第7話DEEP WATER ~解けぬ重石~ Part.3

「わたしね、ホリィっていうの!」


 グリムの前に現れた少女は、元気よく名乗ると人懐っこい笑みをみせた。まだ幼い、年は十かそこらのようで、真っ赤なリボンが示すとおり彼女はまさに元気印の女の子といった具合。その笑みは向けられた者が思わず笑い返したくなるような、輝きに満ちている。


 そして子供が居るということは、近くに人が暮らしている証拠でもあるので、グリムにとっても有り難いことなのだが、降って湧いた幸運の兆しとは裏腹に、少女を見つめる彼の表情はとんでもなく緊張していた。


「おっきな剣ね? おにいちゃん、たびびとさんなの?」

「え? あぁ、まぁそんなところだ」


 グリムの返事は気もそぞろ。

 理由は敢えて語るまでもないだろうが、魔王女メアの存在である。


 人間と魔族、どちらの勢力下であっても互いの安全をかばい合おうと約束した手前、一応メアを庇ってやるつもりではいたが、それにしても突然すぎる遭遇だったのだ。なんの下準備も前振りもなしに魔族が現れでもしたら、混乱が起きるのは確実なのである。そうなることを避けるために、村なりなんなりを見つけたら、メアを拘束した状態で遠くから連れて行こうというのがグリムの計画であったが、ホリィの登場でおじゃんである。


 幸いなことに、ホリィはまだ魔族が近くに居ることには気が付いていない様子だった。とはいえ、グリムが陰になっているために、彼の後ろに立っているメアの姿が目に入っていないだけなので、バレるのも時間の問題である。


 そして案の定、その時はすぐにやってきた。


 ホリィが身体ごと覗き込むようにして、グリムの背後へと挨拶したのである。

 元気のよい少女の声に反して、背後を振り返ろうとしているグリムの表情のこわばり具合と言ったらなかった。乾燥しきったニカワでもここまで硬くはならないだろう、端的にいって最悪の事態だったから、パニックを声に出さなかっただけでも充分だと言える。


 ただし、彼の冷や汗はまだまだ止まらない。なにしろメアが挨拶を返したのだ、しかも上機嫌にときているから性質タチが悪い。


「うむ、ご機嫌ようなのじゃ」

「……うわぁ!」


 ホリィが上げる驚きの声

 グリムの脳裏をよぎる、終わったという想い


 だが諦観に天を仰いだ彼とは対照的に、ホリィが次に挙げた声は好意に満ちていた。例えるならそう、憧れの人を見つけたようだった。


「おねえちゃん、きれいね! おなまえは?」

「妾の名は……、えぇっと、メアという。気兼ねなく呼ぶとよいのじゃ」

「うん! よろしくね、メアおねえちゃん!」


 何故すんなり話が進んでいるのか?


 祈るように天を仰いでいたグリムには皆目見当も付かなかったが、恐る恐る視線を下へ――というかメアの方へ向けてみるとその理由が分かった。


 そこに立っていたのは少女だった、人間の少女だ。先程まで間違いなくメアが立っていた場所に、したり顔の少女が立っていた。

 髪型と顔つきはそのままだが、服はいかにもな町娘風に変わり、なによりも大きな変化はその肌と角である。額の中央、一本角が生えていた場所からは束ねられた前髪がぺろんと垂れ、黒い模様で飾っていた青肌は、人間のそれと遜色のないものになっている。


 つまり、メアの容姿は人間の娘となっていた。


「どうしたのじゃ? まるで信じられぬ光景でも目の当たりにしたようじゃぞ?」

「お前、その顔……」

「なんじゃ、妾の顔になにかついておるのか?」


 むしろ何もついていないから動揺しているのだが、メアはそんなグリムの困惑を楽しんでいるようで、落ち着き払った微笑みがじつに腹立たしい。ホリィが傍にいなければ、グリムはきっと突っかかっていっただろう。


