紅い瞳のお姫様



 暗闇の中に、彼女は立っていた。



 暗闇で悲しそうに僕を見つめている。どうしてそんな顔をするのか僕には分からない。



 彼女はとても美しかった。



 印象的なのは薔薇のように紅い瞳。星すら見えない暗闇の中を、北を指し示す北極星のように輝いていた。


 輪郭は暗闇の中ではっきりしない。しかしそれでも、僕の心を射止めて離さない。


 僕は彼女を初めて見たとき、そのあまりの美しさに恋に落ちてしまった。今もなお、夢に見ては恋焦がれている。


 僕にとって、彼女は初恋の人であり憧れの人だった。



 けど彼女は何も言わない。



 何かを伝えようとその瞳で訴えかけてくる。僕はその瞳に「あ、あ」と何か伝えようとするのだけれど、いつもその言葉を発することができなかった。



 ならばと、僕は瞳に手を伸ばす。



 しかし、その光に手が届くことはなかった。光源は天上に輝く星。近くで光っているように見えながら、広大な宇宙のように距離が離れていた。



──いつか、あの瞳に手を届かせる。



 僕がそう決意すると夢は遠ざかり、現実へと回帰していた。





 白馬の王子様は、それ単体では成立しえない。守るべきお姫様がいて初めて存在することができる。


 だから僕にとって、彼女に会うことは白馬の王子様になる上で必須事項だった。





「こんな坂があるなんて……」



 秋になったのにも関わらず、いまだ夏としか思えない熱気に晒されながら、僕は学校へと続く坂道を登っていた。



 桜丘大学附属美修院びしゅういん高校



 小、中、高の一貫校であり、さらに大学まである行けば学歴に困ることはない名門校だ。


 通っている生徒も中流以上の出自の者が大半である。頭のデキはともかく、田舎の貧乏学校で過ごしてきた僕には縁のない学校だった。



──桜丘にある美修院高校に編入しなさい。



 僕は、ローレンスの最後の遺言を思い出す。



 あれから一年後に、ローレンスは息を引き取った。



 原因は末期がん。進人をバッサバッサと斬り倒せる傑物であっても、病には勝てなかったのだ。


 葬式は僕を喪主につつがなく執り行われ、僕は遺言に従って行動を開始した。


 そしたらあらかじめ用意されていたのか、事はスムーズに運んでいった。財産はまあいいとしても、武具の送付はダンボールが向こうから送られてくるし、編入なんて電話した次の日にはテストが届いてたのは作為的としか思えない。


 僕はこのあまりの手際の良さに、ある確信を持っていた。


 そこにお姫様がいるのだ。彼にはそれが分かっていたから、万が一にも不具合がないように根回ししていたのだ。ホント、最後の最後までローレンスには感謝しかない。おかげで僕は、お姫様を探す手間を省くことができる。



 ありがとうローレンス。僕はあなたがしてくれたことを決して忘れません。



 そうして僕は一歩を踏み出す。


 白馬の王子様としての人生を始めるために。





 坂を登り始めて数分、僕の周りには同じ制服を着た学生が、同じ学校を目指し歩いていた。


 その中の、特に女子生徒は僕の存在が気になるようで、チラチラとこちらを見ては何やら話をしている。



 かっこいいとか言ってんだろうなぁ……



 僕は見た目の関係からそういう目を向けられることは珍しくない。以前の学校では『爽やかイケメン』と評判だったし、さらに『美青年』、『日本の俳優さんみたい』という評価もあった。童顔だからか顔つきが日本人に似ているらしいのだ。これでも純血のイギリス人なんだけどな。



 そして髪は、天然の金髪碧眼。



 そう、少なくとも見た目だけなら、僕は最初から白馬の王子様に相応しいものを持っていた。


 だからこれは、僕にとって日常にすぎないのである。けど既に意中の人がいる立場からすれば、鬱陶しいことこの上ない。


 いや、まったくメリットがないわけでもないか。今に限って言えば、どんな人が見てるか確認作業できるしな。



 戦果がないことを除けば、だが。



 ここまでほぼすべての女子から見られた気はするが、まだ夢の中のお姫様と出会えた気はしなかった。かわいいと思う人はいても、この人だと確信できた人はひとりもいない。



 まあ、僕と彼女は運命なんだから、すぐに出会えるでしょ。



 僕は楽観的に考える。ローレンスがお墨付きをして手回しまでしてるのだ。ここまでやってドッキリということは彼の性格からしても考えにくい。



 待っててねお姫様。すぐ会いに行くからね。



 僕は期待に胸を膨らませながら、軽快に坂道を登っていった。





「すごいな、名門校って感じだ」


 美修院の校舎はレンガ基調のシンメトリーな建物で、日本の学校というよりは貴族の屋敷といった趣だった。近年改築してこうなったらしいが、明治時代の建築物ですと言われても信じてしまうだろう。


