第31話 嵐は突然に

 すっかり忘れていたけど、十一月から月に一度、水族館でミニコンサートがあるのだった。久保田さんが発案で、具体的なことはほとんど鯨井さんに丸投げで実現することになったと聞いている。

 第一回目のコンサートは、鯨井さんと彼氏がバイオリンを演奏する。場所はクラゲの展示スペースだ。ここを会場に選んだということは、クラゲ動画に提供してくれた曲もきっと演奏するだろう。

 うす暗い中に、クラゲがぼうっと浮かび上がるような照明がされている。いまはコンサートの準備の最中だ。

 沙莉は久保田さんから招待状をもらった。招待状があれば、その日は水族館に入場できる。年間パスを買ってもっているから本当は必要ないのだけれど、咲名ちゃんに用意するというから、沙莉もといって招待状をもらったのだ。

 久保田さんはクラゲの展示スペースにイスをもってきて設置している。コンサートを観るのに招待状は必要ない。水族館に入場していれば誰でも自由にコンサートを観られる。どのくらいの人がきてくれるかわからないから、イスを何脚用意するか迷っていた。結局通り道を残して並べられるだけ並べることにしたらしい。客席正面はミズクラゲの水槽。その前に譜面台が置かれた。マイクとスピーカーもセットされている。演奏のためではなく、話をするためのマイクとスピーカーだ。イルカショーで話し慣れている美作さんが司会をしてくれることになっているらしい。イスが並べおわった。

 美作さんも準備を手伝って働いている。久保田さんに結婚を申し込んだ美作さん。どんな気持ちだろう。沙莉は水族館の職員ではないから手伝わせてもらえない。

 咲名ちゃんはまだあらわれない。ガッコウで作業しているのかもしれない。本当は沙莉も追い詰められている。でも、久保田さんの方が大切だ。凛ちゃんは、サクラお断りといって、はじめからくる気がなかった。

 お客さんはイスにすわりはじめている。沙莉は手持無沙汰に久保田さんの動作をずっと見つめていた。久保田さんは前触れもなく、時間が止まったように固まってしまった。

「ソウ。久しぶり」

 なんだかケバいお姉さんが久保田さんに声をかけたらしい。服装といい、持ち物といい、化粧といい、髪型といい、金持ちっぽい。水族館の雰囲気にそぐわない。沙莉には金輪際理解できないセンスだ。久しぶりということは、クルーザーを貸してくれた人ではない。

 久保田さんは黙っている。顔を見ればわかる。話すのを嫌がっている。美作さんが気づいている。沙莉も移動をはじめる。なんでこう次から次といろんなことが起こるのだろう。久保田さんといると飽きる暇がない。みんながこんな風に忙しいのだろうか。

「あいかわらずみたいね」

「かわる必要はないだろ」

「久保田、時間になるぞ」

 美作さんナイス。久保田さんがケータイを出して時間を確認する。イルカのストラップが揺れた。

「高崎に帰省するついでに寄っただけ。そんなに怖い顔しないでよ」

「ここは入場料払えば誰でもこられるんだ。別にくるなとはいってない」

「久保田さん、この人誰ですか?」

 腕をくんで、謎の女に対する。見える人には龍と虎が吠え合うのが見えるはずだ。

「誰でもありません。学部時代の同級生です」

「そうでしたか。久保田さんがお世話になりました。わたしは芸大の二年生相内沙莉です」

 わかっている。どうせ昔の彼女だ。いまの彼女と若さをアピールしてやった。でも、同級生だとは思わなかった。見た目、久保田さんより上のようだし、久保田さんはお姉さん好きだ。

「おわっと」

 久保田さんが前のめりにタタラを踏んだ。美作さんが後ろから突き飛ばしたのだ。沙莉の腕も離れてしまった。

「早くしろ」

「そうだった」

「同期の美作です。仕事中なんで失礼します」

 久保田さんは飼育員室に鯨井さんたちを呼びに行き、美作さんは自分の持ち場にもどった。沙莉はイスにすわる。

 休日とあって、親子連れがわいわいやっている。バイオリン関係者もいるようだ。教室で習っている子たち、その保護者、それに指導者なのだろう。コンサートはなかなか盛況のようだ。昔の彼女らしき女はコンサートを観ないでどこかへ行ってしまった。昔の男がどうなっているか見にきただけか。汚らわしい。嫌な女だ。

 ドレスに身を包み、手にバイオリンをもった鯨井さんと彼氏が、手をつないでやってくる。コンサートがはじまる。

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シタイ?キス:それとも; 九乃カナ @kyuno-kana

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