその中の一人を――最初に怒鳴った若い男を――指さし不思議と通る声で問いかけた。


「お主の名は?」

「魔族に教える名前なんかねえよ、くたばっちまえ悪魔共がッ!」

「……誰を、亡くしたのじゃ」


 幾千の怒りを向けられているとは思えないほどメアの声は優しく、さながら彼女の振る舞いは修道女のそれに似ていた。

 だからだろうか。若者は唇を噛みしめながらも、彼女の問いに応じている。


「…………親父だ。騎士団にいた親父は、街を守るために魔族と戦って殺された! この街にいる皆がそうさ、魔族に大事なもんを奪われてんだよ!」

「そうじゃろうな、言葉を堪えていても伝わってくる。皆にしてみれば戦の相手、しかも妾は憎き大将の身内じゃもの、憎まれていて当然じゃ。――お主は断るかもしれぬが、お悔やみを言わせてもらいたい」

「ふざけるな! 親父はあんたの仲間に殺されたんだぞ、どこまで侮辱するつもりなんだ⁈」

「他意は無い、ただ弔わせてもらいたいだけじゃ。大切な者を失う痛みは妾にもよく解る、願わくば次が来ないことを祈るくらいにはのう」

「魔族が知った風な口を利くんじゃねえ! お前らに人間の何が分かるってんだよ⁈」

「……解るのじゃ」


 メアは僅かに微笑んだ

 伏した瞳は力強くも、だが悲しげに潤んでいる


「夕餉を喜び、理不尽には怒りを覚え、去る者を哀しみ、語らうを楽しむ。魔族に心は無いと人は言うが、それは違うと断言するのじゃ。我らにも心がある、傷つくことの出来る、痛みを感じる心がのう。同胞を殺され我らが怒らぬと思うのか? 同胞の死を我らが悲しまぬと思うのか? 否じゃ、友が死ねば悲しい、友の命を奪った者は憎く思う。当然じゃ、肉体が強くあろうとも、心が石で造られているわけではないのじゃから」


 人間にとってメアが敵であるように、メアにとっても人間は敵なのだ。

 人魔の平和を願っていても百年を超えた戦争の歴史、魔族、魔物は彼女にとっての同胞であり、そこに一切の恨みが無いといえば嘘になる。


 しかしやはり、語り続けるメアに怒りの色は浮かばずいて、人々は静まりかえって彼女の訴えを聞いていた。


「敢えて言わせてもらえば、妾も少なからず人間に対しての憎しみはある、お主達が魔族を憎んでいるのと同じようにじゃ。しかしそれと同時に……いや、より強く虚しいと感じる」

「……どういう、意味だよ」

「浮かばれぬじゃろう、あまりにも。血が流れたというには多すぎる血が流れた、人間、魔族双方において。その全てが海へと注げば、きっと水平線の彼方までもが見るに堪えない朱に染まるというのに、我らは最早、その目的さえ忘れている。これを無為と言わずしてなんとする」


