夏が燻る
夢月七海
夏が燻る
突き抜けるような青空の中に、地平線から湧き上がった入道雲が見える。目の前に広がる田んぼでは、緑の稲穂が微かな風に吹かれて、一斉にそよぐ。背後で流れているのは、当然、蝉の大合唱だ。
ここまで言えば、絵に描いたような田舎の夏だ。その中で、畦道を連れ立って歩く、喪服の集団が異様だった。
葬列の先頭は、老夫婦だった。爺さんの方が骨壺を抱え、婆さんの方が遺影を持っている。それに写っているのは、はにかんだ笑顔を見せる、まだ高校生の少年だった。
列の大半は、少年と少女だった。おそらく、遺影の少年と同学年だろう。みんな下を向き、貝の様に黙り込んでいる。
老夫婦のすぐ後ろは、袈裟を着た住職、その隣は黒いワンピースの若い女性だった。少年の姉だろうかとも思ったが、しきりに上を見ているのが気にかかる。
その視線の先を辿ると、一羽の鷹が飛んでいた。彼らが向かっている先の、村の家々よりは高く、しかし、向こうに立つ鉄塔よりも低いという絶妙な位置で、円を描くような飛行だった。
葬列と並行する位置、いくつもの田んぼを挟んだところにある林の前で、俺はその様子を眺めていた。理不尽な死に押しつぶさそうになりながら、人々はゆっくりと歩いている。
自分よりも年下が亡くなってしまったことに対する、どうしようもないやるせなさとは一体何だろうかと思う。まだ若いのに、どうにかならなかったのか、なんて考えてしまう。
その時、村の方向から、サクサクと草を踏む音が聞こえてきた。顔を向けると、二十代半ばぐらいの男が、こちらへ真っ直ぐ歩いてくる。
来ているのは黒いスーツで、締めているネクタイも黒かった。一歩踏み出すたびに、服よりも真っ黒い髪が揺れる。葬儀屋だろうかと訝しむ俺に向かって、彼は気軽そうに片手を上げ、黒くて鋭い瞳をきゅっと細めた。
「よう」
「あ、ども」
当然のように、隣へ立たれる。毒気を抜かれて会釈を返した俺と、同じ方向へ体を向けた。
葬列は、もうすぐ目の前を通り過ぎる。列の最後に連なる男が、花が蝶に変化して飛んでいるような家紋の刻まれた旗を持っていた。そのすぐ傍を、鷹が掠めていく。
「あの鷹、ずっと列の周りを飛んでんな」
「この辺は、葬列に鷹匠が来るんだ。和尚の隣の女がそうだな。何でも、鷹は魂の導き手だそうだ」
「はー」
俺の単純な疑問に、隣の男がさも当然のように説明した。やはり、この葬式を担当している葬儀屋が、一休みしに来ているのようだ。
「あんた、この辺の奴じゃないのか?」
「半年前に引っ越してきた。葬列は初めてだな」
「なるほどな」
妙に納得した様子の葬儀屋は、胸ポケットから、掌サイズの箱を取り出した。そこをトントンと叩くと、数本の白い棒が飛び出す。そのうちの一本をつかむと、何のためらいもなくそれを口に咥えた。
あ、煙草。そう思っている合間に、葬儀屋はスーツのポケットから出したライターで、先端に火をつけた。あまりにスムーズだったので、こちらが口を挟む隙も無かった。
こういう時、吸う前に断りを入れるんじゃないか? と、俺は眉間に皺を寄せる。俺の服から煙草の残り香がして、こいつも喫煙者だと判断したとしても、だ。
葬儀屋が口から、白い煙をもわっと出すのを見ていると、腹立たしさよりも吸いたさが勝ったので、俺も煙草の箱を取り出す。いつもの様に口に咥えてから、どこを探しても、ライターが見つからないことに気が付いた。
「ほれ」
「じゃ、遠慮なく」
葬儀屋が差し出した百円ライターを借りて、火をつける。赤く燃える先端を視界に入れながら、ジッポでも買おうか、その方が無くさないだろうし、とか考える。
しばらく、無言のまま、二人で煙を吹かした。喫煙中なら、他人同士でも沈黙は気にならない。
