第4話NEVER EVER ~折れた大剣、残された焔~ Part.3

わらわか……」

「ああ、そうだ」


 人間相手に戦争を続けてきた敵の首魁、魔王が宝と称して託したのが、まさかの一人娘だったなんて、預けられた側からすれば困惑するのに十分な理由だ。

 薪が音を立てて弾ける。


 青年はそれ以上何も言わなかった。話すべきは話したし、なにより不必要な会話を楽しむような気分でもなかったから、魔王女が黙って考えにふけっているのは好都合だったのである。

 とはいえ、一度口を利いてしまっているので、尋ねられたら答えるほかないのもまた事実。仮に口を噤んだとしても、彼女は執拗に同じ質問をしてくるだろうから、いっそ答えてしまったほうが楽だった。


「しかし勇者よ、妾にはさっぱり記憶が無い。一体どうやって、この森にやってきたのじゃ?」

「勇者と呼ぶな、俺はそんな立派なもんじゃない」

「名を知らぬのだから致し方ないじゃろ、それとも名乗ってくれるのか」

「魔族に名乗る名はねえよ、勇者と呼ばなきゃそれでいい」


 勇者とは誰もが求める称号だから、魔王女は忌避する青年を不思議に思っただろう。だが、そこを詮索しても埒があかないので、彼女はあっさりと別案に切り替えた。


「――では、名無しよ。改めて聞かせてくれ、森に至るまでに何が起きたのか」

「覚えてなくて当然だ。俺が部屋に入ったとき、お前は気絶してたからな」


 青年が塔の頂上へたどり着く少し前に、魔王女がいた部屋に綠光弾が直撃していたのである。幸いなことに塔が崩れることはなかったが、室内は爆発の衝撃でボロボロ。吹っ飛ばされた魔王女も床でノビていた。


「では妾がこうしていられるのは主の助けがあってこそか」

「一応は、そういうことになるな」

「……しかし、戦のただ中からどのようにして脱したのじゃ?」

「それは、お前の親父に聞いてくれよ、城の主だろ」

「出来ぬからお主に訊いておるんじゃろうが」


 むしろその方法は青年も訊きたいくらいなのだ。少女を介抱していたら、突然魔力の渦に巻かれて、別の場所へと飛ばされたのだ。ただし、事の起こりは不意でも何が起きたのかの予想は出来たのは幸いだったと言えるだろう。

 飛ばされている最中の感覚には、青年も馴染みがあったのである。だからこそ、あくまで予測であるが、戦場から脱した説明は付く。


「……多分だが、俺たちはレイラインを使って飛ばされたんだ」

「お主が言うレイラインとは、この世界オーリアを巡る魔力の流れのことじゃな? 確かに妾も、レイラインを利用した移動方法があると聞いた覚えはあるが、しかし――」


 魔王女が不思議に感じるのも無理はない。

 レイラインを利用した長距離移動方法は、彼女の言ったとおり古くから存在しているものなのだが、その利用には一つの条件があった。


 それは移動できる場所があらかじめ固定されていること。


 そもそもレイラインとは、A地点とB地点を結んだ魔力の流れであり、これを利用した移動法とはつまり、循環している魔力の川をボートで下るのと同じ事なのである。そして当然、ボートに乗るには船着き場が必要な訳なのだが……


「――黒の大陸にはレイライン・ゲートがない」

「その通りじゃ、立ち入れぬよう、妾の祖父が封じたと伝えられている」

「知ってるよ。おかげで俺たちは、遙々大海を渡ったんだからな」


 ただし、そうなると矛楯が残る。レイライン・ゲートは封じられているのに、果たしてどうやってレイラインに乗ることが出来たのか。立ち入り禁止の船着き場に侵入することが、脱するための前提であるが、その答えは案外簡単に青年が出した。

 彼が投げ渡したのは、魔王が自らの魔力で生み出した黄金の鍵である。


「ゲートを封じたのがお前のじいさんなら、直系にあたる魔王が封を解けても不思議はねえ。まぁ中途半端に解呪してくれたおかげで、どことも分からねえ場所に落っことされたがな」

「……この鍵を、父上が」


 魔王女は、手にした鍵を見つめたままで暫く何かを考えている様子だった。こんな時、魔族の女が何を考えるのかなんて想像も出来ないが、深く思考していたことは確かなようで、青年が何度か呼びかけたところで、ようやく彼女は顔を上げたのだった。


「お、――――おい女! 聞いてんのか?」

「ム? すまぬ、聞き逃した。もう一度言ってもらえるか、名無しよ」

「俺の話は終いだ。お前も、知りたいことは訊き終わったろ」


 青年はすこぶる面倒くさそうに言った。ただし、その口調は気怠くも圧力に満ちていて、まるで、さっさと殺してどっかに失せろと言わんばかりである。だがその願いを、魔王女は実にあっさりと聞き流すのだった。


 それどころか、彼女は問うた。

 疲れ果て、無気力となっている青年に――


「これからお主は、どうするのじゃ?」

「これから? これからなんてあるワケねえだろ、もう終わったのさ、全部」


 魔王を討つ――


 それだけを目標として旅をしてきた数年、それは辛く苦しい時間であったが、同時にかけがえのない時でもあり、青年にとってはこの数年こそが人生と呼べる物だった。

 仲間達とともに魔王を滅ぼし、平和の旗を掲げての凱旋。そしたら酒場を丸々貸し切って、夜通し騒ごうと交わした約束。


 しかし、その夢も約束も、仲間さえも、大事なものは青年の前から消え去っている。全てを失った彼の手が届くものといえば、連れ添った大剣と、なんの因果か知らないが、逃がすことになった怨敵魔王の一人娘ときている。