 次第にそのシルエットが大きくなるにつれ、事前にパンフレットで確認していても荘厳さに圧倒される。


「勉強しといてよかったな」


 僕はポツリとこぼす。少なくとも、田舎の高校で馬鹿やってた自分には不相応の場所に思えた。


 事前の通達で職員室に来るように言われているため、校内に入ると真っ直ぐに職員室へ向かう。


 校舎の中は、白を基調とすることで落ち着いた雰囲気に仕立て上げられている。僕は職員室に向かいながら、ネットで見た大きな図書館を思い出していた。


 職員室に着いて中へ入ると、若い女教師が手を上げて近づいてきた。その反応から、この人が自分のクラスの担任らしいと悟る。


「あなたがアーサー君ね。私はあなたの担任になる茜真希です。これから1年半、よろしくね」


 年齢は20代半ばといった様子だが、落ち着きある所作と余裕を持った声色が大人びた雰囲気を演出していた。僕には年上趣味がないので対象外だが、きっと多くの男子生徒が虜にされていることだろう。


「こちらこそ、よろしくお願いします」


 丁寧に返答して、説明もそぞろに理事長に向かった。と言っても、隣の部屋だったのですぐ到着したのだが。


 理事長室は応接室も兼ねており、見るからに上等なソファーが並んでいた。そして、見た目通りに座り心地抜群のソファーに腰掛けた僕は、この学校のボスである理事長と対面で座っていた。


 理事長は対面にゆったりと腰を降ろしている。歳の頃は若く、まだ40代半ばといった印象。黒髪オールバックの髪型や、高そうなスーツを見事に着こなすその姿は、新進気鋭のサラリーマンを思わせた。


 それでいて表情は、人畜無害だと意思表示するように柔らかな笑みを浮かべており、底知れなさを感じる。


「美修院高校へよく来てくれたね。君のことは方々から聞いているよ」


 低いのによく通る声が聴いていて心地いい。


「さて、時間がないからさっそく本題に入らせてもらおう。パンフレットには目を通してくれたかな? 話は読んでいることを前提に進めても構わないかい?」


「構いません」


「けっこう。それでは……」


 理事長は学校のルールや設備について補足をしてくれた。





 理事長の丁寧な説明を聞き終えた僕は、これから卒業まで通うことになる教室へ向かうことになった。担任である真希担任と一緒にエレベーターに乗り込み、3階にある2ー13と書かれた部屋の前までやってきた。


 そして、真希担任が扉を開けると中へ入るように促される。


 教室に入ると、登校時に感じた視線が再び降り注いだ。しかし、ざわついた教室は真希担任の「ホームルームを始めます」という言葉によりすぐに静寂に包まれる。


「既にご存知の方もいると思いますが、今日から彼が私たちのクラスメイトになります。色々と訳あってこの時期の転校になりましたが、ここの学校に相応しい人物であることは理事長よりお墨付きを貰っています」


 この学校での異様な高評価に驚く。まさか理事長にお墨付きまで貰えているとは。



「それでは、自己紹介をお願いします」



 そう言って真希担任は自己紹介を促した。


 こういう場面は少し緊張する。特に自己紹介は今後の印象に左右される。適当に済ますことは許されない。


 僕は、事前にシュミレーションした言葉を思い出しながら口を開いた。



「アーサー・P・ウィリアムズと言います。名前の通り日本人ではありません。両親がイギリス人で小さい頃に日本に来ました。中途半端な時期で僅かな期間になりますが、よろしくお願いします」


 僕は頭を下げて自己紹介を終わらせる。教室は寸分の間を置いた後、徐々に拍手が鳴り始め、その拍手は教室中に広がっていった。


 どうやら自己紹介は成功したようだ。僕は軽く安堵しながら教室を見渡した。これから卒業までを共にするクラスメイトの顔を見るためだ。


 クラスメイトの総評としては、美男美女揃いといった所だろうか。一般的に、誰と付き合っても自慢して回れるレベルと言える。



 だが残念ながら、その中にお姫様は見当たらなかった。



 僕は軽くため息をつく。


 僕もお姫様の顔をしっかり分かっている訳ではないが、何度も夢で見てる以上、見たらすぐに分かる自信がある。


 そのセンサーに引っかからない以上は、いないと見たほうがいいだろう。



 どうやら他のクラスを探す必要がありそうだ。できれば同じクラスがよかったが、まあ仕方ない。



 僕はクラスメイトの祝福の拍手を受けながらも、既に興味はこのクラスから離れていた。

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