第45話

 引き戸を開けると女がこちらを一瞥する。濁った瞳が黒く、穴が空いているようだった。


「随分お盛んなようじゃない」


 暖簾を潜った直後、女が嫌味を吐いた。僕はそれを無視してカウンターへと進みビールを頼むと、無造作に取り出した瓶とグラスが目の前に置かれた。



「あんた、評判いいわよ。黙ってさっさと終わるから楽なんだとさ」


「いいわね男は。黙ってりゃ気持ち良くなるんだから」


「どこにそんな金があるか知らないけど、ろくな使い道じゃないね」



 不快感を露わにして女は一人話し続けた。いずれも僕を批判罵倒する類のもので、腹は立ったが事実のために反論もできず、なすがままに任せる。レコーダーのように流れる不快な声は段々と勢いを増し、終いには「死んじまったらどうだい」と締めくくられようやく沈黙が訪れた。グラスに入れたビールに泡はなく、温くなっていた。



「木内さんを知らないですか」



 気まずい無音の中、思ってもみない言葉を吐いた。どうして僕がそんな事を聞いたのか、理論では説明できない。静かけさに堪えられなかったのかもしれないし、単純に疑問を晴らしたかったのかもしれない。ただ、どちらにしろその質問が女を生き返らせたのは確なようだった。煙草を吸ったり消したりして落ち着きのない様子だったのに、急にこちらを向いて醜く皺を作ったのである。




「飛んだよ。借金こさえて、ここにいられなくなったのさ」



 女は愉快そうに吐いて捨て、僕は「そう」とだけ頷きビールを煽った。立て続けに二杯、三杯と飲み下すと瓶が空となった。金を払い、店を出る。



「あんた、もう来てくれなくていいよ。女を買うような男、見たくないからね」



 背中越しに聞こえる女の声は僕を軽蔑する響きがあった。答えもせず、引き戸を閉める。


 夜。風が強い。

 僕はまた一人になった。どうしようかと悩み夜を彷徨ったが、行き着いた先は置屋だった。

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