第23話 己の中にある軸

 夜の帳がおり、人が眠りにつく時間になってから見上げる空は暗いのに、おどろおどろしい気配はなく、ただ静かな風が吹き抜けていくだけ。

 神域の軒先を拝借して稽古することには慣れたけれど、どうしても祝詞を暗記することができず、稽古に同伴してくれる公介や泰介の祝詞をききながら、ほんの少し遅れて口にする。これの繰り返しだ。

 稽古はもっぱら公介との二人三脚だが、時折、泰介や美蘭も稽古をつけてくれるようになった。

 相手の力量を図り、近接戦へもちこみ力押しでいくか、術を駆使して中距離戦へ持ち込むのかは勘だと師匠となってくれる宗像のメンバーは皆、同じことを口にした。


「安易に自分の得意へ持ち込もうとすれば相手に手の内をさらすことになるよ。 だけれど、得意の最上級で一発を決める覚悟ができるのなら、のっけにそれを出すのも悪くない」


 泰介の身のこなしは公介とは別物だ。

 泰介の動きにはどこか理解しがたい間合いがあるというか、身体にバネがはいっているかのようにしなやかだ。先を読もうとしても、つかみどころのない軌道で足が動く。手はそれに連動しておらず、集中をわずかにでも切らせると予想できない方向から槍の切っ先がふりおろされてくる。切っ先を避けることに専念すると、あっさりと足をすくわれ、身体のバランスを奪われ、天地が逆転する。


「新、思い出せ!」


 木の枝に腰掛けてみている公介の声に俺はぐっと唇をかんだ。

 泰介から距離をとり、公介の方へ視線をもちあげると、公介が目、肩、足の先を指先で示した。

 相手の視線、微妙な肩の動き、つま先の向きに意識をということだろう。

 公介はにやりと笑んでから、天を指さしてから、地へも指をさした。

 泰介を相手に複合技などできるわけがないのに、師匠はやれと言っている。

 

「大技をひねり出せる余裕があるの?」


 泰介の長い足がわき腹へと伸びてくる。

 身をよじりながら、片手をついてバク転でかわす。


「随分とお利巧さんになったじゃない?」


 泰介にはまだまだ余裕がある。半分ほども彼の本気を引きずり出せはしない。

 だから、5メートルの安全距離を確保した。

 公介との稽古で身に着けたのは術を稼働させる時に己の命を死守できる最低限の相手からの距離を稼ぐことが何より大切だ。

 10メートルでは相手に悟られる。2メートルでは術を組む前に叩かれる恐れがある。だから、相手に悟られても逃げ切れる最低限の距離を定めた。

 

「俺には5メートルなんだ」


 右手を天へ、左手を地へ伸ばし、天地の波動をそれぞれの手で受け止める。しっかりと波動を感じ切ったのなら、今度はそれを結び合わせるように胸の前へ持ってくる。両掌を合わせてから、すばやい動作で指を合わせる。

 

