おわり ふたり

 尖塔中央を突き抜ける、長大な螺旋階段。世界でたった二人の語り手は並んで登る。


「私はこの世界を知っている」


 彼女は、この世界丸ごと抱き締めるような勢いで両腕を伸ばす。

 宵闇色のワンピース。その袖から伸びた陶器の腕。曲がる肘は球体の関節になっていた。ガラス玉の両眼がカタリと動く。

 人形。

 隣立つと、少年と同じ背丈くらいの、人形だった。


「でも、私は貴方のことを知らない」


 煤色の外套を、ばさり。少年の顔が露わになる。

 痩せこけた輪郭は人形とは艶を失い、虚ろな両目は光をくすましていた。人形とは正反対の顔立ち。人形はくすくすと笑う。


「素敵なお顔。きっと、貴方にしか見えていない世界がある」


 ぶわっと、人形の背中から漆黒の両翼が伸びた。勢いで舞った銀髪が、少年の視線を奪う。星の光を目一杯浴びて、まるで魔法のように煌めく景色を。


「貴方のお名前は?」


 少年は小さく首を振った。


「僕は、この世界には、いない」


 そして、鱗のようにびっしりとひしめいている小窓の1つを覗き込む。遥か眼科では、無数のスクラップが転がっていた。


「アレと同じ。捨てられたの。ゴミに名前は付けないでしょう?」

「ふぅん」


 目を凝らすと、一言にスクラップといっても色々な物が見えた。それらのどれもかれもにルーツがある。物語があった。それを理解しながらも、やはり誰の目から見てもスクラップの一括りだろう。


「なぁるほど。私と同じわけか」

「同じ?」

「私にも、名前が、なぁいの」


 甘ったるい声を響かせ、妖艶な微笑みを浮かべる。少年と人形。出逢いは劇的で、運命だった。二人は示し合わせたように声を上げる。


かすか。そこにあってそこにない、そんな揺らぎの狭間」

ぎん。だって、その銀髪が一等目に入ったんだもん」


 お互いに気に入ったのか、浮かぶのは笑顔だった。

 少年と人形――――かすかぎんが螺旋階段を登る。


「貴方のこと、1つ知ることができたわ」

「銀は世界を知っているんでしょう?」

「ええ、そうよ」


 銀は漆黒の両翼で空気を叩く。無数の小窓にヒビが入り、外が見えなくなってしまった。


「これで世界はなくなった」

「どうして?」

「外には誰もいないから」


 幽は立ち止まった。考える。想像する。そうでなくては、捨て子がアウトローで生きてはいけない。


「誰も居ない。誰も見ない。誰にも聞こえない」


 だったらきっと。


「そこに無いのと同じ。僕みたいだね?」


 幽は自虐的な笑みを浮かべる。銀はほっそりした陶器の指で彼の頭を撫でる。くすぐったそうに首を捩らす幽。


「でも⋯⋯本当にないの? 今すぐ降りて、外に出れば、そこに世界はあるんじゃない?」

「あるかもねぇ」

「うん?」

「私には分からない。分からないものは、無い。存在しない。でしょう?」


 いいように言いくるめられてしまった気がしたのか、幽は小首を傾げた。頭を撫でる手が2本に増えた。幽が陶器の指に触れる。


「冷たいね」

「人形だから。熱を持てないの」

「持たない、じゃなくて?」

「持てないの。


 幽は納得した。

 人は空を飛べないけれど、鳥は空を飛ぶことができる。そこに理由はない。そういうものなのだ。

 指の1本1本を丹念に剥がし、幽は銀の銀髪に触れる。少しの言葉で、ぐっと理解が深まった気がした。


「僕はこの世界の一員じゃないんだ」


 誰にも認識されない。

 そこにいるのかいないのか。

 ヒビ割れた小窓の外が、幽だった。


「そう。だから私が見に来た」


 認識した。存在が確定する。だが、こうして考えると、1つ突拍子のない考えが脳裏に浮かんだ。


「世界って本当に滅んだの?」

「滅んだわ」

「滅んだんだ⋯⋯」


 そこまではっきりと即答されると、本当にそんな気がしてくる。


「でも、本当に? 世界ってあやふやなんでしょ?」

「確かなことが1つある」


 幽と銀は、並んで階段を登る。


「世界は、私が滅した」

「どうやって?」


 銀が眉をひそめる。


「私は、そういうものだから。


 そう言われたら納得するしかない。


「私はなの。だから残骸を食べる。世界を知っているのは、自分の食糧だから」

「随分大喰らいなんだね」


 小突かれた。


「女の子にそんなこと言っちゃだぁめ」

「怪物なのに?」

「怪物でも、女の子よ」

「機能の問題?」

「いいえ、感性の問題」


 感性は、機能と違って各々のものだ。故に真の意味では共有出来ない。要するに、なのだ。幽は納得した。


「はい」


 だから、恭しく手を差し出す。銀の表情が崩れた。陶器の顔面でありながら、表情は非常に滑らか。まるで、本当の人間みたいに。


「女の子、なんでしょう?」

「⋯⋯ありがとう」


 ふんわりと微笑む銀。少年の手の上に、自分の手をゆったりと重ねる。そのままエスコートされるように、螺旋階段を登った。


ソレ、使ったらすぐじゃない?」


 天蓋に辿り着いた時、幽はふと呟いた。銀には翼がある。飛べるはずだった。鳥のように。


「風情の問題」


 銀は唇を尖らせて言った。

 天蓋がゆっくりと開いていく。世界で最も天上に近い場所。煌めく星々に近い場所。そして、堕落の地から一番離れた場所。


「星が――――⋯⋯」


 燃えて。

 燃えて。

 墜ちて。

 尽きていく。


「私は銀髪人形の銀。終わった世界の掃除役」


 銀は背中の黒翼を勢いよく広げた。どこまでも、無限に、広がっていく。この世界、宇宙丸ごと覆い尽くす黒の翼。

 そんな。

 世界の真の終わりを目の当たりにして。


「綺麗だね」


 幽は一言そう呟いた。

 認識がどうとか、そんなあやふやな表現ではなく。世界は物質としても喰い尽くされた。幽少年は、世界の終わりを見届けた。

 曰く、艶やかな銀髪だったそうな。

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