「仕事は何してんだ? 学生か?」
ふいに、葬儀屋からそう尋ねられた。確かに、平日の昼間からぶらぶらしていたら、怪しいことこの上ないが、俺自身は別にやましいことをしていないので、堂々と答える。
「クラブの店員」
「ふうん」
尋ねた割には、興味なさそうに葬儀屋は返した。そして、すぼめた口から悠々と煙を吐く。
「都会だと、こうも堂々とは吸えないな。路上喫煙禁止が大半だから」
「いや、俺はこの前注意されたぞ。見知らぬおっさんに」
塀に寄りかかって、吹かしていただけなのに、血相を変えたおっさんに、持っていた煙草をひったくられた。
「何すんだと抗議しても、お前にはまだ早いって言い返されちまった」
「未成年に見えたんじゃないか?」
「二十歳超えてんのに? 童顔に見えるか?」
「いや、あんまり」
そう言われると、余計に腹が立ってきた。煙を思いっきり吸う。
「ところで、この辺は、なんか名所とかないか?」
「名所ねぇ……」
葬儀屋からストレートに訊かれて、困ってしまった。ここから見える、映画に出てきそうなザ・田舎の夏みたいな光景が、名所と言えば名所だが、それ以上に何かがあるわけではない。
他には……と考えながら、煙草を持っている右手を、横に揺らしていた。白い煙が、右へ左へとくねくね
「あっちの森の中の渓流は、結構有名だったな。釣り人にも人気らしい」
「あー、渓流か……」
聞きかじった知識を披露しても、葬儀屋は渋い顔をしている。そして、ちらっと、村の中に入ろうとしている葬列に目を向けた。
「あの少年、渓流で溺死だったんだよな」
「あ、そうなのか」
これは悪いことを言ってしまった。俺は素直に頭を下げる。
気まずさに耐えかねて、葬儀屋も、「まあ、テキトーに散歩しとくよ」と言い、まだ残っている吸いさしを、携帯灰皿に落とした。俺は灰皿を持っていないので、一言断って、入れてもらおうとする。
「持っておけよ。喫煙者のマナーだろ」
許可も得ずに吸いだした彼に言われてむっとするが、言い返す言葉もない。
「次に会う時までは、用意しとけ」
彼はそれだけ言い残して、スラックスのポケットに両手を入れたまま、村の方へ歩いて行った。まるで、再会があることを想定しての一言だったが、尋ね返す隙もなかった。
俺は、葬列の方に目を向けた。最後尾の旗を持った男も、村の内側へ足を踏み入れている。鷹が、甲高く鳴きながら、空を突くように舞い上がっていた。
〇
藤風
村で祖父母と共に三人で暮らしていた藤風成寛は、夏休み中のある日、渓流沿いを一人で散歩していた。そして、前日まで雨が降って激しくなっていたその川を、一人の小学生の少年が、流されているのを見た。
すぐに藤風成寛は、川に飛び込んだ……かどうかは分からない。溺れている少年も含めて、誰もその瞬間を見ていないからだ。逡巡はあったかもしれないが、ともかく彼は、電話などで助けを呼ぶよりも、自分で救助することを選んだ。
激しい流れの中を必死に泳いだ藤風成寛は、奇跡的に少年を掴むことに成功した。そして、何とか岸部まで進み、通りかかった釣り人に少年を託した。
少年を岸まで引き上げた釣り人は、今度は藤風成寛を助けようとしたが、水流に彼は飲み込まれてしまった。
……三時間後、少年が助け出された箇所から四キロ先で、藤風成寛は、心肺停止の状態で発見された。病院に運び込まれた後に、死亡が確認された。
そこまでが、俺が新聞で読んだ藤風成寛の最期だった。目の前に置かれた、花束や缶ジュースなどを見下ろしながら、そんな記事を思い返す。
ここは、藤風成寛が打ち上げられた岸部だった。今は誰もいないが、彼の最期を悼む者たちの痕跡が見える。