 メアの言わんとしていることに見当が付かず困惑ばかりが拡がっていく中で、彼女は近くにいた兵士に問いかける。


「そこの兵士よ。教えてくれぬか、お主が魔族と戦う理由ワケを」

「国を、市民を護るためだ! その為ならば、この命惜しくもない」

「立派な覚悟じゃ、此所にいる兵士は皆同じじゃろうな。……しかし、妾が問うておるのは別の理由じゃよ」

「別の理由などあるものか。我ら守護騎士団はアヴァロン王国と陛下を護るためにある!」

「無論、理解しているが。それはあくまでもお主個人の理由じゃろ。妾が問うておるのは、人間が魔族と争うに至った理由、そして原因じゃ」


 剣を交えたからには相応の理由があって然るべきで、戦う者は当然頭に入っているべき事柄である。にもかかわらず、答えあぐねる兵士達は互いに横目で見合うばかりだった。


「誰ぞ、答えられる者はおらぬのか」

「……魔族が攻め込んできたと、そう聞いている」


 兵士の一人が、答えた。


「百年前のある日、突然魔族が攻め込んできたと」

「返答に感謝するのじゃ。妾が知っている歴史とは少し違うが、そう真実として人間に伝わっているのであれば、それがお主達の歴史なのじゃろう。しかし、歴史とは後世に語り継がれるもので、そこには口伝や書物など幾つもの形があるじゃろうが、所詮は誰かが記すものじゃから、例え誇張や虚偽が混ざっていても不思議ではあるまい。ましてや、同胞にとって不都合な事実があったとすれば尚更じゃ」

「な⁈ 人間の歴史が偽られているとでも言うつもりかッ⁈」

「偽られているのが人間の歴史か、魔族の歴史か、それは解らぬ。或いはどちらも偽りかもしれぬが、少なくともどちらも真実であることはあり得ぬじゃろう。とはいえ、一体何が真実なのか、確かめる術もないのじゃがな」


 人間の寿命は魔族よりも短く、当時を知るものは残っていない。かといって、長い命を持っている魔族も百年の戦いの中でその多くが戦死している。そしてなによりも、仮に当時を知るものから話を聞けたとしても、それが真実であると確かめる術が無いのだ。


 結局にところ生物にとって事実とは、そのもの自身が体験した事柄に限られる。運良く話を聞けたとしても、それは又聞きの噂程度の信用しか持ち得ないのである。


 ……これこそが、メアが『浮かばれない』と溢した理由だ。


「我らは互いに、目的を見失った戦争を続けているのじゃ。百年前に端を発した戦によって積み重なった死と憎しみ、その連鎖に引き摺られて失われるはずのない無辜むこの命までもが積まれている。いまこそ止めねばどちらかが滅びるまで、それこそ後の千年に至るまでも続ける事になるじゃろう。故に妾は止めに来た、この愚行を。そして戦うべき相手を伝えるために、新たに迫る脅威に立ち向かうために此所に来たのじゃ」


 メアは宣言するや、ふわりと処刑台から飛び降りてレリウス王の下へと歩み寄っていく。緩やかに歩を進める彼女を通すために群衆が独りでに割れていくさまは、まるで神話を切り抜いた光景のようであったが、神話の一節と異なるのは立ちはだかる人影が現れた点である。


「そこで止まっていただけますか、メア殿」


 穏やかな声音ながらも鞘を握った立ち姿は秘めた闘気を纏っており、騎士団長の名にふさわしい。またその忠告も虚仮威こけおどしでは無い様子で、寄らば斬ると振る舞いでもって主張していた。


「ウォーレン騎士団長。うむ、お主であればきっと妾も斬れるじゃろうな」

「貴女がなにを企んでいようとも、魔族をこれ以上、陛下の元へと近寄せるわけにはいかないのです。これは貴女が王族であろうとも変わりません、ご理解いただけますね」

「無論じゃ。妾の声がアヴァロン王の元へと届くのであれば、何処であろうと構いはせぬ。王との距離は、そのまま人魔の溝の深さであると理解もしているのじゃ」


 メアはそう答えると、壇上のレリウス三世に向けてたおやかに跪き、顔を伏せる。

 誰もが固唾を呑んで見守っていた。魔族が人間の王に跪くという異常事態に、そして彼女がなにを口にするのかという興味によって……


「ほう、不遜な魔族が我の前に跪くとは殊勝な心がけだ」

「貴方は一国の主であり、妾は魔族の娘にすぎぬ。であれば、敬意を示すが当然の作法じゃ。アヴァロン王国が君主、レリウス三世よ。まずは虚偽を以て謁見に臨んだことを謝罪し、そして改めて、妾の申し出に耳を傾けていただきたいのじゃ」

「……提案とは、昨日さくじつのたまった妄言を指してるのではあるまいな」


 レリウス三世は、壇上から冷たい視線でメアを見下ろしたままで続ける。

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