「壱の舞、眩耀」


 不規則に閃光が走り、周囲を白光で満たす。

 閃光は対象と定めた相手の目を狙い撃ちする。

 その間に地を蹴り、相手の懐へ入り込み、己の血を相手の衣服に付着させ、すぐさま離れる。

 眩耀が発動中は泰介が目を覆ったとしても、この眩しさからのがれることはかなわない。

「縛!」

 閃光が粘着性のある液体へ姿を変え、泰介の槍を持っている方の腕へと巻き付く。

「武器を取り上げたからといって安心しちゃいけないね」

 泰介がくすりと笑って、逆側の腕で俺の襟首をつかんだ。

 ぐるりと振り回された後、地へと一気に叩きつけられると受け身をとろうとした所で、俺の身体は真規に抱えられ、泰介の腕を美蘭がつかんでストップがかかった。


「やりすぎ!」

「やりすぎです!」


 あたり一面は砂煙につつまれ、口の中がじゃりじゃりとした感覚になった。

 小脇に軽々と抱えられているのがどうにも癪ですぐに降ろせと騒いでみたけれど、真規はじっとしてと睨みつけてくるから、俺は口先を尖らせた。


「もう! ほんと過保護!」


 泰介が眉間にしわをよせてから、面白くないとぼやいた。


「ガチで地面にたたきつけようとするなんて馬鹿ですか?」

「稽古で怪我なんてありえんでしょう!」


 真規と美蘭が鬼の形相で二人して泰介をにらみつけるから、泰介が悪かったよと肩をすくめた。


「新、眩耀の発動は悪くないが、これは攻めに使用するのはうまくないかもしれないね。 これは逃げで使う方がうまいと思う」


 泰介が槍をぽいっと宙へ放り投げて、形を消すと、襟元を正しながら近づいてくる。

「僕の袖に血をつけることができたのは及第点。 でも、これは真っ向勝負で使えるものとは到底思えないね」

「一応、泰介が相手じゃなかったら爆ぜるんだがな、その血」

 公介がひょいと木の上から降りて来て、泰介の袖口をもちあげてのぞきこんだ。

 血はしっかりと目標とした箇所に付着させることはできていたようで、公介がまずまずだなとこちらに頷いた。

「この程度の血の量じゃ片腕もいだくらいでめいいっぱだよ。 それに爆ぜるなんてことは相手もすんなり理解しちゃうだろ? 致命的なのは新が素直だってことだよ」

 俺が素直なことが致命的だと泰介は言う。

 真規がゆっくりと俺をおろしてくれた途端、足に力が入らないことに気が付いた。

 はっと視線をさげると、左ひざの上に切傷がある。

 言わんこっちゃないというように真規がもう一度俺の身体をさっと支えてくれた。

「教えられた通りにやることに集中しすぎて、己の痛みに無頓着。 血が爆ぜれば大きな攻撃が決まったことになると素直に信じているから、ある意味で己の身体ががら空き。 素直な良い子には想像しがたいことだろうが、君の敵になる連中は君ほど素直で清廉潔白な思考を持ってなどいない。 嫌らしい攻撃などいくらでもしてくるし、相手の息の根を断つことができるのであれば腕の一本くらい屁とも思わないよ」

 泰介は俺の足をゆっくりと指さした。

「かなり手前で刃をひいたけれど、本気であったのなら足は今頃、泣き別れだよ」

 それにと首の後ろをさわってみろという仕草をして、嘆息だ。

 あわてて首の後ろを触るとチクリとした痛みが走った。

「薄皮一枚分やられてるんだ」

 美蘭があの人は首を落とせたぞと言ってるらしいと苦笑いした。

 だから、二人は強引にでも身体を入れ込んで止めてくれたのだ。

 

「まぁ、泰介相手に10分もった。 新、十分だ」


 うんうんと公介一人だけが楽観的だ。

 左ひざの上には大きな皮下出血と切傷、首の後ろには鋭利な爪の先で裂かれたような一文字の赤い線。

 公介の顔を見上げると、俺の師匠は満面の笑みだ。

 勝てるなんて思っていたわけじゃない。だけれど、渾身の一撃のつもりだったんだ。それが赤子の手をひねるより簡単にいなされた。一連のことをすべてみていただろうに、どこにそんなに喜べる何かがあるというのだろうか。