俺が同じ年くらいの時はどうしていたっけ。
思い返すよりも先に、蘇る記憶があった。
家の中の鴨居から吊るされたロープに、俺は手首を縛られていた。足元は、爪先立ちの状態になり、時々宙に浮く。上半身は裸だった。
その目の前には、親父の姿があった。カーテン越しでも夕日が入ってきて、表情はよく見える。しかし、感情は読み取れない。眺め続けることを拒否させるような、恐ろしい真顔だった。
親父が持っているのは、何重にも束ねたビニール紐だった。それを鞭のようにして、俺の腹を叩く。痛みが走るが、叫べばさらに激しくなるので、唇を噛んで我慢する。
これが、俺と親父の、幼稚園の時からの日課だった。親父は、時々感情的に暴力を振るうが、帰宅してから三十分間、こうして俺を叩く瞬間だけ、全ての感情を削ぎ落していた。
毎日行われているにも拘らず、ビニール紐の鞭の跡は、翌日までには消えてしまうので、誰にも気付かれなかった。
高校卒業までこのままか。そんな風に諦めていたのだが、この生活は唐突に終わった。
その日、帰宅した親父は、いつにも増して苛立っていた。仕事で悪いことがあったのだろう。スーツを着替える暇すら惜しんで、カーテンや玄関の鍵を閉めるのも忘れて、すぐに俺の手首を縛った。
鬼のような形相をした親父に殴られているのを、通行人に目撃された。すぐに警察が突入し、俺と親父は引き離された。ロープが解かれ、ソファーに座らされて優しく声を掛けられても、俺はぼんやりとしていたが、服を着ていない上半身にブランケットを掛けられた時、やっと解放されたのだという実感が湧いて、俺は久しぶりに泣いた。
この少年の一生はどうだっただろうか。新聞を読んでも、そこまでは分からなかった。
幸せだったのだろうか。子供を助けて死んでしまっても、悔いは残らなかったのだろうか。無理だと分かっていても、本人に聞いてみたいと思ってしまう。
ふと、左手側、川下から、二人の人物が歩いてくるのが見えた。十代くらいの、外国人の少年と少女だ。
少女の方は長い銀髪を二つの三つ編みに結っている。少年は、染めている俺とは全く違う、天然物の金髪で、頬に横向きの傷があるのが見えた。
観光客が通りかかったのかと思ったが、二人の表情は深く沈んでいる。少女の方は、マーガレットの花束を持っている。それを見て、藤風成寛の死を悼みに来たのかもしれないと思い、俺は今の場所を譲った。
二人は、河原に並んだ花束の中に自分たちの分を置いて、両手を組み、静かに目を閉じた。彼らの文化圏での、祈り方なのだろう。
それを横目に見ながら、藤風成寛と二人の関係は何だろうかと疑問を抱いた。年代はさほど変わらないようなので、同じ学校の留学生なのだろうか。しかし、この前の葬列の中に、彼らの姿はなかった。
声を掛けてみようかと思っている時、祈りを終えた少年の方が、悔いても悔やみきれないという表情で、口を開いた。
「あの時、俺がすぐに飛び込んでいたら……」
「男の子の方は、無事だったから、安心してね」
日本語でそう話しているのを聞いて、俺はピンときた。新聞に載っていた、藤風成寛が溺れた子供を託したのが、この少年だったのだと。
それならば、葬列に参加していなかったのも、説明が付く。大切な孫を助けられなかったから、藤風成寛の祖父母にどんな顔で会えばいいのか、本人たちも分からなかったようだ。
足から根が生えたかのように、いつまでもこの場から離れない二人を見て、俺はよりいたたまれない気持ちになった。
藤風成寛と全く無関係というのに、口が勝手に「なあ」と開いていた。
「こいつは多分、恨んでいないと思うぞ。むしろ、いつまでもくよくよされた方がいい迷惑なんじゃないか?」
