第26話

 飲みたいとは思わなかったが僕はビールを頼みしばらく女の話に付き合った。歳はいくつだとか、何をしているのだとか、そんな他愛のない、しょうもない話題をぽつぽつと初めては終わり、初めては終わり。細切れで煮え切らない会話が断続的に続く。



「あんた駄目ね」



 女は何かにつけてそんな風に僕を否定し、とうとう店の酒に手をつけ始めた。それを咎める気はなどあるわけもないが、酔ってちゃんと勘定ができるのか不安ではあった。ビール一杯で幾らも取られては堪ったものではない。万が一の際は有耶無耶にならぬよう、前後の意識だけはしっかりとさせておこうと気を張り詰める。



 そんな僕を他所に女は景気よく酒を飲み上機嫌となると、ますます口を悪くしていったのだった。




「こんな時代だけどね。仕事はちゃんとしといた方がいいんだから。いつまでも若いと思ったら大間違いだよ」



 どういうわけか女は僕に説教をしたがり、口を開けば至極真っ当な論調で捲し立てた。

 好き勝手を言ってくれるなと思った。


 僕だって好きで派遣工などしているわけではなく、ちゃんとした人間として輝かしくいたい。けれど、社会が、時代が、周りが、こぞって僕を爪弾きにし、お前は地を這っていろと命令するのだ。でなければ、自分達がババを引くものだから、僕や木内に全部押しつけて、まるで違う世界にいるように振る舞い、汚い者。つまり、僕や木内を見て見ないふりをする。そのくせ僕が少しの幸福を手にするのも邪魔をして阻むのだ。普通に生きるなどできるはずもない。だいいち、この女だって本来はに住む人間である。僕にどうこういう資格はないではないか。



「あんた駄目ね」



 もう何度聞いたか分からない台詞に、僕は「そうですね」と笑った。その笑顔は愛想もあったが、何より、自身を棚に上げて僕を見下す女への哀れみでもあった。そういう風にしなければ、僕は、僕の心は、きっと平常を保てなかった。

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