第8話DEEP WATER ~解けぬ重石~ Part.4

「ホリィの連れてきたおきゃくさんっていうのは、あんた達かい?」


 声をかけてきた小さなじいさんは、しわだらけの顔に柔和な笑みをたたえながらグリム達を手招いている。


 口論に夢中になっていた二人は、いつの間にか村の入り口を潜っていたらしく、危うく村のど真ん中でとんでもない秘密を孕んだ、暴露口論を始めるところであった。そんなことになれば一夜の休息さえ露と消えるので、グリム達は互いに不満を呑み込むことにする。


「あんたがホリィのじいさんか」

「ご老人、妾はメアという。そして……うぅむ、これ・・はグリムじゃ」


 味気ない挨拶を受けても、じいさんは笑顔のままゆっくりと頷く。皺一つまでも笑っているようで、もしかしたら笑顔が顔に張り付いたままになっているのかも知れないと、いささか失礼な印象をグリムは受けた。


「ホリィから話は聞いてるか。一晩、この村で厄介になりたいだが」

「ああ聞いてるよ、宿を探してるんだってねぇ? でも残念だけども、この村に宿屋はないんだよ、なにせほら、小さな村だからねぇ……」


 じいさんの言うとおり、このリングリン村は森の中にある小さな村だった。見たところ家は二〇軒程度で人もまばら、暮らしているのも老人ばかりで活気が薄く、言葉を選ばなければ絵の具が剥がれた絵画のようで、そう考えると、このじいさんはむしろ発色がいい部類かも知れない。すくなくとも、くたびれた顔はしていなかった。


「――けれど安心しなされ旅の方、宿屋はないが眠る場所なら用意できるからねぇ」

「あぁ……、じつはそのことで一つ問題があるんだが……」


 ホリィやじいさんの好意は素直にありがたく、しかも此方から頼んだ手前、それは非常に言い出しにくいことであった。後出しになって申し訳ないという罪悪感もあり、さしものグリムでも口ごもるが、隠すのは騙すのと同義、ホリィ達の好意に対してはあまりにも失礼だ。


「実は俺たち文無しなんだ、荷物を無くしてな。だから贅沢は言わねえ、納屋でも貸してくれりゃあ充分だ。――お前もそれでいいよな?」

「……うむ、異存は無い」


 承諾こそしたが、メアには不満がありそうだった。おおかた、「王族をわらに寝かせるとは何事か」とか、その手の不満だろうが、魔族の身分など人間には知ったことでは無いし、第一あれこれ贅沢を言えるような立場でもない。


 だからグリムが投げかけたのは確認と言うよりも、事実の伝達だった。是非もなく、納屋で一夜を明かすぞという事実を伝えただけ。


 ……だったはずだが、じいさんは柔らかく首を振ると、二人をとある家の前まで案内した。

 それは木造の、立派に家の形をした建物である。宿屋でもなく、納屋でもない、普通に誰かが暮らしていそうな建物だった。


「どうぞこちらをお使いください」

「いやぁ、だからじいさん。金がねえって言ったろ? こんな家、貸されたところで困る。それにこの家、誰か住んでるんじゃねえのか」

「気になさらず、お使いください。家主からの言いつけですから」

「失礼ながらご老人、事情がまったく見えぬのじゃが……」


 上手すぎる話がひっかかったのか、メアも口を挟んできた。

 文無しかつ初対面の旅人に、一軒家を無料で貸す。聞こえはいいし、願ったり叶ったりであるが、どんな馬鹿でも裏を疑いたくなるくらいの怪しさがあるので、メアが尋ねたのはむしろ自然であった。彼女が問わなければグリムが同じ質問をしていただろう。


 しかしじいさんは、やはり柔らかな声で続ける。


「なにも特別なことはありませんよ。ここの家主は、兵士となるため王都アルクトゥルスへと旅立ちました。村に戻るまで家の管理を頼まれてるんですが、それと一緒にもう一つ頼まれ事をしていまして……」

「お人好しだな、あんた。家の管理だけでも充分だってのに、他にもあるのか?」


 じいさんは頷いた。

 やはり優しく、柔らかな笑顔で。


「ええ、村を訪れた人が宿に困っているなら、家を使わせてやってくれと。同じ空き家なら、誰かの役に立ててやってほしいとのことで」

「立派じゃな、その者は……」

「騎士でもねえのによくやるよ」

「……それに不思議なもので、家というのは住む人がいなくなると、あっという間に痛んでしまうのです。短い間でも人が入ると家は生き返りますので、どうか彼が帰る場所を残すためにも使ってやってくださいな」


 その言葉は誠実と思いやりに満ちていて、いっそ不審を挟んだことを恥じたくなるくらいに真っ直ぐだった。グリムのみならず、メアも似たような感想を抱いたようで、彼女は胸に手を当てると敬意を込めて頭を下げる。


「ご老人と家主の厚意、ありがたく受け取ろう。――グリムよ、妾はここを仮宿とするに如(し)くはないが、お主はどうじゃ?」

「……なぜ一々俺に訊く」

「これは我らの旅路であって妾のではない、それだけのことじゃ」


 じいさんに負けず劣らず、メアもまた真っ直ぐに答え、そしてその声音はどこかこれまでとは違って聞こえる。明確にどう変わったかを言葉にするのは難しかったが、グリムはしばらく彼女を見下ろしてから口を開いた。


「……屋根と壁があって鍵付きの扉もあるのに、どうやって文句をつければいいんだ? ――じいさん、お言葉に甘えさせてもらうぜ」

「どうぞごゆっくり。あぁ鍵は開いておりますから、そのままお入りください。わたしはゆうの支度をして参りますので、また後ほど、ホリィを呼びに行かせますよ」

「なんと⁈ 宿の手配だけでなく、食事まで用意すると申すのかッ⁈ 感謝のあまり妾も頭が下がるぞ、その老体に流れるは慈愛ばかりじゃな」

「……なぁじいさん、どうしてそこまでしくれるんだ?」


 不審からではなく単純な疑問として、グリムは自然と尋ねていた。じいさんが善人であることは、ああなるほど疑う余地もないがそれにしても歓迎が過ぎるのだ。見ず知らずの、しかも一文無しの旅人に寝床と夕餉をタダで提供するなんて、人がいいだけでは説明が付かない。


 グリムがそう問えば、老人は、相も変わらぬ優しい顔のままでこう答えた。


「あなたは旅の剣士で、王都を目指してるとホリィから聞きました。でしたら、喜んでお世話をさせていただきますとも、グリムさん」

「ふむ、ご老人。その心を教えてもらえるかのう?」

「決まっているじゃないですかメアさん。お二人は王都へと向かい、魔物と戦ってくださるのでしょう? レリウス三世様は、このアヴァロン王国に残った魔族の残党を駆逐するために兵を集めていると聞いています。グリムさんはお強そうですし、これまでもさぞ魔物を狩ってこられたのでは?」


 じいさんの返答には邪気がなく、心から平和を願っているのが分かった。

 だからこそグリムは黙って頷いたし、メアは心を隠して黙した。


 それから、夕餉に呼ばれるまでの時間を仮宿で過ごした二人であったが、その室内に会話は生まれず、メアはずっと口を結んだままだった。積もり積もった魔族への恨み、その重石を脚に結ばれた彼女は、一人苦しみながら黙すしかなったのである。

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