他人の分際で、言い過ぎだと思えるほどの言葉だったが、二人の、特に少年の落ち込みようを見ていたら、黙っていられなかった。
しかし、俺の一言は無視されて、二人は静かにその場から去っていった。全く心が晴れていないことは、その背中だけでも十分に伝わった。
俺もそろそろ帰ろうか。丁度、天頂に登った太陽を見上げて思う。
今日の川の流れは穏やかで、水面が眩く輝いている。一人の命を奪ったようには見えないほどに。
〇
畦道の一つに、俺は立っていた。葬列が歩いていたところとは、別の場所だ。
鉄塔が立っているその向こうへと、太陽が沈んでいく時間帯だった。この村では、鉄塔よりも高い建物はなく、山も周辺にはないため、オレンジ色の光が、あまねく地平を照らしている。
ぼんやりとそれを眺めながら、無意識に煙草を取り出していた。口にして、火を点ける。今日は携帯灰皿も持っていたので、ライターと入れ替わりで手に持つ。
胸の息を全て吐くと、煙で視界が燻った。ふわふわと、拡散しながら、宙へ浮かんでいく様子を目で追う。
「
横を見ると、いつの間にかこの前の葬儀屋が立っていた。足音も聞こえなかったことに驚いていると、彼も煙草を吸い始めた。
「ここ、ほんと何にもないな」
「まあな。だから、よく吹かしてんだけど」
失礼にも聞こえる葬儀屋の言葉だが、事実でもあるので、否定はしない。俺自身、村の内外を散歩して、気ままに喫煙するのが日課になっていた。
この葬儀屋は、いつまで村に滞在するのだろうかと、横目で見ていると、「ところで、」と話しかけられた。
「それの銘柄は?」
「え?」
当たり前のことを尋ねられた。しかし、俺はすぐに答えられず、硬直してしまう。
銘柄……これの銘柄って、何だったっけ……。困惑する俺を見かねたのか、葬儀屋が助け船を出した。
「箱見ればいいだろ」
「あ、そうか」
革ジャンのポケットから、箱を取り出す。メタリックなブルーの箱、その真ん中に書かれているはずの文字が、読めない。
英語だからとか、そういう問題ではない。そこだけがモザイクがかかっているかのように、ぼんやりとしている。
「ちなみに、俺はマルボロだけど」
「……そうだ、俺もマルボロだ」
渇き切った口で、葬儀屋の言葉に便乗する。そう言われると、箱の文字も「マルボロ」と書いているような気がする。
どうして、急に煙草の銘柄が分からなくなったのだろうか? 吸い過ぎたのかもしれない。ただの疲れ目か。目頭を押してマッサージする。
「仕事場のクラブって、あの村にあんのか?」
そんな俺にお構いなしに、葬儀屋はマイペースに話しかけてくる。
はっと我に返った俺は、その一言に、吹き出しそうになった。
「んなわけあるか。あっちは、若者よりも老人の数の方が多いんだぞ」
「じゃあ、クラブまで通ってんのか」
「……そういうことになるよな」
「何でここに引っ越したんだ? クラブの近くが良いだろ」
「……」
純粋な疑問だが、俺はまたしても、言葉が詰まった。
そう言えば、なんで俺は、ここに引っ越してきたんだ? 親族があの村にいたような気がしたが、そもそも俺は一人暮らしのはずで……。
……俺の家はどこだ? 村の中の道は分かっている。おばちゃんがやっている煙草屋、よく寄り掛かっていた塀からの景色……だが、自分の家の外観すら思い出せない……。
食事をしたり、睡眠をとったり、そんな記憶すらなかった。あるのは、村の中やその近くぶらぶら歩いている、その時の目線だけ……。そんなはずがないと、分かっていても、それ以外は、空っぽな気がした……。
目の前の夕焼けが、下におろした右手の煙草から登る煙で、音もなく燻っていた。太陽も鉄塔も遠くなり、どんどん視界が白くなる。自分の息が浅い。
