第十五話 煌(きら)

 そういえば彼女は、自分への報酬は必要ないと言っていた。

 半信半疑だったけれど、まさか本気だったなんて。


「いや、でもそれってあなたに支払ったわけじゃ……」

「いーのいーの、わたしはお金に困ってないし、お金のためにこの仕事やってるわけじゃないし」


 だからといって私たちのような怪奇現象に困ってる人間のためにやっているわけではないことは、既に何となくわかっている。

 無償の善意ほど信用ならないという言葉もあるけれど、このJK霊能者はこれまでこの団地に訪れた霊能者のように、善意や親切心をこれ見よがしに振りかざしているというわけでもない。

 私たちなんて良くも悪くもアウトオブ眼中っていう感じ。

 たぶん、何か個人的な目的があるんだろうな。金銭以外の。

 仮にそうだとしても、こちらとしてはしっかりと優しさを感じてしまうのだから現金なものだと思う。

 でもこの結果は、私としてはやっぱりどこか受け入れ難かった。

 だってそんなの、心底窮地に追い込まれている人たちを騙した人間がだけが得をして、本来報酬が渡るべきはずの人間にそれが渡っていない。あれだけ罵られて追い返された人間が、何も得ていない。

 ……気に入らない。


「あのクソBBA……じゃなくて詐欺師を警察に通報するとか」

「むだむだ。霊能力なんていう非科学的なものを武器にしてやってる詐欺、どうやっても法的に立証できないから」

「完全犯罪過ぎる……」


 と、そんなタイミングで低いエンジン音を唸らせたバスが目の前に滑り込んでくる。

 打つ手を失い、項垂れていた私は顔を上げ、ここまでかと息をく。

 こちらの話に付き合ってくれるのも、元々はバスが来るまでという約束だった。

 しかし当の天ノ宮さんは一向にベンチから立ち上がる気配を見せず、それどころか運転席に向かって軽く手を振ってバスを行かせてしまった。

 この場の人数は数十秒前と何ら増減することなく、再びバス停に静寂が戻る。

 ……優し過ぎでしょ、この子。

 自分が乗るはずだったバスを見送った天ノ宮さんは、何かを悟ったように言った。


「あなたたちは助かった。それに見合うだけの代価も支払った。支払った先はわたしじゃないけど、それでいいじゃん」


 なんかもう、人間としての器が違う気がした。

 団地の住人たちからもたらされた非難も罵詈雑言も一切歯牙に掛けることなく、自分が他者にもたらした救いへの代価にも微塵も拘泥こうでいしない。

 一体どういう環境で過ごしたらこんなふうになるんだろう。

 不思議と憧憬しょうけいや尊敬といった念が生まれてくることはなく、代わりに生まれてきたのは、一抹の寂しさだった。


「あの詐欺師は、これからもこうやって、ここでやったようなことを繰り返していくの……?」

「どっかで痛い目に遭わない限りはそうするだろうね」


 納得いかない。

 それは私たちみたいな人間が、これからも生まれ続けるということだ。

 わけのわからない現象に心底窮地に追い込まれて、それが解決することもなく挙げ句に大金を巻き上げられて……。

 今回私たちには天ノ宮さんがいたおかげでこれ以上は非科学的な現象に悩まされることはなくなったけど、今後似たような状況に追い込まれる人たちには彼女のような人間がいてくれるとは限らないのだ。

 そんな私の胸中を知ってか知らずか、JK霊能者はくすりと笑う。

 まるで意味深に。


「でもまぁ、大丈夫だよ。たぶんもう、今日が最後になる」


 言っている意味がわからず、私は首を傾げる。

 