 もしも彼が自虐ではなく、自暴自棄になっていれば彼女の首を刎ねていたかもしれないが、とうの魔王女はといえば、青年の心労などお構いなしに強い眼差しを向けていた。


「一体、なにが終わったというのじゃ、名無しよ」

「やるべきこと、すべきこと、使命とか呼んでた物だ。俺にはもう、戦う理由がねえ」


 青年は嫌悪していた、自分を含めたあらゆる物を。そこまで憎んでいながらも、壊そうとしないのは、壊すだけの価値を感じないからだ。感情のままに暴れ壊しても虚しいばかり、彼の心には、同時に虚無感も居座っていた。


 その不甲斐なさは、魔王女に溜息をつかせるほどに情けない。お主はなにも分かっていないと、彼女は力強く口にした。


「よいか? なにも終わってなどおらぬのじゃ! 物事の最後とは、次なる始まりに過ぎぬ、意志が継がれる限り終わりなどは決して訪れぬのじゃ! 現に我らは生き存えたじゃろう、父上と勇者より、意志を託されて! それさえ解せぬほどに貴様は腑抜けか⁈」

「……判っていたとしても、俺にその資格はねえよ」


 元々持っていなかったのではなく失ってしまった、そう表現するのが正しいだろう。何をするべきなのか、本当は青年にも判っているのだ。しかし一度手にした物を失うというのは、最初から持っていないよりも、遙かに辛い。


 その喪失感はある種の裏切りに似た毒を持っていて、青年をじわじわと蝕んでいた。


 きっと軽蔑されるだろうと自己嫌悪、だが行動に起こせずさらに沈む。そういう負のループに嵌まってしまうと抜け出すのは難しい。しかも確かめる方法がないというのが、この手の悩みで深みにはまる原因なのであるが、この場においては、魔王女の言葉に一つの正解が含まれていた。

 とはいえ語気は荒い、彼女は明らかにお冠だった。


「このれ者めッ、不甲斐ないにもほどがあるぞ! 必要なのは資格ではなく、覚悟じゃ! 使命を背負い、成すべきを成すという不退転の覚悟なのじゃ! 不都合に目を瞑り、軽々に逃げを打ちおってからに、勇者の名が泣くぞ!」

「何度も言わせるな、俺は勇者じゃねえってんだよ……!」

「ふん! そうじゃろうな、貴様のような腑抜けが勇者であろうはずがないわ」


 知らず、青年は魔王女を睨め上げていた。

 彼の琴線に触れた何かがしなびた心に活を入れ、腹の底で燻っていた感情を刺激したのは間違いない。だが、吹き上がった気持ちを吐き出すことはなく、彼はただ黙って魔王女の凜とした佇まいを捉えるだけである。


「妾は行くぞ、成すべきを成すために」

「成すべきこと? その様でなにができるんだ、倒れてただけのお前に」

「貴様の言うとおり、今の妾では彼奴等には勝てぬかも知れぬ。じゃが他の者に知らせることくらいは出来るじゃろ、父上はそのために妾を、勇者はそのために貴様を逃がしたのじゃ。……動けぬのなら、貴様はいつまでもそうしているがいい。ただ時が過ぎるのを待ち、無力な人間の一人として朽ちる果てるのを待てばよい。じゃが妾は諦めぬぞ、決してな!」


 魔王女はそう宣言すると、踵を返して背を向ける。だが、暗闇へと踏み出す前に一度振り返り、誠意は伝えて行ったのだった。


「名無しよ、命を救ってくれたことには感謝する。……では、さらばじゃ」

「………………」


 魔王女の姿が、その尻尾の先までも、暗い夜の森へと消えていった。だが見送り終えた青年の眼には僅かにであるが光が灯っていた。

 それは戦場に立つ漢の眼光、敵を見据える表情だった。


 成すべき事は何なのか、彼もとっくに理解しているがまだ動くわけにはいかなかった、まだ心のどっかが死んだままだからだ。こんな中途半端な状態で成せるほど、託された想いは軽くはない、ならばいっそ運に任せて、もう一度生死の境を彷徨ってみるのも悪くはない。


 青年はそう決めると、おもむろにたき火を消して無防備に寝転がった。

 夜の森で火を失えば、夜行性の動物たちには格好の餌となる。これだけ深い森ならば野性の狼に、毒蛇だって居るだろう。もしも襲われれば確実に死ぬ。しかし、身を守るのに必要となるはずの大剣も、無造作に放り投げて草の上である。


 一見すると無意味な行いに思えるが、行動に意味を見いだすかは当人にこそ判ること。青年にとって、これは必要不可欠な行為だった。

 中途半端に生き存えちまったのが、そもそもいけなかったのだ。だからこそもう一度、生きるか死ぬかを天に任せて、サイの出た目に従おう。


 次の朝日を拝めるも良し


 このまま無明に消えるも良し


 青年は死ぬために考えるのを止め


 そして生まれるために眠りへと落ちた

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