地球の自転から、取り残されてしまったような、疎外感を抱いた。ずっと立っていても、足は疲れず、汗も出ない……。体ですら、俺のものではなくなってしまったのか……。
崩れ落ちそうになった直前に、肩を叩かれた。
手が置かれた方から目線を移すと、葬儀屋が申し訳なさそうな顔をしている。
「悪い、いきなり詰め過ぎた」
「――なあ、あんたは、俺のことを、どれくらい知っているのか?」
縋るように尋ねると、葬儀屋は、気まずそうに目線を外した。
「俺が知っているのは、藤風成寛のことだけだ」
「そうか……」
まあ、葬儀を担当したのなら、ある程度は知っているよなと、そう思いながら頷く。
葬儀屋は、煙草を一吸いして、夕焼けを眺めていた。
「藤風成寛は、幼稚園児の頃から高校生になるまで、父親から暴力を受けていた」
「ああ、俺と同じだ」
「ふとしたことで、それは露見し、藤風成寛は保護されたのだが、周囲の人たちは、全くそのことに気付いていなかった。理由の一つは、父親の隠蔽が上手かったこと、もう一つは、藤風成寛がこの事実を、誰にも話そうとしなかったからだ」
「なんで?」
「保護した人々は、父親のことを庇っていたとか、虐待が当たり前になっていて、その異常性に気付いていなかったとか、色々言っていたが、そうではない。単純に、虐待を受けていたことを、知らなかった」
葬儀屋の言葉を聴いた時、なぜか、俺の子供の頃の記憶がフラッシュバックした。
食べるのが汚くて、椅子ごとひっくり返された瞬間。風呂を嫌がったから、服を着たまま湯舟に落とされた夜。和室の隅で、親父の逆鱗に触れないように、震えていた時間。溜まった洗濯物の酸っぱい匂い。埃の積もった仏壇とお袋の写真。皿の上、カビの生えた食パン……。
「藤風成寛は、自分を守るために別の人格を生み出し、父親との時間を『彼』として過ごしていた。藤風成寛にとっての父親は、母親の亡くなる前の優しい性格のままだった」
「……」
「二重人格だという自覚の無いまま、藤風成寛はあの村に住んでいる、母方の祖父母に引き取られた。藤風成寛は、高校に通い、穏やかな日々を過ごしていたのだが……時々、何の前触れもなく、もうひとりの人格が出てきてしまい、近所の人を困惑させていた」
夕日は終わりかけていた。背後から、夜の湿り気を含んだ風が、吹き抜けていく。
「藤風成寛が、最後を迎えた瞬間、体から飛び出たその魂は、二つの人格に分かれた。藤風成寛の方はそのまま成仏し、もう一人の人格は、村の方へと落ちていった」
この辺りに、高い建物がないにもかかわらず、俺が上から見た渓流を知っていた理由が、今、分かった。
持ったままにしていた、煙草を口元へ運ぶ。数分ほど放っておいたのに、その長さは変わっておらず、しかし煙を吸うと、確かに痺れるような味がした。
「俺が、藤風成寛の、もう一人の人格だったのか」
「……あまり動揺していないな?」
「納得したら、意外と落ち着くもんだ」
俺は苦笑をしながら、葬儀屋の方に眼を移した。
現在忍び寄っている夜よりも黒いその瞳を直視して、俺はやっと、彼も人間ではないのだろうと、思い至った。
「なあ、色々詳しいあんたは、一体何なんだ?」
「死神。藤風成寛の担当だ」
「はあー、そうだったんだな」
上から下まで見ても、死神っぽい所はあまり見えない。ドクロじゃないんだな、大鎌は持っていないのかとか、当然のことばかり思う。
葬儀屋、もとい死神に、俺はまた質問をする。
「俺みたいに、多重人格者の魂が分裂するって、よくあることなのか?」
「いや、初めてのケースだったんだよ。だから、ほとほと困った」
死神は顔を顰めて、煙交じりの溜息を吐いた。