「俺、ボコられたんだよ? 何がうれしいの?」

 ほんの少し悔しくて、声が震えた。

「嬉しいさ。 泰介が加減できてなかったんだからな」

 加減できなかったと公介は言った。

「首の後ろの傷に比べて、左足の傷は結構深いだろ? なぁ、泰介、お前、ちょっと加減するの忘れたろ?」

 公介が面白そうに言うと、泰介がわずかに片眉だけもちあげて小さく息をもらした。

「お前に怪我させてみろ、お孫様から大目玉なのはあいつもわかってる。 それでも、泰介は思わず手を出してしまった。 それだけ、良い動きだったってことだ」

 公介から相槌を求められた泰介が苦笑いしながら、俺の前でふいにしゃがみこみ、膝の傷をのぞきこんでいる。

「8針くらい縫っておくかな? ねぇ、公介、これ、怒られるとおもう?」 

 泰介は救済を求めるように公介を見上げながら、肩を落とした。

「貴一にしばかれんぞ~」

 公介が俺にウィンクして、髪をぐしゃぐしゃになるほどになでてくれた。

「こちらの軒先をお借りできるのは貴一の顔あってこそだ。 その貴一は眠ってるから、そこそこでお暇しなくちゃな」

 京都の夏の夜は熱いが、ここはどこか涼しい風が吹く。

 賀茂別雷命の御加護をと公介も泰介も丁寧に祝詞をあげていた。

 一の鳥居をくぐり二の鳥居に至るまでの一直線に伸びる参道の脇に、紅八重枝垂れのみごとな花の枝を広げるという樹齢150年の斎王桜、白い花をつける御所桜や馬出しの桜、鞭打ちの桜など、それぞれ謂われのある桜たちが並ぶ。

 神事の馬場ともなる広大な土地の一角をお借りしての稽古だからこそ、穢してはならない。

「でも、その前に、弥都波能売神にちょっとだけお願いしてみようかな?」

 公介がついて来いと促し、俺は真規に身体をささえてもらいながらその後を追った。

「ならの小川へ寄らせてもらおう」

 もう蛍の時期ではないんだけれどと公介が言いかけた所で、目の前をふわりと光が飛び交った。俺は思わず声をあげそうになったが、必死に口を手でおおった。

 季節外れの蛍がまだ飛び交っていた。

 貴船の山でみた蛍も綺麗だったが、この上賀茂でみる蛍も美しい。

 傷の痛みなどどこへやらだ。

 上賀茂神社の境内には小川が流れている。北西からの御手洗川と北東からの御物忌川が合流する。途中、神事橋を過ぎたあたりから『ならの小川』と呼ばれ、さらに境内を出ると明神川と名を変えてしまうらしい。