「ねぇねぇ、おにいちゃんのおなまえは?」

「此奴はグリムじゃ」

「なんでお前が紹介するんだ」

「お主が名乗らぬからじゃ、女性にばかり名乗らせておくとは失礼な奴じゃな」

「口挟まれなきゃ自己紹介してたってんだよ」


 とりあえず、不本意な形ではあったが互いに名乗りは終わった。なのでグリムは必要な情報を仕入れるべく話を広げる、知りたいのは勿論ここがどこなのか・・・・・・・・だ。ただし、相手が子供であっても真っ直ぐ尋ねれれば怪しまれかねない。こういう時は、焦らずに外堀から埋めていくのが吉である。


「ところでよ、ホリィは森の中で何してたんだ? しかも、お前一人きりだろ」

「きのみを採りにきてたの! ほら、こんなにたくさん採れたんだよ」


 ホリィが見せてくれた籠には、色とりどりのきのみがいくつも入っている。彼女が誇らしげに笑うのも納得の数で、メアでさえ関心するほどであった。


「これだけの数を一人で集めたのか? ホリィはきのみ探しが上手うまいのじゃな」

「そうでしょそうでしょ? おじいちゃんにも褒められるんだぁ~!」

「つっても森の中で女の子一人ってのは感心しねえぞ、危ねえだろ」

「だいじょーぶだよ、グリムおにいちゃん。村のちかくだし、もう魔物もいないもん」

「ほぅ、村が近いのか。これはようやくの朗報じゃな」

「うん! リングリン村っていうんだよ!」

「ほう、これまた可愛らしい名前の村じゃ」


 呑気なメアは、どうにも目先の幸運に目が行っているらしかった。

 確かに村が近いのは喜ばしい。その点についてはグリムも賛成するところだが、彼は釈然としない顔になっている。


「なんじゃその顔は。なにか不満でもあるのか?」

「……いいや」


 教えてやってもいいが間が悪い。別にメアの気分を害する分には構わないが、ホリィの耳に入れるにはちょいとばかし気が重くなる内容なので、とりあえずグリムは話を先に進めることにした。


「なぁホリィ、よかったら村までの案内を頼めるか。長旅で疲れちまって、一晩ゆっくり出来るところを探してたんだ。王都までどのくらいあるのか知らねえけど、一休みしたいんだよ」

「うんいいよ! おじいちゃんも喜ぶと思うし。こっちこっち、ついてきて~!」


 疑うことない二つ返事でホリィはぱたぱたと駆けだした。手を振って二人を招く姿はとても愛らしく、魔王女であるメアをして表情を和らげる。


「……子供というのは、他種族であろうと可愛いものじゃな」

「そいつはどうだかな」

「先程から歯切れの悪い物言いばかりじゃぞ、言いたいことがあるならばハッキリと申せ」

「直に分かるさ。それより――」

「二人とも~! はやくはやく~!」


 楽しげに先導するホリィに呼ばれ、二人はとりあえず足を動かすことにする。彼女は遊んでもらいたくて仕方が無い子犬みたいに先へ行っては戻るを繰り返していたから、秘密の話を続ける時間はいくらでもあった。

 村のことを聞かされながらでも、メアとの会話は続けられる。当然のことながら、グリム達は声を潜めていた。


「――人間に化けられるのか、お前」

「変化魔法は魔族の嗜み、この程度の変化は出来て当然じゃ。魔族と対するときは外見に囚われてはならぬぞ、その大半は偽りを纏っておるのじゃからな」


 姿を変えられる魔族がいることはグリムも知ってはいた。魔王を討つ旅の過程で、その手の魔族と戦った経験もあり、連中はたしかに化けの皮の下に凶暴な本性を隠していた。しかし、メアほど完璧な変化でなかったのも確かだ。


 実際に間近で見てもメアの変化には一切の綻びがなく、彼女が魔族だと知らずに出会っていれば、人間であることを疑いはしないだろう。

 だが、なによりもグリムが驚いていたのは、その変化速度と静音性だった。背後とはいえ、手を伸ばせば届く距離にいたにもかかわらず、化けたことに全く気が付くなかったのである。