「証拠は何もないからどうにもならないっていう話だったんじゃ……?」

「痛い目に遭わない限りは、とも言ったよね。それがたぶん今日になる。……つい今しがたユッキーが行っちゃったからね」


 それを聞かされて、今さらのように気付く。

 あの黒髪の子の姿がいつの間にか忽然と消えていた。

 いや、あの子がどっか行ったからって何の関係があるのかさっぱりわからないんだけど。

 そんな疑問顔の私に、天ノ宮さんは得意気に人差し指を立てて言った。


「その昔、ハンムラビ法典にはこう書かれました。目には目を、歯には歯を、完全犯罪には完全犯罪を」

「…………」


 いや、最後のは絶対書かれてないでしょ……。


「ユッキーはあぁ見えて曲がったことが大嫌いだからね」


 この上なく迂遠うえんな言い回しだけど、ここまで材料を提示されれば嫌でも分かる。

 あの黒髪の子が、私にはよくわからないけど何か霊的な方法を用いてあの詐欺師を痛い目に遭わせようとしているのだと。

 複雑な気持ちだけど、それはそれで胸がすくような思いがあるのも確かだった。

 ただ……と天ノ宮さんは声を改めた。


「良識がない子でもあるから、最悪の可能性もあるけどね」


 曲がったことが嫌いで良識がないってどういうことだろう。

 それに――。


「最悪の可能性って……」

「最悪の可能性はまぁ、最悪の可能性だよ」


 明言を避けるように向けられたその言葉から察せられるのは、およそ人が犯しうる限りでは最も重い罪。……いや、まさかね。

 そんな結末、あまりに現実味がない。

 そんな可能性を考慮している天ノ宮さん自身からも、まるで危機感を抱いているように見えなかったというのもある。

 けれどこのとき、我ながら間の抜けたことに、すっかり失念していたのだ。自分が今まさに置かれている状況こそが現実離れしているということを。


「ま、さすがに報酬としても三十万は高いからね。こんな感じでアフターサービスも込みにすればいいくらいでしょ」


 まぁ、私としては相場がわからないから何とも言えないけれど。

 そして相変わらず彼女自身に何一つ利益がないけれど。

 ……あぁ、もう、こんなつもりじゃなかったのになぁ。

 またこの子の手を借りてしまった。


「んじゃ、そろそろ行くね」


 そう言うと、天ノ宮さんは凝り固まった体をほぐすように「んん~っ」と伸びをしながら立ち上がった。

 座っていたベンチに置かれたカップラーメンのスープもきれいすっきりからになっている。若いっていいなぁ。

 それをコンビニ外に設えられたゴミ箱に捨てるべくそちらに歩いていく天ノ宮さんだけど、バスはたった今行ってしまったばかりだ。

 このタイミングでどうやって帰るのか、次のバスはいつなのかと彼女の居ぬ間に時刻表を確認すると、次はなかった。

 さっきのが終バスだった。

 ……やってしまった!

 私が引き留めたりなんかしなかったら!

 そんな失態顔を全面に張り付けて戻ってきた天ノ宮さんを見ると、私のその顔だけですべて察した彼女は苦笑を浮かべて言った。


「大丈夫だよ。タクシー呼んだから」


 ブルジョワ女子高生!

 本当にお金に困ってないんだな!

 しかし、これは気持ちの問題でもあった。


「せめて! せめてタクシー代は私に出させて!」

「あ、そう。じゃあお言葉に甘えようかな」


 彼女が言うには樋口さん一枚で足りるだろうというので、私は諭吉さんを一枚渡しておいた。謙虚というか無欲なこの子のことだ。たぶん樋口さん一枚じゃ足らないだろうと邪推したが故だった。


「もしまた何かあったら連絡してよ。本当に怪奇現象に困ってたらわたしがやってるサイトに繋がるはずだから」


 あぁ、なんだ、そういうことか。

 ギャルのブログみたいなあのオカルトサイト、どうやって依頼内容の真贋を見極めてるのかとずっと疑問だった。

 どういう仕組みなのかはわからないけれど、そもそも私たちみたいに本当に困ってる人間じゃないと、検索してもヒットしないようになっているのだ。

 やがてタクシーがバス停に滑り込んでくる。

 開いた後部ドアの前でこちらを振り返った天ノ宮さんは人好きのする笑顔をこちらに向けた。


「じゃ、旦那さんと仲良くね。サイドボードの引き出しに入ってる離婚届が無駄になることを祈ってるよ」


 ……まったく、そんなものの存在をいつ知ったのか。

 彼女が私の部屋に上がったとき、まるで初めて訪れる友達の家のように不躾な視線を振り撒いてはいたけれど、彼女が直接その手で触れたのはコンロのスイッチだけだ。

 少なくともあの引き出しの底のほうに納められているその用紙を漁って見つけられるほどの時間、私は彼女から視線を切ってはいない。

 霊能者、恐るべし。


「うん、本当に……あ、ありがとう」


 コミュ障ゆえにあまり言い慣れていないお礼を頑張って口にして、私は頭を下げた。辛辣な物言いをしてしまったこの団地の住人たちの分も、誠意を込めて。


「いえいえ、こちらこそお騒がせしました」


 その声に視線を上げると、彼女も深々と頭を下げていた。

 ……もう、何なのこの女子高生。

 思わず苦笑がこぼれる。

 本当に最後までこちらの心を騒がせてばかりの女子高生は、じゃあね、と最後に私と笑みを交わして去っていった。


「……さて」

 

 と、きびすを返した私は気持ちを入れ換える。

 ここからもうひと踏ん張り、私にはまだやらなければならないことがある。

 前提条件はクリアした。

 これから私は独りに戻ってかつての暗黒時代のように寂しく生きていくことになるのか、それとも二人で慎ましくも温かく生きていくことができるのか、ここはその分水嶺。

 すべては私の行動に掛かっている。

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