第31話

 互いに手に持ったグラスへビールを注ぎ乾杯を交わす。一口含むと、それだけで疲れなどなかったかのように身体が軽くなり、勢いのまま一杯目を飲み干した。二杯目、三杯目も、手酌でグラスを満たしては空けていくと、悲嘆も憤怒も忘れて、考える必要のない時間が訪れる。心ここに在らずの中、まともに考える事もできないのに生きているという実感と喜びが僕を肯定しはじめ、誰からも必要とされていない、僕自身でさえ無用な人間と断じる僕を、僕は認める事ができるようになっていた。それがどれだけ救いになったか、どれだけ助けになったか他人は知らない。知らないが故に僕を非難し拒絶するのだ。君達さえもっと、僕を見てくれていれば、僕を仲間にしてくれていれば、僕は真っ当に生きてみせたというのに。





 余韻もなにもなく貪るように呑み込んでいくと、木内がグラスに手を置いて笑った。


「酔っちゃ駄目だぜ。何たって、今日はこれからなんだ。宵の口で焦っちゃいけない」



 何を言いたいのか解せなかった僕は大いに不満となり、「なんだい」と咎め、手を退けるよう促すも、木内は薄茶色の歯を見せるばかりで答えなかった。



「そう怒る事ないさ。夜はまだ長い。いいかい。ぼちぼちとだ。ぼちぼちといこうじゃないか」



 木内はどうしても折れないようで、仕方なく、渋々と従い、グラスと瓶から手を離した。それを見た木内は「結構」と声を上げる愉快そうにしていたが、僕は面白くも何ともなく、手持ち無沙汰に無言で出された突き出しに手をつけた。


 酒が飲めないのであれば僕は何のためにここへ来たのか。ただ木内と話すためにわざわざ時間を割いたのか。


 段々と木内が憎くなると、たまにある会話もおざなりとなって幾つかの声を無視する形となってしまったが、奴は気にする事もなく遠慮なしに喋り続け、僕はさらに憎悪を増していった。

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