 正直に言って、驚きよりも出し抜かれたという感想の方が強い。


「油断も隙もねえな」

「そう悔やむなグリムよ、変化魔法は妾の得意とするところじゃからな、瞬きする間に姿を変えるくらい容易じゃよ。どうじゃ、見事なものじゃろう? 魔王女たる妾の高貴さと美貌を保った姿は。お主が見てもそう易々とは見破れぬではないか?」

「……どう見ても人間だ、ぞっとするね」

「フフフ、最大の賛辞じゃな」

「ねー! 二人ともきいてるの~~⁈」


 あまりにも返事がなかったためか、ホリィがむくれ顔で駆け戻ってくる。色々説明しているのに相槌の一つもなければ、そりゃあ不満だろう。


「もう! わたしのお話、ちゃんときいてたの?」

「村が近いんだろ?」

「この坂を越えれば村が見えるのじゃろ、妾も楽しみにしておるぞ」

「……お前も、しっかり聞いてたか」

「当然じゃ。親切な案内人の言葉じゃぞ、ぞんざいに扱えるものか」


 と、憎まれ口をたたき合っていた二人は足を止めることになる。彼等を見上げているホリィが、不思議そうに首を傾げて道を塞いでいた。


「どうしたのじゃ、ホリィ。我らに問いたいことでもあるのか」

「…………二人は恋人なの?」

「「ちがう」」


 とは答えつつも見事に声が重なったため、二人は顔を見合わせた。無論、その視線に込められているのは恥じらいではなく、被せるんじゃねえよという不服である。だが心情はどうあれ息が合ってしまったのが問題で、ホリィには綺麗に誤解されることとなる。


 ただし、その誤解はメアが解決してくれた。……いや正しくは、こんがらがった結び目を更に複雑にすることで、問題点を有耶無耶にしたのである。つまりは何も解決していないが、それでも恋人呼ばわりされるよりは大分マシであった……かもしれない。


「我らは……、えっとぉ、そう! 兄妹じゃ! のう兄上・・?」

「おい、てめぇ……」

「グリムおにいちゃんが、おにいちゃんなの?」

「うむ、その通りじゃ。理解がはやいのうホリィは!」


 勢い任せで、しかも突飛な嘘を口走ったためかメアは露骨に嘘くさく、とにかく雰囲気で押し切ろうとしているの明白だった。あまりにも薄っぺらい嘘のため、僅かでも間を置けば幼いホリィでも怪しいと感じるはずだ。なのでメアは、一度坂を転がり出した石のように勢いを活かして畳みかける。

 怪しまれそうな点は先に潰す。つまり、嘘の上塗りだ。


「兄上はどうにも天邪鬼でな、何度頼んでも妾の名を呼んではくれぬのじゃ」

「そうなの? グリムおにいちゃん」


 投げかけられる純粋な疑問。

 メアの企みに気が付くのが遅れたグリムは唇を固く結んでいた。まさか出会ったばかりの少女まで使って、自分の名を呼ばせようとしてくるなんて想定外である。

 ただし、グリムだってそこそこに口は回るので、一時的に混乱こそしたもののやられっぱなしでは収まらなかった。


 目には目を、歯には歯を

 そして恥には恥をだ


「俺も何度も言ってるんだけどな。兄妹なんだから兄上なんて堅苦しい呼び方はやめて、お兄ちゃんって呼べってよ」

「な、きさまぁ……ッ!」


 葉擦れよりもささやかな声で歯がみするメア。

 この手のくだらないやりとりは後出しが勝つのが基本。グリムにとっては、仲間との旅路でイヤと言うほど交わしてきた不毛なおふざけの延長だから、彼が優位なのは当たり前と言えば当たり前で、意趣返しは見事に成功していた。