「風そよぐ ならの小川の夕暮れは 禊ぞ夏の しるしなりける」


 百人一首の藤原家隆の歌はこの小川だぞと公介が教えてくれた。

 ならの小川の由来は、かつてはほとりにその葉で神饌を盛る楢の木が茂っていたからともいわれているそうだ。


「弥都波能売神、可愛い月の子を癒してくれまいか?」


 公介が小川のほとりにふいに膝を折り、なでるように水面にふれると、それにこたえるようにふわりと水面がもちあがった。

 おいでと公介に導かれて、俺はゆっくりと小川へと足を浸していく。

 夏でも十分すぎるほどに冷たいが、どこか不思議な感覚だ。

 水は冷たいのに、体の中が温かい。


『朱華月魄』


 幼い少女の声がしたと思った。

 耳元で聴こえているのか、いや、これは脳裏に響いてくる声だ。

 俺は静かにうなずく。


『美しい御名。 月の主に感謝せよ』


 俺はまたうなずく。

 今度は柔らかな女性の声がして、皮膚の表面をぬめりのあるものがなでた感覚がした。


『名は月に、身は太陽に』


 どういう意味だと尋ねようとした瞬間、美蘭がせっかく整えてくれたのに、髪が膝裏に届くほどに伸びてしまった。

 右眼が熱をもち、その熱さに俺はその場に膝を折った。

 腰まで小川の水につかり、小さく息を繰り返す。

 誰かの足音がすると気づき、顔をあげるとそこにはいつもと様子の違う公介がいた。いつもの飄々とした男の表情は必死の形相だ。口は動いているのに声が聞こえてこない。


『夜を震わす稲妻のように彩れ』


 心にしがみつくようなベールを外して、最も深くに鋭く沁みてくる言葉の響きだった。

 水面に浮かぶ自分の伸びた髪の色が白銀一色に変わっている。

 闇色がとこかへ吹き飛んでしまった。

 貴一は俺に一本筋を通せと言った。

 誰にも左右されることのない自分というまっすぐな軸をもてという意味だ。

 与えられた物に怯え、宿命を知らず、敵味方も定まらず、ひたすらに命の危機にさらされているだけ。

 流されることなく、自分が何を選び、何を信念とするのかがずっとつかめないでいた。

 どうしたいのかと貴一が幾度も俺に問うた。

 その度に、俺は言葉を失って、明確な答えが持てなかった。

 ひたすらにどちらも手放せないと我儘な子供のような思想にひたるだけだった。

 でも、自覚できた。

 俺は所詮、子供だ。

 我儘で何が悪い。

 小難しいことをこねくりまわしたとて、最適解をだすなど俺には無理だ。

 欲しいものは欲しいと騒ぐのが俺で良いんじゃないか。


「絶えず誰かしらを上下に分け隔てるために繰り返すというのならば、俺が最後の杭となる」


 月明りのもと、水面に映し出された自分の姿に目をおとし、どこか納得した。

 貴一は光をはじくほどに美しい黒銀の髪をしている。だけれど、俺のこの色は記憶の中のあの人の色と同じだ。

 左眼は翠玉色、右眼は琥珀色。

 琥珀色は貴一の瞳の色と同じ。この左目の翠玉色は彼の色だ。

 俺をあの死地から救い出してくれた彼の色と今現在庇護してくれている貴一の色が混ざり合っている。


『競わせてはならぬ』


 わかっている。

 競わせない。

 かりに競ったとしても、必ず折り合いをつけさせる。 

 正しさってのは俺が俺を信じることだ。


「矛盾、それこそが俺だ。 最適解も白黒つける選択もいらない」


 月夜の風を纏い、陽の光を謳う。

 俺の信念が間違いだと言うのなら、天が俺を抹消すれば良い。

 じわりじわりとどこか遠くなっていた感覚が戻ってくる。

 

「新!」


 公介の声が緊迫している。こんな声、一度だってきいたことがない。

 焦点がさだまり、目の前にある公介の顔が良く見えた。

 その瞬間、思いっきり公介に抱きしめられた。

 片腕しかないのに、息が苦しいほどに抱きしめられたものだから、今度は俺が驚く番だ。

 公介の腕の力は一向にゆるまらず、師匠がいかに心配してくれていたかわかった。


「弥都波能売神様が俺を助けてくれたよ」


 俺の身体には傷一つない。

 弥都波能売神が清浄すぎる水の加護をもって、癒してくれたのだ。

 そして、俺に教えてくれた。

 名は月に、身は太陽に。夜を震わす稲妻のように彩れと。

 

「帰ろう、公介さん」


 俺はゆっくりと立ち上がった。

 公介がようやく俺を解放し、どこも何ともないなと確認しまくるから、思わず笑ってしまった。

 小川に向かって深く首を垂れてから、公介や泰介、美蘭、真規の背を見た。

 案じてくれる人が居るというのは幸せなことだ。


『綻びみつけたり……』


 カツンと右足のつま先に何か硬い物があたった。

 えっと声を上げて、地面を見下ろすとそこには小さな丸鏡がある。


『見れば見るほどに、厄介な姿になったものだ……』


 鏡から人の腕が伸びてくると悟った瞬間、声をあげる間もないほど俺はもうその鏡の中へ身体半分引きずり込まれていた。

 誰よりもこの急襲にいち早く気づいてくれたのは泰介だった。

 彼が鏡を割れと声を上げてくれたから、真規が俺の腕をつかみ、美蘭が鏡に剣を刺してくれた。


『蓮の三点セットでも好都合だ』


 鏡にひびが入り、砕け散るのと同時に、俺と真規、美蘭の三人は暗い渦の中へ引きずり込まれた。


「新! 呼べるんだ、お前は!」


 公介の声がするが、最後に何を言おうとしていたのかわからなかった。

 俺は何を呼べるというのだろう。

 ずるずると闇にひきずりこまれながら、意識は閉ざされていった。

 



 

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