「天国に行った、藤風成寛へ会いに行って、話を聞いてみた。あいつ自身、二重人格の自覚が無くて、酷く驚いていたな。魂が欠けていても、転生するのは何とか出来るんだが、一応、呼び戻して融合することも出来る。どうするか、尋ねてみた」
「お、おおう。なんて言ったんだ」
自分の命運が、今決まることに緊張しながら、俺は先を促した。
ハラハラしている俺をよそに、死神は優雅に煙を吐く。
「あいつは、『自由にさせてください』と言ったんだ」
「えーと、つまり?」
「どうするかは、お前が自分で決めてくれ、ってことだ」
結局、何も決まらなかった。いや、藤風成寛と融合したいという訳ではないのだが、これはこれで困るというか……。
渋い顔をした俺を見て、死神が「あと、これは伝言なんだが」と付け加えた。
「『今まで、辛いことを肩代わりさせてすみません。これからは、好きなように、のびのび過ごしてください』ってさ」
「好きなように、と言われてもなぁー」
「幽霊とも違う存在だから、妖怪を目指すしかないんじゃないか?」
「妖怪かぁー」
なんだか、肩の荷が下りたような気持ちになって、煙草を咥えたまま、大きく伸びをした。太陽はすっかり沈み込み、そのオレンジの残光だけが、西の空に漂っている。
俺は、携帯灰皿で煙草を消している死神を見て、笑い掛けた。
「色々教えてくれて、ありがとな」
「こっちも、このままにしておくの気分が悪かったから。気にすんな」
「また、村に立ち寄ってくれ」
「ああ」
頷き返した次の瞬間、死神の姿が、ぱっと消えた。辺りを見回しても、その気配すら感じない。
東の空は、藍色に塗られ始め、星が弱々しくも瞬き始めていた。
〇
夜も更けた頃に、俺は鯨幕が張られた塀を見つけた。入り口には、「藤風」という表札がかかっている。
その家は、当然ながら扉をぴったりと閉じていた。恐る恐る、一歩踏み出すと、ぐわんと変な感覚がして、俺はその家の玄関に立っていた。
広い居間の電気は点けっぱなしだった。そこには、仏壇があり、お供え物と成寛の遺影が鎮座していた。
改めて、成寛の顔を眺める。川の水面などで見た俺の顔は、成寛の数年後の姿を予想しているのではないかと思ったが、目元や鼻筋などが全然違う。
隣の部屋の襖が開きっぱなしだった。そこを覗いてみると、布団が敷かれていて、爺さんと婆さんがこんこんと眠っていた。
その寝顔から、どちらも絶望が滲み出ているようだった。そりゃそうだろう。虐待されている孫を引き取った直後に、亡くなってしまったのだから、運命を呪いたくなってもしょうがない。
俺は、仏壇の前に置かれた座布団の上で胡坐を掻いた。
やはり、他人としか思えない成寛を見ながら、話しかける。
「激流の中に飛び込んで、子供を助けるなんてな、すげぇやつだよ、お前は」
この話はここで切り上げるつもりだったのに、口が勝手に動いていた。
「……苦しいことは、俺の役目だから、変わっても良かったのに」
言ってしまった後に、驚いた。これが俺の本心なのか。いや、もう一つの人格としての、本能か……。
ともかく、暗くなりかけた気分を持ち直そうと、俺は笑みを浮かべた。
「爺さんと婆さんのことは、心配すんな。あと、お前が助けた子供のことも、俺がここで、ずっと守っていくから」
妖怪になるとしたら、この村を見守り、危機に陥った人を助けたい。成寛が最期に振り絞った勇気は、俺が引き継ごう。
それを彼に誓ってから、藤風家を後にした。そして、静かに眠っている村の中を、ゆったり歩いていった。
夏が燻る 夢月七海 @yumetuki-773
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