 しかしである。グリムもそうだが、メアも中々の負けず嫌いだったらしく、二人は互いに譲れぬとくだらない、不毛な、至極どうでもいい口論を展開し始める。とはいえ、ホリィが近くにいるため言葉を制限された言い争いとなったので、むしろ、その気を遣っているような雰囲気がホリィに勘違いをさせた。


 喧嘩するほど仲がいいという言葉があるが、端から見ればまさにそう見えたのだろう。ホリィはむしろ『邪魔しちゃいけないのかな?』という変な気の回し方をして、一足先に村へと駆けていくのだった。


「わたし、おじいちゃんにお客さんがくるっておしえてくるから、おにいちゃんたちはゆっくりきてね~!」


 言うが早く駆けだしているホリィは、グリムが止める間もなく坂の向こうへと消えていき、そうしてメアと二人きりになれば、今度は枷を外した口論が過熱することになる。

 二回戦のゴングを鳴らしたのはメアだ。


「こンの痴れ者めッ! 魔王女たる妾に、お、お……えぇい! あのような恥ずかしい呼び名を強要するなど何を考えておるのじゃ! 恥を知れ、恥をッ!」

「そもそも仕掛けてきたのは手前ェだろうが! 誰が兄上だバカ野郎、人を勝手に魔族の血筋に並べてくれやがって、斬られなかっただけありがたいと思えッ!」

「お主がいつまでも妾の名を呼ばぬからじゃろうが!」

「仲良くする気はねえっつってんだろ!」

「……貴様というやつは、妾がこれほどまでに譲歩しておるというのに、まだ下らぬ意地を張り続けるか。貴様がどう感じようが我らは一蓮托生なのじゃ、多少は譲らぬか!」

「一度譲った、二度はない。それに譲歩してるって割には、随分見下ろすのがお好きなようじゃねえか。えぇ? 王女サマよ?」


 グリムは最初ハナから気付いていた、メアが纏っている気位に。

 これは人間社会でもあることだが、こと身分の高い奴ってのは、その位が身体や生き方に染みついている。雰囲気や立ち振る舞い、言葉遣いなのがそれにあたる。


 連中は頂きにある椅子に座り、気まぐれに下界を眺めては慈悲を与えるために腰を折るが、目線を多少下げたしても決して椅子からは降りようとしない。手をさしのべるのはあくまでも、世にある二つの人種、貴族とそれ以外、その境目を明らかにするために他ならないからだ。

 彼等の行いはある種の自己満足であり、綺麗な服を泥で汚す気概なんて持ち合わせてはいないのだ。


 事実、メアもその部類に含まれる。


 対等、平等、協力関係と謳ってはいるが、実のところはそう考えてはいないだろう。或いは無意識かも知れないが、とにかく彼女の振る舞いは、明らかにグリムと同じ目線には立っておらず、その癖、同じ地面に立っているとのたまう様が、彼の癪に障っていた。


「いっそ傲慢に振る舞われた方がまだ気分いいぜ、薄っぺらい情をひけらかされるよりよっぽどな。慈善活動の真似事してえなら別の機会にしろ」

「貴様……」


 メアは反論するつもりだったはずだ。

 彼女は下民からの無礼に対して怒り心頭だったし、種族の違いを抜きにしても身分差を考えれば、その怒りは至極真っ当な感情だ。仮に人間の国で同じ狼藉を働けば、よくて監獄送り、悪くて首が飛ぶ。だからこそグリムが吐いた暴言は、間違いなくメアの逆鱗に触れる類いのものであり、それ故に彼は、冗談抜きで斬り合いも覚悟して言葉を口にしたのだった。


 ……なのにである


 メアはじっとグリムを睨みあげながらも、沈黙するばかりだった。固く結ばれた唇に何度か隙間が空くもそこから言葉は聞こえてこず、ただただ悔しげな吐息だけが鳴っている。

 そうして流れる沈黙は、爽やかな森の空気に不釣り合いな緊張感を発し始めていた。横槍が入らなければ、いっそ怒鳴りあいになっていたかも知れない。

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