第28話

 その日はずっと女について頭から離れず、午後からの工場作業も帰り道も、部屋に着いてからもずっと女の事を考えていた。それというのも、木内が「女なんてのは金を出して買えばいい」などと言ったからである。


 生涯(という表現は不適切かもしれないが)異性に縁がなく、手さえ触れた事のない僕にとって女を買うというのは大罪に思えた。淫奔なる女に自分の身体を預けて快楽に溺れるという想像を絶する非道徳な行いは良心の呵責を生むばかりか自尊心さえ害す禁忌であった。愛した女を抱いていないのに商売女に手を出すなどいい笑い者である。例え口外しなくとも自身の記憶と感情を欺く事などできるわけもなく、僕は一所懸命に忘れようと努めたが、どれだけ他の事を思い浮かべても脳裏には裸の女が刻み込まれていて、振り払う事ができなかった。また、悲しい事にその女の身体は不具となっていて、未だ知らぬ乳房や秘部、いや、身体全てが拙い想像の域を出ず、子供の落書きのような姿が誘惑してくるのである。


 しかし、不覚にも僕は、そのできそこないの裸に生唾を下す。


 渇きを感じた。

 満ち足りえない欲望に、衝動が走った。


 空想の中で不明瞭な姿の女を求めて自身を抱き、指に触れた肩と首筋を掻きむしるも、冷たい血と、破れた肌が爪を汚すばかりで、底に穴が空いた桶に水を汲むような思いがした。

 


 このままでは気が狂ってしまう。

 そう感じた僕は作業着のまま酒を買いに向かった。金がなく食うのもやっとだったが飲まずにはいられなかった。

 外に出ると、あの中年女の顔が浮かんだ。あの女ならば、上手くすれば抱けるかもしれないと考える。

 その異様さに気が付き、僕は酒屋に行く足を早めた。風は冷たく、街は暗く、人はおらず、一人きりで、目に見える世界は絵空事のように、どこか現実から乖離していた

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