第6話 誘う相手

猫王子のポスターやグッズを、実家に取りにきていた。


母が出したきゅうりの浅漬けを噛み締め、テレビを見ている父の隣でお酒を注いだ。


「あんた、彼と結婚するの? 」


母が唐突にそれを口にした。


浅漬けの味が一気に湿った土を食べているように変わり果てた。


「わかんない」


子供の応対で切りぬけようと決めて、小皿を洗いに行く口実でキッチンへ立つと、母はそれでもテーブルに頬杖をしながら頬を膨らまし、


「一度家に呼びなさいよ、もうあんたも28でしょう、こういうのはタイミングが大事なんだから」


と始めた。父を見やれば、ビールを手酌で次々に飲み干し、枝豆を肴に進めていた。


テレビはバラエティからニュースに変わり、延々と悲しくも恐ろしい事件を仏頂面のキャスターが神妙そうに読み上げる。


「わかんないってば。ちょっと部屋、行ってくる」


二階に上がると、様変わりした自分の部屋がある。


「物置きにしてるのよごめんねえ果歩」


下の階から大声を張り上げた母に相槌をつきながら、押入れのカビ臭い襖を開けた。


猫王子のポスターはそこに丸めたまま有り、グッズも健在だった。缶バッヂや画集、自分が真似して描いたものまで出てくる。




思い出せてよかった。


深く想う。


胸に抱いたポスターをリュックサックに詰め込みながら、頬が緩む。


こんなに嬉しい気持ちになったのは久しぶりかもしれない。


しかし、チケットは二枚あるということを思い出し、誘える友人を思い浮かべてみると、早々居なかった。


主婦になった子や、子供がいる人、仕事で忙しい友人なんて誘おうにも無茶がある。


ふと、そこで思い浮かんだのがふみ子さんだったのは、不思議ではあるが、真っ当な気がした。




純喫茶同好会のお店には、油絵がいくつか飾られており、いつだったかふみ子さんが照れ笑いで、自身が描いたと言っていた。


趣味だけれど、と付け加えてコーヒーを淹れながら俯いた彼女の横顔は素敵だった。


そばに居たマリが、尊敬するよと軽い声を出したけれど、私は本当にふみ子さんの絵が好きだと思ったし、横に座っていた香山も私と同じくその絵に見惚れていた。


桜の吹雪く小川の絵だった。




思いついたが吉日、私は早速、猫王子のチケットをしっかと手に持ち、純喫茶同好会のドアベルを鳴らした。


「果歩ちゃん。今日はご機嫌だね」


目尻に光を帯びた笑顔のふみ子さんに、私はチケットを見せびらかす。


「あ、猫王子だ」


食いついたのはふみ子さんではなかった。


カウンター席に突っ伏した跡の残るおでこをした、香山だった。


驚いた。香山は嬉しそうな顔でチケットを見つめている。


「俺、ファンなんだ。いいよな、猫王子。へえ、個展開くんだ。いいな。いいな」


あまりに羨ましそうに繰り返すので、私は笑ってしまうついでに、香山を誘うことになってしまったのだった。

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